神官の試練
それから、村中の人が毎日何か贈り物を持って、アイリスの元を訪れるようになった。
リーラの叔母さんでさえ、羊泥棒の疑いをアイリスにかけていたのはなんだったのかと思えるほどに愛想よくなっていた。
朝から立て続けにやってきていた訪問客がやっと途切れて、アイリスはエレナの台所仕事を手伝っていたのだが……鶏の丸焼きを作ろうとしているエレナを見て、アイリスはとてつもなく驚いた。
「エレナさん、こんなものをどうしたの?」
「ベルンさんがくれたのよ。あなたの素晴らしい決断にとても感動されたといって、涙されて、鶏を一羽まるまると。今夜はごちそうね」
「何かお祝い事があったわけでもないのに、いいのかしら?」
「もちろんいいのよ。アイリスは尊いお役目を任されたのだから。贅沢をしても構わないの」
人身御供となって死ぬ、その時までは――。
アイリスはエレナの言外の言葉に気づくと、少し思うところがあった。
(リーラも、こんなふうに贅沢をしたかったのかしら)
だからアイリスを睨んだのだろうか? 案外悪くない役目だと思っているのだろうか。
――臆病なリーラを知っているから、あまり、ピンと来なかった。
アイリスは黙って、上機嫌なエレナの言葉に相槌を打ち続けながら手伝った。
エレナとアラルドが言っていた通り、現在、沼の横に不思議な穴が開いていて、その中は階段になって地下道ができていて、奥へと続いているという話だった。
中に入ると荒ぶる神が捧げものだと間違えてしまうかもしれないとのことで、そっと覗き込んだだけらしいけれど、岩肌が青白く光る不思議な穴がかなり地下の深くまで続いているようだった。
「私も見てきたけれど、とても神秘的なところだったわ……」
これはギースから聞いた話だったが、周りの人が止めなければ、エレナは恍惚としたまま洞窟の中に入りかねない様子だったらしい。
ギースは「そのまま入ってくれりゃよかったのに」と悪態をついていた。
それをアイリスは諫めたが、ギースがどれだけ話を聞いてくれたかはわからなかった。
「タスクさんがご厚意で羊を供出してくださったから、その羊に妖精の花の花冠を被せて、中へと入れて、今は入口を塞いでいるの」
あまり明日になったらまた洞窟の開けて、中の様子を見るらしい。
「あの青白く光る神秘的な洞窟に入り、震えを感じたら……それは神が殻を破って外へ出てこようとしている証よ。最後のお手伝いに、あなたが身を捧げるの」
どれぐらいかかるかはわからないらしい。
ただ、生贄を捧げ、様子を見て、羽化を促し――時期が来たら、アイリスは食われることになるだろう。
(あの化け物に。……化け物なんて言ったらエレナさんが怒るわね)
けれど、アイリスの目には化け物にしか見えなかった。
沼の奥から伸びた触手と、それにからめとられて沼の底に引きずり込まれた村の男。
あの光景はアイリスの脳裏に焼き付いている。
ただ……村の誰も、何も言わないのだから、あれが化け物に見えているのはアイリスだけなのかもしれない。
(アラルドも、私にはかなり妙な人に見えるのに、みんなとても素敵な人だと思っているみたいだし)
村長以外は――そんなことを考えていたら、外に出ていた当の本人が戻ってきた。
「アイリス、少し手順について話がしたいんだけれど――エレナ、彼女を借りてもいいかな?」
「ええ! 神官様、もちろんです! アイリスに色々と教えてやってください!!」
エレナに送り出され、アイリスはアラルドに付き添うことになった。
アラルドはスタスタと歩いていく。歩幅が違うせいか、アイリスは小走りになって追う必要があった。
痛むあばらを押さえ、ついていくと、アラルドは村のはずれの木陰まで来て立ち止まった。
「まずは……そうだった、君の怪我を治してあげよう」
「治す?」
「そうだよ。もしかして、君は魔法を見るのは初めて?」
「まほう……」
聞いたことはある。特殊な言語を操る精霊の御使いのことだろう。
「さあ、目を閉じて」
アラルドはうっすらと笑みを浮かべながら促した。
