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追憶の丘


「なんであんなことを言った!?」


 家の中へ突き飛ばされるようにして入れられたアイリスは、怒りに顔を真っ赤に染めているギースを仰ぎ見た。

 彼が怒っているのは何故なのだろうと考えながら――いくらか予想はついている。

 彼の父親である村長によれば、彼はアイリスに惚れているという。


 惚れている……その感情を、アイリスはまだ知らない。


「……ごめんなさい」


 いくらか考えて、アイリスは無難な応えだと思い、謝罪の言葉を口にした。

 ギースは落ち着かない様子で家の中をうろつき周りながら、「謝るぐらいならするな!」と叫んだ。


「すぐに手を打たないと……本当にお前は村のやつらに殺されるぞ! 何か考えないと……!」

「え? 何を言っているの?」

「おまえの命を助けるための手を考えないといけないって言ってる!」

「何故?」

「何故!? それは一体どういう意味だよ!?」


 ギースは悲鳴じみた声で叫んだ。あまり冷静ではないし、普通に話し合いができそうでもない。

 できたら村長が戻ってくるまで会話をしたくなかったアイリスだったが、ギースはアイリスが無言でいると、アイリスを助けるための策をめぐらさずにはいられなくなるようだった。

 だから、アイリスは彼の思考を止めるために、口を開いた。


「あの……私を助けようとしているの? それはつまり、私以外の別の誰かに死んでもらおうということ?」

「ああそうさ! リーラ! あの女がちょうどいい!」

「……どうして」

「どうしてって、アイリス、あの女は嘘を吐いておまえを陥れようとしたんだぞ!? 一歩間違えればアイリスは家畜泥棒の罪を問われて殺されかねないってのに、羊の管理が行き届いていないわが身可愛さにおまえを売った! 卑劣な女だ!!」


 リーラがしたこと。それはギースの言葉通りなのかもしれないとアイリスも思う。

 ただ、それを卑劣だと非難する気持ちにはなれなかった。

 アイリスは、リーラが叔母さんに殴られることをひどく恐れているのを知っていた。

 逃れるのに必死になる姿を、容易に思い描くことができた。


 それが例えアイリスを売るような行為だとしても、アイリスの胸の内には特段不快の念は生まれなかった。

 ただ哀れと思うだけだった……この感情を、リーラが快く思わないことを知ってはいるけれども。


「私はリーラを死なせたくない」

「あんな女は死ぬべきだ!」


 ギースが叫んだ。

 普段はギースに何を言われてもほとんど心の動かないアイリスだったが、その言葉には心を揺さぶられた。

 何故そうなるのかもわからないながら、激しい怒りを感じてアイリスはギースを見据えた。

 腹の底から――アイリスは、自分でも驚くほど大きな声が出た。


「死ぬべきじゃない! 死なせない。あの子は私が死なせない!!」

「あ、アイリス……」


 空気が震えたかのようだった。その振動に気おされたかのように、ギースが後ずさりして、椅子に倒れ込むように座った。

 アイリスはすぐにハッと自分の行いに気づいた。

 ……世話になっている村長の、その息子に無礼な口をきいてしまった。


「あ、あの……」


 アイリスが、未だに唖然としたままのギースへ弁解をしようと口を開きかけた時、扉の向こう側から咳払いがした。

 蝶番がきしむ音と共に、玄関扉が開いて村長が入ってきた。その後ろから、アラルドとエレナも。


「……お客人、こんなあばら家ではあるが我が家のようにくつろいでくれ。エレナ、お相手をするのじゃ」

「はい、かしこまりました」

「お、オヤジ……」

「わしはアイリスと出る。ギース、おまえは少し頭を冷やして待て。アイリス……わしと共に来い」


 アイリスは頷いて、村長についてギースの元を後にした。






 村長の後に続いて、アイリスは歩いていった。

 村の中を通ると、村中の人が笑顔を向けてくれた。

 途中、色んなものをもらった。持てない分は家へと運んでもらい、自分の手元には貴重な森の恵みである果実を残した。本来孤児である身には贅沢なその果実を齧りながら、アイリスはゆっくりと歩いていく村長と共に、村を横断し、荒れ地の臨める丘の上へと上った。


