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弱者の心

 小道に立つリーラに近づいていき……アイリスは、彼女の怒りに満ちた表情に気づいた。


「ねえ、アイリス……あんた自分が何したかわかってるの?」


 小さな声で言うリーラの言葉を、よく考えてみる。

 けれど、アイリスにはリーラが言いたいことがわからなかった。

 震える声を押し殺しているリーラ……その顔を見ながら、アイリスは恐る恐る尋ねた。


「もしかして……人身御供をやりたかったの?」

「はあ!?」

「あの、実際に荒ぶる神に身を捧げる時までは、贅沢をさせてもらえるらしいし、村の人たちもみんな親切だし――」

「バカ……あんたホントバッカじゃないの!?」


 リーラが絶叫して、アイリスは気おされ後ずさりした。

 自分の何が彼女にこんな声を出させているのかわからない。

 一生懸命考えているのに、いつもいつも、アイリスにはリーラの言葉の意味がわからない。


「なんで、立候補なんてしたの!?」

「それは――」

「あんたのせいでこういう時は孤児が立候補するべきっていう前例みたいなものができちゃったじゃない!!」


 アイリスは、本当に何を言われているのかがわからなくて、ぽかんとした。

 立候補したことを責められたから、ギースのように、心配してくれているものだとアイリスは一瞬勘違いしていた。


「え……その、リーラ? それはどういう意味?」

「いつもそう……! あんたはいい子ちゃんの顔をして、孤児で、村に世話になってるとかキレイごとを言って、それで自分が犠牲になったふりをするの! それに巻き込まれるあたしがどんなに迷惑な思いをしているかも知らないで!」

「ふり? 犠牲になるのは、ふりなんかじゃ――」

「いつもいつもふりだった! あたしにとってはものすごく辛いことでも、あんたにとっては全然辛くないことなんだから。それはあんたにとっては犠牲じゃないのに! 村のみんなはそういうあんたを褒めて、いい子って言って……あんたのせいであたしはまるで悪い子みたい!」


 犠牲じゃない? 荒ぶる神の生贄になることが?

 ――感謝されているとさえ思っていたのに、そうじゃなかった。

 リーラはそれどころか、アイリスの行動に怒ってさえいる。


 アイリスは確かにやるべきことだと判断すれば率先して手をあげた。それが例えどんなに危険なことでもだ。

 羊飼いの仕事だって、率先してやると言った。アイリスがやると言った後で、リーラもおばさんに言われてやることになったと聞いた。

 羊飼いをする人間がいる家の羊は他の家より多く割り当てられるから、リーラに多少の危険があっても、やらせるべきだとおばさんは思ったのだ。


 巻き込まれるというのは、そういうことだろうか?