アイリスは、少しためらった。彼の前で目を閉じ、無防備な姿を晒すことに戸惑いがあった。
それがなぜなのか――自分でもよくわからないけれど。
「アイリス……警戒しているの?」
「……警戒?」
「僕に何かされるんじゃないかと怖がっているね」
「何を?」
「うん?」
「あなたが私に何をしようとしているのか、わからないのに、何かが怖いわ。何故だかあなたにわかる?」
「……僕が男だからじゃないかな」
男だから? と小首を傾げるアイリスの顔に、アラルドが手を伸ばす。
指が目に伸びてきて、その指から逃げるように瞼を閉じた。
その瞬間――アイリスは抱きしめられ、凍り付いた。
「な、何をするの!?」
「落ち着いて、アイリス……魔法で君の痛みを癒してあげているんだ」
アラルドの言葉通り、確かに気づくと身体の痛みは消えていた。
しかし、それでもアラルドはアイリスの身体を離さない。
(大きな身体……村長より、温かい――)
不思議な気持ちになりつつも、アイリスは常識に従いアラルドの身体を押し戻した。
アラルドは、アイリスに拒絶されるとそれ以上無理強いしようとはしなかった。
「アラルド、結婚していない男女は、こういうことをしてはいけないのよ?」
「だけど、したくなってしまうことはあるだろう?」
「そうなの?」
「もしかして……僕はフラれたのかな?」
「?」
あずき色の目を大きく見開きパチパチと瞬かせるアイリスを見て、アラルドは苦笑した。
「もっとはっきりと言わないとわからないかな……僕は君に惹かれているんだ。だから、君が死ぬだなんて耐えられないよ」
アイリスは目を大きく丸くした。
ギースみたいなことを言う……そう思ったけれど、彼はギースとは大きく違っていた。
「一目見た時から心が震えたよ……危険を顧みず、村のために恐ろしげな場所へ向かう姿に。君のことが好きになってしまったんだ。そして、村のために自ら犠牲になると名乗り出た気高さに触れて……愛してしまったんだ」
瞼を伏せ、黒く長い睫毛を震わせるアラルド。
睫毛があまりに長くてたくさんあるせいで、頬にまで影が落ちていた。
「だから、一緒にこの村から逃げないか? 落ち延びる先なら僕が用意できるよ」
彼は見せつけるように宝石のはまった指輪をしている手で胸をおさえた。
それ以外にも、彼のマント一つを見てもお金が随分とかかりそうな代物だった。
彼なら家のいくつかは持っていそうだし、村から出て行った先に、行く当てぐらいいくらでもあるだろう。
「この村の誰にも、君に手を出させはしない。僕が必ず君を守るよ」
彼の言葉は力強く、確かな力を感じさせた。
――差し出された彼の手を見て、アイリスは、混乱のあまり大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「……どうして嘘を吐くの?」
「嘘?」
「私のこと好きじゃないのに、どうしてそんなことを言うの?」
「どうして信じてくれないんだい? まだ会って間もないから? 君は一目惚れというものを知らないの?」
「一目惚れ、というもののことならわかるわ。でも、あなたは私に惚れてないでしょ? 私は私を好きな人を見たことがあるから、わかるわ」
ギースがアイリスを見る目には、不思議なものがいっぱい映っている。
そこにあるものを何一つアイリス自身は感じたことがないけれど、その不思議なものを嫌ったことは一度もない。
「あなたの目は……黒いガラス玉みたい。何も映っていないのに、どうして私に人身御供をやめさせようとするの? そうしないと、村が危ないんでしょう?」
神が暴れて取り返しのつかないことになるという。
どんなことになるのかアイリスにはわからないけれど、神の怒りに触れるのは恐ろしいことだろうと想像くらいできる。
「私を村から連れ出そうとするなんて、あなたの目的は何?」
荒ぶる神を鎮めれば、村近くに生きる精霊として村の守り神になってくれるらしい。
そうすれば、魔王によって活性化している魔物の脅威から、村が守られることになるだろう。
――それを、アラルドは阻もうとしている?
