第7話 おなごの事情
その日、草月は朝からずっと長屋で布団に籠っていた。病ではない。月に一度の『おなごの事情』である。
藩邸には、女よりも圧倒的に男が多い。普段生活する分にはそれ程不便は感じないけれど、それでも周りが男ばかりだと少々困ることもある。
ある時など、井戸端で諸肌脱ぎの男たちに鉢合わせて(剣術の鍛錬の後だったらしい)、非常にばつの悪い思いをした。
一番厄介なのが、今日のような時だ。
心配してくれているのは分かるが、高杉や久坂が代わる代わるやって来て、病気か、熱はあるのか、医者を呼ぼうかと聞かれるのは正直、有り難迷惑だ。本当のことを言うのはお互い気まずいので適当にごまかしたが、腹の鈍痛だけはごまかせない。
(こっちじゃ、元の時代みたいに便利な用品もないし、ひたすらじっとしてなきゃいけないのがさらに堪える……。テレビもないからすっごい暇だし)
布団に仰向けになり、いつも肌身離さず持っている携帯端末を取り出して、真っ黒な画面をぼんやりと眺める。電池がなくなってしまったら、現代とのつながりが永遠に切れてしまうようで怖くて、江戸に来て以来ずっと電源を切ったままだ。
そこへ軽い訪いの声がして、伊藤が戸口からひょっこり顔を出した。
「やあ、大丈夫?」
伊藤は言いながら、手に持った茶器を草月の枕元に置いた。
「高杉さんに、草月が病気みたいだって聞いてさ」
「いえ、あの、伊藤さん。ちょっと気分が悪いだけで、病気というわけじゃ……」
「分かってるよ。病気じゃなくて、おなごの事情ってやつだろ?」
「え?」
「台所の女中に頼んで、薬湯を作ってもらったんだ。ちょっとは気分が良くなると思うよ」
差し出された湯呑を礼を言って受け取ると、白い湯気と共にさわやかな香りがふわりと広がった。
「……おいしい」
「そう? なら良かった。あ、それと、退屈してると思って、本持って来たんだ」
「あ! これ、膝栗毛の三巻ですか!?」
「うん。前に、この巻読めてないって言ってたろ? さっき、貸本屋が来てたから借りたんだ」
「わあ、ありがとうございます! 退屈してたから、すごく嬉しいです!」
(それにしても……)
草月は改めて伊藤をまじまじと見つめた。こちらに気を使わせないさらりとした態度といい、この本といい……。
「……なんで伊藤さんがもてるのか、分かったような気がします」
伊藤はかなりの女好きだが、それと同じくらい女性からの受けがいい。
「はっはー、惚れてもいいぞー?」
「見直しただけです。でも、伊藤さんって、良く気が利くって言われません?」
「小姓なんて、気が利かなきゃ勤まらないよ」
けらけら笑い飛ばして、それからふと真面目な顔をして草月に向き直る。
「……俺さ、餓鬼の頃に、俺を見込んで勉強を教えてくれた人がいたんだ。真冬だってのに夜明け前に叩き起こされて勉強させられたり、ちょっとよそ見しただけで殴られたり、そりゃあ厳しい人だったけど、その人のおかげで今の俺がある。松陰先生や桂さんに紹介してくれたのもその人だ。今は身分の低い足軽だけど、いつか士分になって、この国を動かすような大きなことをやってみたいんだ」
目を輝かせて語る伊藤は、普段のおちゃらけた感じとは別人のように見えた。
「伊藤さんなら、きっと出来ますよ」
心から草月が言うと、伊藤は柄にもなく照れたのか、くすぐったそうに鼻の下をこすった。
「へへ、ありがとう。――っと、つい長居しちゃったな。俺はもう帰るから、ゆっくり休めよ。高杉さんたちには上手く言っとくから」
「はい、ありがとうございます」
伊藤が去ると、部屋の中は急に静かになった。
(みんな、本気で世の中のこと考えてるんだな……。久坂さんも、高杉さんも、伊藤さんも。私だけが、何もない)
『それで、おのしの考えは?』
いつかの高杉の言葉がよみがえる。
(私は、過激な攘夷は嫌だと思う。でも、そのために、私に、何ができるんだろう)
草月はしばらく、伊藤の消えた戸口をじっと見つめていた。