 けれど、アイリスの考え方では、リーラはおばさんに言われるまでもなく、率先して手をあげるべきだった。

 ただ、アイリスは――手をあげないリーラを悪い子だと思ったことはない。


「……リーラ、それじゃ私は、どうすればよかったの?」

「黙っていりゃよかったの! そうすれば、村長が他の決め方を考えてくれたに違いないのに!」


 それは難しい、とアイリスは思った。

 例え他の決め方を考えることができたとしても、村の人間関係には亀裂が走ったに違ない。

 どんな亀裂かはわからないが、これまでの村の情勢を考えれば、それがどれほど困難なことかはアイリスにも想像ができた。

 だが、アイリスは口には出さなかった。

 リーラは怒りに身体を震わせながら言い募った。


「そうすれば、そうすれば……とにかく、何かあったら孤児にやらせればいいなんて、叔母さんがそんなこと言うことなかったのよ!」

「……おばさんがそんなことを言ったの?」

「ええ、言ったわよ! あんたのせいで次はあたしの番になるみたい!」


 なんとなく言いそうな人だとは思う。

 その言葉に傷ついているリーラを可哀想だとは思う。けれど――現実が見えていない姿は、危うく思えた。

 いつもならその思い込みをそのままにしておいてあげたいと思う。

 けれど、今は、彼女に現実を教えてやることが親切だと思った。

 来年の今頃には、アイリスはもういないのだから――


「でも、たぶん私が手をあげなかったら、選ばれたのはリーラなのよ」

「はああ!? あんた、アイリス、何言ってるの!?」

「だから、私は手をあげたの」

「自分が何言ってるかわかってる!? わかってるの、アイリス!? あんた、たった一人の友達であるあたしに、ひどいこと言ってるのよ。その上

恩に着せるつもり!?」

「恩に着せたいわけじゃない。ただ、リーラのことが心配で――」

「いい子ちゃん面! またしたわね! あんたのそういうところが大嫌い! ホント、最悪。アイリスなんかさっさと死んじゃえ!!」


 ガツンと頭を打たれたような衝撃だった。

 リーラの言葉が衝撃的すぎて、アイリスは、一瞬、立っているのか座っているのかもわからなくなった。

 彼女に死ねと言われること――それが、どうしてこれほど辛いのか、アイリスにはわからなかった。


(胸が、痛い)


 痛くて、痛くて、目頭が痺れてくる。こんな状態になるのは初めてで、アイリスは戸惑ったまま立ち尽くした。

 その時、「アイリス」と、名前を呼んでくれる人がいて、リーラの方を見ていられなかったアイリスはそちらを見た。

 アラルドが近づいてきて、アイリスの肩をなれなれしく抱いた。


「本当に、彼女のために命を捨てるの? 気高く清らかな心を持つ君をこんな風に罵るだなんて、信じられないよ。――やっぱり、僕と一緒に逃げてしまおうよ?」

「――アイリス、その男と村から逃げる気!?」


 アラルドの言葉に、リーラは耳ざとく反応して叫んだ。

 アイリスはアラルドの手を払いながら否定した。


「違うわ、リーラ。……変なこと言わないでと言ったでしょう、アラルド。みんなが不安になるわ」

「うそ、アイリス……その言い方! 前からその男と話し合ってたってこと!?」

「違うわよ、私は逃げたりしない。村の為にこの身を捧げると――」

「孤児を犠牲にする前例を作っておいて! あんたがいなくなったら――あんた、初めからそれが狙いだったんでしょ!?」


 リーラが桃色の髪の毛を乱暴にかきむしった。その姿があまりに異様で、アイリスは悲鳴じみた声で叫んだ。


「リーラ!? 話を聞いて!」

「あんた、アイリス、あたしのこと邪魔なんでしょ! 死ねって思ってるんでしょ!? だから――羊のことも、広場でみんなの前であんなふうに騒いだんでしょ!!」

「そ、それは違うわ。ただあれは、村のみんなの注意を、村長から逸らしたかっただけで……」

「村長を守るために親友のあたしを裏切ったのね! あんた、ひどい! 信じられない――!」

「だ、だって……私たちは村人だから、だから――」

「だから、なんだっていうの!?」


 アイリスは濁って滲む視界の中で、リーラがどんな顔をしているのかもよくわからなくなりながら、しどろもどろに説明した。


「村のために……村の存続を一番に考えるべきじゃない」

「そのためなら友達を裏切ってもいいって思ってるのね。……信じられない。本当に、ありえない」


 だって、そもそも村がなければ、自分たちは生きていけないのに。

 その村に生かされている身として、当然のことをしただけなのに。

 ――どうして胸が引き裂かれるように痛むのか、アイリスにはわからなかった。

 けれど答えはリーラの瞳の中にあった。彼女の瞳の中には、見ているだけでアイリスを凍えさせるような感情があった。

 アイリスは、その答えがとても恐ろしかった。


「あんたはもう友達じゃないわ、アイリス」

「そんな、リーラ――」

「あんたなんか大嫌い!」


 すがろうとしたアイリスは、手を振り払われて、その場に尻餅をついた。

 そんなアイリスの上に覆いかぶさって、リーラはアイリスの頬を殴った。


「この、いい子ちゃんぶりっこ! アバズレ女! 尻軽、ギースがいるくせに! よくも出会ったばかりの男と――卑怯者!」


 髪を掴まれ、頬を殴られる。みぞおちを膝で押さえつけられながら、アイリスは不思議で仕方がなかった。

 どうして、アラルドの言葉を信じるのか。

 それこそ、出会ったばかりの男でしかないのに――どうしてこれまで一緒にいた、友達のアイリスの言葉を信じてくれないのだろうか。


(どうして、どうして、どうして、どうして――)


