プロローグ
私の名前は早矢。双子の妹の名前は乙矢。まだ私たちが幼稚園のときに、家に侵入してきた何者かにより両親は殺され、私たちは無傷だった。それから私たちは親戚のところを転々としてきた。小学校でつけられたあだ名は『人間回覧板』、子供というのは純粋すぎるほど残酷だと高校生になった今、思う。
手から血が出るくらいまで勉強して、どうにか全寮制の高校の入学金免除合格を姉妹揃って勝ち取った。親戚に金銭面的な迷惑をかけたくないのはもちろんあるが、それ以上に、早く2人だけになりたかったのだ。親戚が嫌いなわけではない。まさか虐待されてはない。ただ、居心地が悪かったのだ。どこにいても、優しくされても、叱ってもらっても、いつまでもいつまでも居心地が悪かったのだ。これは私たち2人の気持ちの問題だ。
これから順風満帆な高校生活が待ち受けている―実際高校生活はとても楽しかった。乙矢と同じ制服、学校に頼みこんで乙矢と同じ2人部屋、友達も出来て、最高に幸せだった。しかし、人間、幸せになると、気を抜くのも早かった。
-進路指導室。
「どうなってるんだね、この成績は!」
「いやー、あっはっは」
「あはははじゃない!!」
生活指導兼担任が、怒りを赤くして私の成績を机に叩きつける。血管切れますよ、なんて言っても笑ってくれそうにない雰囲気。というか、自分の成績の方がよほど面白い。自分で言うのも何だが、よくもまあこんなに赤点ばかり取れるものだ。
「いいか!正直私は、君が留年しようが留年が嫌で学校を辞めようが私の人生には何ら関係ないのだ!」
「ほんとに正直ですね」
「だが!君の肩書きがいかん!君は入学試験ほぼ首席で合格し、入学金を免除しているのだ!その君が1年も経たずにこの有様では、こちらの恥ではないか!金を返せ!」
「いやあ、もう、返す言葉も、あっはっは」
「笑うなあ!!」
担任の顔がもっと赤くなる。彼の言ってることはよく分かるし、弁解の余地もない。浮かれて遊んでばかりで宿題すらろくにやってない自分の結果が、この成績だ。だからもう笑うしかない。
「もういい帰れ!次、赤点取ったら留年させてやるからな!」
部屋を叩き出され、失礼します、とおじぎしようとしたら黒板消しが飛んできた。当たるかと思った。危ない危ない、ほっと息を吐くと、同じ顔だが髪が長い方―乙矢が待っていた。
「もう、お姉ちゃん遅い。また、先生馬鹿にしてたんでしょう。怒られたらひたすら謝る、これ基本だよ?」
「はいはい、すいません」
「私に謝っても仕方ないでしょう。もう、ほら、帰るよ。一緒に宿題しよう」
「えー」
「えー、じゃない」
乙矢に手を引かれるまま、帰る。彼女は私より数分遅く産まれてきただけで、私を一応お姉ちゃんと呼んでくれているが、こちらの方がよほど姉らしい。成績はキープしてるし、しっかりしてるし、何より、同じ顔なのに、昔から私よりずっともてる。
「乙矢ちゃん」
「…っ、先輩」
ひと駅向こうの男子高の3年、乙矢の恋人だ。赤い顔しちゃって、初心な妹だ。正直、恋人の男の方がうらやましい。私にはこんな顔してくれないぞこの野郎。
「映画のチケット、貰ったんだ。今から見に行かない?」
「で、でも、今日はお姉ちゃんと」
「あー、大丈夫大丈夫。行ってらっしゃい」
どん、と、軽く背中を押すと、ほらもう、恋する女の顔だ。乙矢を送りだし、私は寮に帰るなり、枕に顔を埋めて、両足をばたばたさせた。もやもやする。私は初恋もまだだが、乙矢には中学校のときからなんだかんだ恋人がいた。私より早く結婚して、私より早く子供を産んで、いつかお姉ちゃんお姉ちゃん言ってこなくなるんだろうな―
「乙矢の子供とは仲良くやろう」
