光を知らないままだったのなら
町の中心にそびえ立つ時計塔から聞こえてくる厳かながらも耳障りな鐘の音に瞳を開き、顔をしかめて横たわっていた体を起こす。
「もうそんな時間か……」
重い金属音の回数で現在時刻を把握し、一つ欠伸をして眠気を追い払おうとする。開け放した窓の外は薄く雲がかかっていながらも綺麗に晴れており、煌々と輝く太陽は時折その雲間に隠れては出てきてを緩慢と繰り返している。
枕代わりに頭の下敷きになっていた分厚い本が、不意に窓から滑り込んだ突風に負けてバラバラとページをめくった。紙が風に煽られて鳴らした音を聞いていると、脳裏に浮かんだのは呆れ混じりの笑い声。
『もう……そんな風に聖書を扱っていたら、神様がお怒りになって罰を与えますよ?』
共に日々を過ごしていた人がこの部屋を去ってからもう半年以上経過する。しかしその声ははっきりと思い出せるし、積み重ねた思い出は色褪せる気配を見せない。それが彼女の世界の全てだったからだ。
「この目が見えないままだったらよかったのに……」
その人物と出会う数年前まで、娘は盲目の踊り子として名高い存在だった。
産まれてまもなく視界を失ったものの、舞踊の才が人より秀でていたため両親は幼い頃から彼女を光のない暗闇の中で踊るよう指導した。やがて娘は立派に成長して有名な踊り子の一人に名を連ねることになったが、その後流行り病で両親を相次いで亡くしてしまう。天涯孤独となり彼女を守る者がいなくなったためか邪な考えを持って娘に言い寄る者が次々と増え、しまいにはその中の数人が金に物を言わせて彼女を傷物にした。
長期療養という名の解雇処分を受け、行き場を無くした娘が出会ったのが、たまたま娘の町に巡礼に来ていた神父と名乗る青年だった。
『貴女の舞う姿、さぞかし素晴らしいんでしょうね……一度見てみたいです』
そう言って神父は彼女の前で拙いギターを掻き鳴らし、つられた娘はそれに合わせて舞い踊った。そうして日に日に交流の頻度は増し、いつしか娘はその神父に恋心を抱いた。
『私、目が見えるようになりたいです』
一度だけ、娘は神父にそう話したことがある。
『それはまた、どうしてですか?』
『神父様と同じ世界を見たいのです。あなたと同じ世界を見て……その世界で、生きてみたい』
自分の世界は真っ暗で何もないから――そう続けようとしたが、なんとなく気が引けて続くはずだった言葉を飲み込む。
神父は娘の手を取り、ひんやりと冷たく細い棒――おそらくロザリオの軸をその手のひらに押し付けた。
『望むなら、私が貴女の世界を変えてあげます』
しかしそれには大きな代償を伴うと彼は語った。世界を変える決心がついたらそのお守りに願いなさい。そう言って神父は娘の首に紐をかけ、そのまま優しく抱き締めた。その温もりを、既に汚されてしまった体が今でも覚えている。
「神父様……あなたのいない世界なんて、意味がないのに……」
娘は胸を飾る十字架の首飾りを握りしめ、去ってしまった者に想いを馳せて涙をこぼす。天高く昇った太陽の光が、その雫と銀色の十字を照らしきらきらと輝かせていた。
この作品は、Twitterのフォロワーさんにおすすめされた曲を聴いてるうちに思い浮かんだものになります。
原曲を知ってる方はもちろん、知らない方にも聴いてみたいと思わせるほど楽しんでいただけたのなら幸いです。