 丘の上まで至った後――しばらく無言のまま佇んでいた村長だったが、やがて口火を切った。


「……おまえは、小さい頃からよくわからんやつじゃったのう」

「よくわからない?」

「何を考えているのやら、わしにもようわからんかった。尚更近い年頃のもんにもようわからんくて、だからおまえさんは遠巻きにされていて、いつもいつも一人じゃった」


 アイリスは小首を傾げた。

 一人だった時の記憶は確かにあった。とても寂しかった。

 何かをずっと願っていたけれど、それが何だったかは忘れてしまった。

 だけどその時の自分に、誰かに疑問を持たれるような何かがあるとは思えなかった。


「私はとりたててみるべき点のない、普通の子供だったと思いますけど」

「そんなことはない。おまえさんは、とてつもなく変な子じゃった」


 力いっぱい変だと言われて、アイリスはどう反応すべきかわからず困惑した。

 戸惑うアイリスを見て、村長はふっと笑った。


「二親を失い一人でぽつんとここから荒れ地を眺めてるおまえに、話しかけたのがリーラじゃったな」

「それなら……はい、覚えています」


 親を失った直後ぐらいから、物心がつき始めたのだろう、アイリスの記憶はそのあたりから始まる。

 漫然と過ごしていた、親に庇護された子供としての日々が終わり、アイリスとしての人生が始まった。

 自分がどう生きるべきなのかわからず、まずは周囲の観察から始めた。

 その当時、自分が所属するべきだと思われる同い年ぐらいの子供のコミュニティからはどうも倦厭されているようで、どうしたらいいだろうと一人で考えたいた……ような気がする。


 そんなある日、リーラが声をかけてきてくれた。


「確か、リーラは『あなたが何考えてるのか当ててあげる! あの雲が羊みたいで美味しそうだって思っていたんでしょ!?』って」

「おまえは何と答えたんじゃ?」

「うん、その通りよって……嘘をついてしまったわ」


 アイリスが見ていたのは荒れ地だったし、雲になんて全く興味を持っていなかったし、美味しそうだとも思わなかった。

 そう答えようとして――けれど、輝くリーラの瞳を見ていたら、アイリスは嘘を吐いていた。

 直後、とても悪いことをしたような気分になって戸惑っているうちに、リーラに腕を引っ張られて、遊びにつき合わされた――


「悪い嘘と良い嘘がある。それに、そんなもんは嘘とは言わんぞ」

「そうですか?」

「冗談だとか、気の利いた返しだとか、方便だとか……おまえには難しいかもしれんが」


 アイリスには難しいこと、問題、そのせいで――アイリスはよくリーラを怒らせる。

 けれど、リーラは懲りずにアイリスに構った。

 他の人たちのように遠巻きにしたりはしなかった。

 彼女は気に障ることがあればアイリスに直接言うし、だからアイリスも、何がいけないのかはすぐに理解できた。

 何故いけないのかはよくわからなくとも……。


「リーラに恩を感じとるのか」

「恩、というのはよくわかりません」

「おまえの声は家の外まで響いておったわ……そこまでしてリーラを助けたいなら、わしはもう言わん。ただしギースはおまえが死ぬまで煩かろう」

「私が黙らせます」

「う、うむ……その手腕をあやつの妾としてふるって欲しかったんじゃが、もうここまで村に話が広まっては、誰も再選定をやることなんぞ賛成はしないだろう」


 ギースを黙らせること、それはアイリスにとっても難題だが、村長にやらせるわけにはいかない。

 そんなことをさせたら、二人の間に取り戻しようのない深い溝ができてしまうだろう。

 アイリス自身の意思で身を捧げるのだということをわからせなくてはならない。

 アイリスを助けるために彼が策略を企てるのであれば、アイリス自身が潰さなくてはならない。


「……あの荒ぶる神のことはよくわかりませんが、よい機会ではありませんか?」

「うむ?」

「このような変事において、真っ先に村長家の人間である私が犠牲を払った以上、今後村の人たちは、村長たちへ敬意を払うようになると思うんです」


 村長は返事なのか唸り声なのかよくわからない声を発した。

 アイリスは顔を輝かせて、自身が率先して犠牲になることで得られる利益の話を続けた。


「私は孤児とはいえ、ギースは私に惚れているのでしょう? 私が死んだ後誰より嘆き悲しむのは彼のはず。誰より犠牲を払ったギースを村の人たちは尊重しないわけにはいかないと思うんです。村長としてのギースに欠けているものを補うことができるのではないかと思うんです」

「……はあ、おまえさんはもう……はああ」

「村長?」

「わしは、おまえを救えなかったことが……無念でならないんじゃよ、アイリス」


 救う? ときょとんとするアイリスを、村長が抱き寄せた。

 実の息子のギースに対してさえ厳格な父親として甘えを許さない村長の胸に抱かれ、頭を撫でられ、アイリスはそのぬくもりの心地よさに目を細めた。


 死が恐くないとは言わない。

 けれど誰かが死ななくてはならないというのなら、アイリスは自分が誰よりふさわしいと思っている。

 ただし、それでもやはり、恐怖心が消えてなくなるわけではない。


 でも村長の胸の中に抱かれている今は、その僅かに残った恐怖心すら消えてなくなるような気がした。



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