第6話 江戸名所散策
無事、藩士達との対面も済み、草月が正式に藩邸預かりとなってから、はや半月が過ぎた。この新しい生活にもだいぶ馴染んで、もう以前のように邸内で迷子になることもない。
この日の朝、草月の姿は、藩邸の一画に建てられた藩校・有備館にあった。空き教室を利用して、久坂による個人授業を受けていたのである。
たつみ屋で高杉たちと話していた頃から感じていたことだったが、皆、時勢に対する意識が非常に高い。草月とそれほど歳は違わないのに、この国の行く末について、いつも真剣に考え、議論しているのだ。自身を顧みて、その中身の無さに情けなくなることしきりだったが、高杉の「学ぶのに遅きに失することはない」との言葉に励まされ、忙しい中、教師役を買って出てくれた久坂のもと、一から時勢の勉強を始めた。
あまり政治や歴史に興味のなかった草月にも久坂の説明は分かりやすく、おかげで、中学・高校時代とあやふやなままだった幕末の情勢について、随分と理解が進んだ。
久坂の話す要点を、まずい筆文字で四苦八苦しながら帳面に書き付けていると、高杉がふらりとやって来て、話を聞いているのかいないのか、隅で黙って本を読み始めた。
「……というのが、開国派の主な主張だ」
話が一区切りついたところで、高杉が不意に顔を上げて草月を見た。
「それで、おのしの考えは?」
「え、私ですか?」
虚を突かれて、目を瞬いた。
(考えたこともなかった――)
草月は、この未来を知っている。詳しい経緯は忘れたが、結果的に攘夷は失敗して、日本は開国する。
(でも、だから開国が正しい、っていうのは、違うよね。先のことを何も知らないとして、私なら何がいいと思うだろう)
「……私、久坂さんの言う攘夷論を聞いて、それも尤もだなあと思いました。でも、長井さんの言う開国論も良いと思うんです」
草月は考え考え話した。
「私は、外国の人がみんな悪い人だとは思えないし、戦争とかして欲しくない。だから、お互いの良いところを尊重しあって仲良くできたらそれが一番じゃないかなって……」
「個人の感情だけなら、それも可能かもしれん。しかし、実際は国と国との問題じゃ。十兵衛も、いざとなったら国を取るぞ」
「そうかもしれません。でも、実際問題を言うなら、本当に外国と戦争なんてことになって、日本は勝てますか? 外国は、蒸気船だって持ってるし、日本よりずっと文明が進んでるんですよ」
「確かに、国力に差はあるかもしれない」
草月の言葉に頷いたのは久坂だった。
「しかし、だからといって、異国に屈して易々と開国したらどうなる。日本は何でも言いなりになると、異国から侮りを受けるだろう。それでは清国の二の舞だ。それに、長崎と横浜の二港を開港しただけで、経済が著しく混乱しているんだ。全面開港などしたら、どうなるか……。そうならないためには、是が非でも、日本の気概を異国に示さねばならない」
「そっか……。単純にはいかないんですね」
早期開国は、外国からの侮りを招き、結果的に日本の植民地化という恐れがある。
かといって断固攘夷を実行しても、戦力差からみて勝つことは難しい。悪くすれば、完膚なきまでに叩かれてしまう。
では、どうするのがいいのか。
「外交で時間を稼ぎつつ、その間に国内の戦力増強に努めて、簡単に負けないようにする、ってことでしょうか……」
「言うは易く行うは難し、じゃな。幕府も今はその危うい綱渡り状態じゃろ」
強引にまとめて、高杉はううん、と伸びをした。
「そろそろ昼になる。講義はこの辺にして、外に昼飯でも食べに行かんか」
「そうだな。草月、君も行こう。今日は踊りの稽古も休みだろう?」
「えっ?」
確かに、草月は藩邸でも踊りの稽古は続けている。せっかくだから続けてみなさい、と言ってくれた桂の計らいだ。
「そうですけど、でも、駄目ですよ! 外に出て、万一役人に見つかったら……」
「その点なら心配いらん。僕らに秘策があるけえ」
「秘策?」
首を傾げる草月に、二人は悪戯を仕掛けた子供のように楽しげな笑みを浮かべた。
「来れば分かるよ」
*
「はい、これ」
