最果ての村の遺児たち
今日は村中が大騒ぎになっている。
何しろ久しぶりに行商人が来たからで、その行商人は面白い話をいっぱい持ってきたからだ。
とはいえ、直接聞いたわけじゃない。
アイリスは行商人が来たまさにその時、羊を連れて放牧へ出た。
しばらく羊を追って歩いていると、遠くから同じ孤児の少女が手を振りながらやってきた。
「アイリス、聞いた? 勇者を選ぶ召霊の儀式の話!」
「……え? うん、聞いたわ」
行商人は村の偉い人たちや、ちゃんとした土地持ちの人たち、その人たちの子供に囲まれていて、アイリスたちのような孤児は近づくことさえできなかった。
ただでさえ、仕事は山ほどある。
親にちょっと言えば多少は免除してもらえるような子供の仕事ではない。孤児として、身をわきまえて粛々と行わなければならない仕事だ。
けれど、人づてに、行商人のおじさんの話は何度も聞いた。
酒浸りの三件隣のベルンさんや、日がな一日何もない西の荒れ地を眺めている変わり者のルーグおじいさんとか。
おしゃべり好きのリーラのおばさんも、アイリスたち孤児相手なら嫌な顔をせず話を聞いてもらえるのを知っているから、わざわざ危険な牧草地まで出てきてしゃべり倒していった。こんなにも厳しい土地なのに、暇な人はいるらしい。
(――不思議だわ)
ぼうっと丘の下に広がる村と、その向こうにある森を見つめる。
アイリスたちが暮らすのは最果ての森向こうの村。
後ろを振り返れば草木がほとんどない、まばらに灌木と危険な魔物が暮らすだけの荒れ地が広がっている。
「ねえ、アイリス、聞いてる?」
「聞いてるわよ、リーラ。精霊に勇者を選んでもらう儀式の話でしょ」
「そう! 今度は貴族だけじゃないのよ。身分は問わないって。農民でも、犯罪者でも、孤児でもいいんだって!」
「……あなたはどうしてそんなに興奮しているの?」
アイリスは小豆色の目を瞬かせて、興奮で顔を真っ赤にしているリーラを見やった。
きつい顔立ちの女だと村長の息子が言っているのを聞いたことがある。
けれど桃色の髪の毛が可愛いらしい、感情表現の豊かな女の子だ。
アイリスが大人しい子供だから、リーラと一緒にいるとちょうどいいとよく言われる。
リーラもアイリスと同じ孤児だった。
二人とも、随分昔に親を亡くした。
リーラには親戚のおばさんがいるけれど、アイリスにはそれすらいない。
「何言っているのよ、アイリス。孤児でも勇者に選ばれるかもしれないのよ。勇者に選ばれたのがもし孤児だったら、みんな、あたしたちにも優しくしてくれるかも」
「えっと、どういうこと? リーラが勇者に選ばれると言う話なの?」
「そうじゃなくて、あたしたちとは全然別のところにいる孤児が勇者に選ばれたらって話!」
「どうしてその孤児が勇者に選ばれると、私たちが優しくしてもらえるの?」
「はあ……あんたってホント、おにぶちゃん! 頭の回転が悪いわよ」
リーラが盛大に溜息を吐いた。
「男どもはあんたのそういうところがいいっていうんだから、あんたも可哀想」
「ええと」
「いいのよ、あんたのことはあたしがちゃあんと見てあげるから! あたしはあんたの姉貴分だもんね!」
そういってにっこり笑ったリーラの顔を見ていると、アイリスは舌先まで出てきていた言葉を飲み込んだ方がいい気がした。
(勇者に選ばれた孤児と私たちの接点は孤児だということ。孤児であるが故に勇者に選ばれたのでなければ――私たちには全く関係のない話のような気がする)
色々思うことはあったけれど、リーラが自信満々で言うのを見ていると、水を差すのは悪い気がした。
(それに、私たちは――“優しく”してもらっていると思うけど)
こういうことを言うとリーラが不機嫌になるのはわかっていた。
彼女の勘気を買ってまで言いたい言葉でもない。
口をつぐむと、また彼女が「あんたはまたぼうっとして!」と叫んだ。
「女なんだから、こんな魔物ぐらいしかいなさそうな荒れ地でも、きれいにしてないといけないわよ」
そう言いながら、リーラがアイリスの風で乱れた髪の毛を整えてくれる。
その手がとても暖かくて、アイリスは彼女の“正確ではない”と思える言葉も“正しくはない”としか考えられない認識も、そのままにしておいてあげたくなるのだった。
この話は【勇者】という名の英雄になる定めを背負わされた少女が、その役目を呼吸をするように自然にこなすためには、どんな少女である必要があるだろうかと考えて書いています。
この話は、色んな物語で様々な役目に選ばれる少女たちのように、平凡な少女が傷つき、涙しながらも成長し……といった話ではなく、ある種類の英雄としてほぼほぼ完成している思考回路を持つ少女の話です。