我ながら情けなさ過ぎる目標を定め、私はそのまま朝まで寝てしまった。当然宿題もやっておらず、乙矢が帰ってこないことにも気づかなかった。
-数ヵ月後。第二定期試験終了。
やる気がないながらもどうにか、乙矢に叱られつつもどうにか勉強して、赤点は全教科免れた。順位は下から数えた方が早いけども。ふと廊下で面白くなさそうな担任とすれ違った。ざまあ味噌漬け、私が高笑いしながら回っていると、向こうに乙矢を見つけた。また成績上位にしては、浮かない顔だ。
「どうしたの、乙矢。具合でも悪いの」
「…わ、私…おね、おねえちゃん…私…っ…」
震えが止まらない乙矢を思わず抱きしめると、彼女の小さな声の大きな告白に、私の心臓が止まるかと思った。
―産婦人科。
場所が場所だから着替えてこようかとも思ったが、婦人科もあるから別に全員が妊娠しているわけではないから、制服でもさほど目立たなかった。そう、妊娠しているわけが。
「3か月ですね」
あった。
ドラマとかでよく聞くテンプレートのような台詞、冷静にそうですか、と返事をした私の隣で、乙矢は静かに泣き始めた。
「まだ学生さんですよね。決断は早い方が、母体も安全です。ご両親とよく相談されて、用心してお過ごし下さい」
私たちには両親がいません、とは、さすがに言いだせなかった。乙矢には私しかいない。私が乙矢の手を引いて立ち上がると、乙矢は泣きながらついてきた。
空くらい気を利かせていいのに、外は雨だった。おまけに土砂降り。診察代が思ったより高かった為、傘も買えなかった。ずっと泣いてる乙矢の肩を叩きながら、雨宿りしてる屋根の下から空を見上げる。雨はやみそうにない。
「あいつは知ってるの」
あいつというのはもちろん、乙矢の恋人のことだ。乙矢はしゃくりあげながら、頷いた。
「最近ずっと気分悪くて…なのに、よく食べちゃうし…まるで妊娠してるみたいだなって2人で笑って…そんなわけないって…ふざけて、妊娠検査薬買ってきて…そしたら…」
「…産みたい?」
「…っ、まさか!お姉ちゃんと、一生懸命、せっかく高校に入ったのに…それなのに…っ」
泣きながら、乙矢は自分のお腹を抱いていた。口が裂けても言えなかったが、その動きは既に母親のものに見えなくもなかった。
「でも…もう生きてるんだよね…映像見た…どうしよう私…人殺しになっちゃう…」
震える乙矢の隣で、私はずっと我慢してた涙を流しそうになっていた。私たちには、申し訳ないくらい両親の記憶というものがない。だからこそ、普通はあるはずだった記憶も奪ってしまった顔も知らない犯人を怨んでいる。もちろん、人殺しという罪も恨んでいる。
妊娠した子供にさよならをするということは、自分たちにとって決して難しい話ではない。手術代ももちろんだが、私たち未成年は何をするのも大人の許可がいる。両親はいない、こんなことで親戚に連絡を取れない、まさか学校にも頼めない。
そしてそこが上手く解決したとして、乙矢はきっと退学になる。うまく退学にならなかったとしても、ずっと後ろ指を刺され続ける。この子には耐えららない。そのまま学校から逃げてしまうならそれはそれでいい。けど、その後、私が学校で指差されるのではないかとずっと心配してるだろう。私は大丈夫なのに、ずっとずっと心配してるだろう。
困ったな、本当に困ったな、ただ乙矢を抱きしめるしかない、ふと、やっと雨が止んだかと思っていると、傘をさしてくれている人物がいた。乙矢の恋人だった。
「病院に行ったって聞いて」
走ってきただろう恋人の姿を見て、私の彼に対する好感度はずいぶん上がった。そして彼は、手に、くしゃくしゃの1万円札を何枚か持っていた。
「もう、おろした?半分出すよ。次から気をつけよう」