にっこり笑って伊藤が差し出したのは、真新しい男物の着物一式である。深い濃紺の紬の袷に、上品な銀鼠色の袴。
「これ……?」
「いい色じゃろう? 正太郎のところで買った生地を仕立てさせたんじゃ」
「正太郎さんの? でも、どうして」
「男の格好なら、誰もおのしを見て『たつみ屋にいた草月』じゃとは思わんじゃろう? 効果のほどは、来島のじい様で実証済みじゃしな」
「……ありがとうございます」
草月は三人の心づくしの贈り物を、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「すごく、すごく、嬉しいです」
「とにかく着替えておいで。僕らは先に門のところで待ってるから」
「はい」
急いで部屋に戻って着替える。どこでどう測ったのか、着丈も袖巾もぴったりだ。達磨返しに結っていた髷は、かんざしを抜くと簡単に解けた。ざっと櫛を入れて、以前、高杉の着物を借りた時と同じく後ろで一つにまとめる。
「お待たせしました!」
とんとんと左右に髪を揺らして駆け寄って来た草月を見て、驚いたな、と久坂が感心したように言った。
「すっかり男だ。とてもおなごには見えないよ」
「えーと、あ、ありがとうございます……?」
女心としてはその言い方は少し複雑だが、当人は心から褒めているつもりのようだったので、素直に礼を言っておく。高杉と伊藤も揃って、良く似合うと太鼓判を押し、四人は連れだって江戸の町に出た。
美味いと評判の飯屋で食事を堪能すると、ついでにどこか寄って帰ろうという話になる。
「ちょうど昼からは非番だしな。草月はどこか行きたいところはないか? 買い物とか、見世物小屋とか」
「私ですか? そうですね……」
ううん、と考え込んだ草月は、あっ、と言って顔を上げた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「吉原! 吉原、行ってみたいです」
予想の斜め上を行く答えに男たちは一様にのけ反った。
「お、お前……」
「いくらなんでも」
「そこがどういうところか、知っちょるのか?」
「知ってますよ。せっかく江戸にいるんだから、一度見てみたかったんです。この姿なら、切手なしで簡単に入れますし」
嬉々とした表情の草月を見て、高杉は、まあいいか、と笑った。
「今日はとことんおのしに付き合うか」
「吉原に行くなら、ついでに正燈寺にも寄って行こう。ちょうど紅葉が見頃のはずだ」
浅草にあるという正燈寺は、品川の海晏寺と並ぶ紅葉の名所らしい。共に遊郭が近いことから、男たちが紅葉狩りにかこつけて、女遊びに行く格好の口実にもなっている。
少し距離があるからと小舟を仕立てて着いた正燈寺の広い境内は、親子連れの庶民や、供を連れた武士など、身分を問わず大勢の人で賑わっていた。
全体の色づき具合はまだ六、七分といったところだが、鮮やかな赤に染まった葉が幾重にも重なり、光に透けて見える様子は、十分に美しい。
「綺麗ですね……。惜しいなあ、カメラがあったら、絶対写真撮るのに」
草月の呟きに、隣にいた久坂が怪訝な顔を向けた時、
「すごいね、さすがは名所と言われるだけのことはあるよ」
境内を一周してきたらしい伊藤が戻ってきて言った。
「本堂の横にある紅葉なんか、樹齢三百年はあるんだって」
「えっ、私も見たい! どの木ですか?」
いつもながら早耳の伊藤に案内されて見に行くと、成程、見上げるほど大きな紅葉が立っている。長い年月を経て無造作に曲がりくねった幹は固く節くれだち、まるで仙人のような趣がある。びっしりと枝を覆った葉の色は、紅というより渋みがかった赤茶色。しかし、それがかえってこの古木の風格を引き出し、見た人の気持ちを引き付けてやまない魅力になっている。
しばし放心して見上げていた草月は、別の角度から見ようとして、ふと根元に光る物に気付いた。
「どうしたの?」
手の平に納まるくらいの小さな銀製の箱を拾い上げて伊藤に見せると、伊藤はすぐにああ、と頷いて、
「そりゃ、煙草入れだなあ。銀なんて高そうなモノ……。そういえば、さっきここで絵を描いてた爺さんがいたけど」