(せっかく村のみんなが落ち着いているのに……私が人身御供になることで、落ち着いているのよ)
嘘を吐き、無用な混乱をもたらそうとしているアラルドから、アイリスはじりじりと後ずさりして距離を取る。
村長に知らせた方がいいかもしれない……アイリスがちらりとそう考えた時、アラルドは朗らかに笑った。
「ははは……君は本当に誇り高く魂の美しい女性だ! 僕は君を試しただけだよ。そう警戒しないでくれ」
「……試した?」
「そうだよ。君が土壇場になって逃げだしたりしないか、今の内に試そうと思ったんだ。これは必要なことなんだよ」
「……どうして逃げるだなんて思うの? 私は自らそうしたいと名乗り出たのに」
「名乗り出たからといって、本当にそうしたいと思っているとは限らない」
アイリスが分からない顔をしているのがわかったのか、アラルドは笑みを浮かべ説明した。
「この村で一番立場が弱い人間は誰かな?」
「私よ」
アイリスには村長家の後ろ盾があるから、もしかしたらリーラかもしれなかったが……アイリスは間髪入れずに言った。
アラルドはよくできましたと言わんばかりに頷いた。
「例えば立場の弱い人間が、他にいたとしよう。君とは別の人間だ。その人間はとても心が弱くて圧力に屈する……誰か想像したかな?」
思わず、リーラの顔を思い浮かべていたアイリスは首を横に振った。
アラルドは特に追及することなく続けた。
「みんなが……あえては言わないけれど、彼女なら村からいなくなっても問題ないと思っていて、人身御供として名乗り出ろと思ってる……彼女はそれを敏感に察知する」
アラルドがどういうわけか彼女なんて言い方をするから、アイリスは頭からリーラの顔を振り払えない。
アイリスの頭の中に、リーラが周囲から無言の圧力を受けて、肩を縮こまらせる姿が浮かんだ。
「そうなったら、彼女は屈してしまうだろう。自分がやります、と言い出すかもしれない。けれど……本当はそんな勇気がないとしたら?」
「……土壇場になって、逃げるかもしれないってことね」
「そういうこと。君はそうではないようだけれど、君ではない別の人間なら、そういうこともあり得るんだ」
「……そうね。なんとなく、わかるわ」
そう思ったからこそ、アイリス自身が名乗り出ているのだから。
彼女は、村のみんなの為という理由であったとしても、自分の命を投げ出すことはできないだろう――リーラには、無理だ。
「そういうことなら、理解できるわ」
「わかってもらえたようでよかった。僕は君と一緒なら、本当に逃げてもよかったけど」
「アラルド、冗談でもそんなことを言わないで。村の人が聞いたら不安になるわ」
「それがどうした?」
アラルドはにっこりと笑ってそう言った。
そんな応えが返ってくるとは思わなくて、アイリスはびっくりとしてしばし茫然とした。
「あなた……エレナさんが黒衣の神官って……どんなお役職かは知らないけど、仮にも神官様なのにそんなこと言っていいの?」
「別にいいんだよ。大した肩書じゃない」
「そうかしら」
御大層な肩書だと思う自分が間違っているとはアイリスには思えなかった。
アイリスは一時期問題児と言われていたが――どんな村にも問題児はいるものらしい――アラルドもまた、神官たちの間では問題児なのかもしれないとなんとなく思った。
「いいわ……黙っていてあげる」
「言っても構わないけど」
「エレナさんが聞いたら卒倒しかねないわ。あなたのことをとても立派な人だと思ってるんだから」
「そうだね、だから――君が何を言おうと彼女は信じないよ」
アラルドがあまりに明るく朗らかに言うから、アイリスは本当に何を言われたのかがわからなかった。
またも驚きぽかんとして……アイリスが固まっている内に、アラルドはアイリスを置いて村の方へと行ってしまった。