そして好感度は、今まで以上に最降下した。私は乙矢の恋人をぶん殴り、そのまま手を繋いで帰った。土砂降りの中、雨音も、男の罵声も全く聞こえなかった。ただ、乙矢の泣き声だけが私の耳に届いていた。
三日が経った。
乙矢は相変わらず何も食べず、何もしゃべらず、水を飲んでは吐いている。保健医がずっと付き添ってくれているが、当然女性だし医学的知識があるなら、乙矢がどういう状態かいずれ分かるだろう。早く何とかしなきゃ、気持ちばかり焦って何も答えが出ない中、部屋に帰ると、乙矢が起き上がって水を飲んでいた。
「乙矢!起きてて大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。ごめんね、心配かけて…たくさん泣いたら、すっきりした…」
ずいぶんやつれて、お世辞にも元気そうにも見えなかった。それでも、乙矢が立って、私の顔を見て、無理にでも笑ってくれてるだけで、十分だった。
「ちょっと歩きたいな。お姉ちゃん、付き合って」
「もちろん」
外は危ないから、夕日がきれいに見える学校のカフェに行こうということになった。どういうわけかカフェの入り口は地下にある。ちょっと冒険してるような気分になれるから生徒には好評のようだが。先に階段を降りる乙矢を見て、私の手は、気が付けば乙矢の背中へ伸びていた。
-ここで 突きとばせば 乙矢は楽になる
「お姉ちゃん」
「!」
何、今の。笑ってごまかした私を不思議そうに見ながらも、乙矢は笑って、話し続けてくれた。
「私、明日、病院に行って、さようならしてくる。親戚のおじさんに頼んだ。すごく怒鳴られたけど…でも、平気。学校辞めてお母さんになっちゃって赤ちゃんと困るより…ずっと平気」
「…乙矢」
「私、ちゃんと大人になったら…この子の分もちゃんと大事にするって決めた…それで納得した…酷いかなあ」
「…ううん。酷くなんてない。よく決心した。偉い」
「ほんと?ありがとう。お姉ちゃん大好き」
「調子いいなあ。よし、おごりだ。アップルパイでも、ショートケーキでも、好きなだけ」
ぶらん、と、私の手に乙矢の『手』がぶら下がる。何があったか理解できない私の向かいで、もっと理解できないことが起こった。右腕から腹にかけて巨大な光る槍で貫かれた血まみれの少女が、私と同じ顔をしていた。誰、あれ。
「1639。次女、死刑に成功しました。まだ子供は産んでおりません。まだ体の中かと思います。念のため、焼き払います」
耳のすぐ隣で、淡々と、何か言ってる女の声がする。私には、その女が空を飛んでいること、体くらい大きな一対の白い羽を生やしていること、私とその女以外の全ての時間が止まっていること、もう何か、全てがどうでもよかった。
「あんたが乙矢殺したの」
「…1641。報告します。長女がここにいます。死刑許可を。応答願います」
「返事は」
「1642。許可ありがとうございます。それでは死刑執行致します」
目の前の女が、乙矢を貫いた槍を抜き、私に向けて構える。その瞬間、バランスが崩れたように乙矢の死体が階段の下へ、もののように転がり落ちた。私は気が付けばそれを必死で追って、そして、やがてくるだろう槍の痛みを受け入れるべく、乙矢を抱きしめた。
-死ぬのか
誰、この声。そうだ、さっき、乙矢を階段から突き飛ばしそうになってしまったときにも、この声がした。
-死ぬのか
当たり前だ。乙矢を追うのは当たり前だ、本当は寂しがりで泣いてばかりいるあの子のことをすぐ追いかけるのは当たり前だ、なのに。
私を殺す槍を抱く白い羽。私に手を伸ばしてくれる黒い羽。私はとっさに黒い羽の方に手を伸ばし、意識を手放した。