 しばらく、アイリスは殴られていたけれど、ひときわ強くこめかみを打たれて軽いめまいを感じたところで、リーラを振り払った。


「あっ」


 どたっと音を立てて地面にたたきつけられるリーラ。起き上がろうとするも、その動作は鈍いものだ。

 アイリスはすぐに置きあがってリーラを押さえつけた。

 そして、拳を握った。リーラが悲鳴じみた声をあげたけれど、彼女はアイリスにかけた言葉を謝ったりはしない。いつもは謝ってアイリスにやめてと頼むことが多いのに、今日は睨みつけてくるだけだった。


 だから、アイリスは、やられた分だけやり返した。






 泣きながら逃げていったリーラを見送って、少し離れたところで見ていたアラルドがアイリスに声をかけた。


「まさか、君がやり返すとは思わなかったよ。大人しく殴られているかと思った」

「前、そうしたことがあったのよ……だけどその時、リーラが一方的に殴ったってことでリーラだけとても怒られたの。それからは、殴られたら殴り返すことにしているの」


 そうすれば、それは両成敗の喧嘩になる。

 そもそも殴り合いなんてしない方がいいけれど、リーラは我慢がならなくなった時、手が出ることがよくある。

 それはリーラには止めることのできないものだ。

 先ほど、アラルドが言ったように――人には、自分を止められないことがある。


「どうして……」


 俯いて呟いたアイリスに、アラルドはリーラが走っていった方を見ながら「恐いんだろう」と言った。


「彼女は恐くて仕方がないのさ。だから自分のことしか考えられない」

「どうして」

「臆病なんだろう。そして弱い。誰かが悪いということにして、その誰かを責めないと、とても自分の恐怖を押さえつけていられないんだ」

「どうして」

「……君に死ねと言ったのか? たぶん、以前から君のことが気に食わなかったんだろうね。嫌いだったんだろう」

「嫌い? どうして……」

「僕の見たところ、彼女はギースという男が好きなんじゃない? だけどギースは君のことが好きなんだろう?」

「そんなことで」

「恋愛ほど女が女を憎む理由になるものはない。今は僕もいるから、憎悪は尚更募るだろう」

「あなたがいたら、なんなの?」

「えっと……」


 アイリスの物言いにアラルドが閉口した時、村の道を村長がやってきた。


「リーラがうちに駆け込んできて、わけのわからないことを喚き散らしているんじゃが――おい、アイリス!?」


 村長が驚いたように叫んだ。村長が目で追っているものをアイリスも追おうとして、よく見えないことに気がついた。

 ――アイリスの両目から、涙が溢れていた。ここ数年、一度も泣いたことはなかったのに。

 涙に気づくと同時に、嗚咽が漏れた。

 肩を震わせて泣き出したアイリスを、アラルドが抱き寄せた。


「可哀想なアイリス――っと、どうして叩くんだい?」


 ドン、とアイリスが抱きしめられながらアラルドの胸を叩いたから、アラルドは首を傾げた。

 その声の、あまりの悪気のなさに、こみあげてくるものを押えられなくて――アイリスは答える代わりに、声を我慢するのをやめた。


「うわあああああああん!」

「……よしよし、思い切り泣けばいい」


 アイリスを抱き寄せ、その肩を撫でる指の空々しさが、今のアイリスにとっては気楽だった。

 リーラのように何かを色々思っているようなのに何を思っているのかわからない人よりも――何も感じていないらしいこの男の方がよかった。


「おっと、痛いよ、アイリス」


 アイリスがアラルドを何度も何度も叩くのは――流石にアイリスにもわかったからだ。


 リーラの前で村から逃げるだなんて言葉をあえて選んで言ったこと。

 それが、「なんとなく」アイリスを傷つけようとしたためだと、わかったからだった。


 それでもこの男の胸の中で泣いているのは――この男の言葉のおかげで、リーラの本心を知ることができたから。

 この男のせいでリーラに嫌われたわけではない。それがアイリスにはわかっていた。


 この男が悪意ある言葉を選ばなければ、アイリスはリーラの本心を知ることなく生涯を終えることになっただろう。

 


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