「きっと、その人が落としたんですよ。まだ近くにいるかもしれません。探しましょう」
「分かった。高杉さんたちにも知らせて、一緒に探してもらうよ。俺たちは入り口の方を探すから、草月はこの奥を頼む。一通り探したら、一旦ここに集まろう」
「分かりました」
*
本堂の裏手や、鐘突堂、低木の茂み。
思いつくところは探したけれど、それらしき老人の姿はない。
(こっちにはいないのかな)
諦めて古木のところへ戻ると、すでに揃っていた三人の間に、風呂敷包みを抱えた小柄な老人が立っている。
「良かった、見つかったんですね!」
駆け寄った草月に、久坂が苦笑いを向けて、
「うん、まあ一騒動あったんだけどな」
「高杉さんが見つけたんだけど、怖い顔して追いかけるもんだから、爺さん腰抜かしそうになっちゃって」
「いや、実にすまんかった」
「いやいや、あれほど驚いたのは久しぶりで大層面白うございました」
老爺は、かっかっかっと笑った。
「……して、私に御用というのは何ですかな」
「あ、そうだ。これ、あなたのじゃないですか? そこの木の根元に落ちてたんですけど」
草月が持っていた煙草入れを差し出すと、
「おお、これはこれは……」
老爺は嬉しそうに目を細めて両手でそっと受け取った。
「どこで失くしたかと思うておりましたが、いやはや、ありがとうございます。死んだ女房にもらった大事なものでしてな」
老人はとある大店の名を挙げ、そこの隠居の風斎だと名乗った。
「どうですかな。もしよろしければ、お礼に一杯おごらせていただきたいのですが」
「ありがとうございます。でも、私たち、これから吉原へ行く予定なんです」
「ほう、吉原へ。ほほ、これは益々奇遇というもの」
「え?」
「実は、私も吉原へ行くつもりでしてな。いかがです、ご一緒に?」
草月たちは、思わず顔を見合わせた。
*
延々と田畑の続くのどかな畦道を、夕日に照らされ、てくてくと歩く。
正燈寺の喧騒が嘘のように人影もまばらで、気の早い虫の声だけがりんりんと響いている。
「吉原って、もっと賑やかな街中にあるのかと思ってたんですけど、こんな町はずれにあるんですね。ちょっと意外です」
「いくら幕府公認とは言え、市中に堂々と遊郭を置くわけにもいかんのじゃろう。けど、実際に中に入ったらたまげるぞ。まさに別世界じゃ」
そう言われて、いやが上にも期待が高まる。
立派な柳のある急な曲がり角を曲がると、突如目の前に、真っ黒で厳めしい巨大な門が現れた。
吉原大門である。
くぐると一転、まばゆいほどの赤が草月を迎えた。
朱塗りの柱に、赤い提灯、色鮮やかな着物に身を包んだ遊女たち。真っ直ぐに伸びる大通りの両脇にいくつもの見世が並び、一夜の夢を求めてやって来た男たちを待っている。
「う……わあ……!」
たちまち歓声を上げて駆け出した草月は、子供のようにはしゃいでくるりと一回転した。
「ほほ、どうですか、初めての吉原は?」
「すごいです! テレビ……、いえ、読本なんかで見るのとは、全然違いますね。ずっと華やかで」
「嬉しいのは分かるが、少し落ち着け。田舎者丸出しじゃぞ」
「いいじゃないですか。高杉さんだって、初めて来た時は飛び上がって喜んでたんじゃないですか」
「僕はそんなことはしちょらん」
「俺は桂さんに連れて来てもらった時、しばらく口開けて突っ立ってたなあ。なんか圧倒されて」
「俊輔は花魁に見惚れてただけだろう」
「それもあります」
「あっ、ほらほら、花魁行列ですよ! 綺麗……」
目の前を、禿に先導されて、豪華な衣装に身を包んだ花魁がしゃなりしゃなりと歩いていく。
ほうっとため息をついて見送って、草月たちは風斎の案内で、仲ノ町の中程にある『たまの屋』という中見世に入った。
風斎と主は顔なじみらしく、一行はすぐに二階の通りに面した部屋に通され、夕霧という名の遊女が敵娼として席にはべった。
「夕霧でありんす。どうぞよろしゅう」
年は草月とそれほど変わらないようだが、ちょっとした動作や視線のやり方が何とも艶っぽく、同性の草月でさえ赤面してしまう。
程よく酔いが回ってきたところで、風斎がおもむろに風呂敷の中から一枚の絵を取り出して夕霧に差し出した。
「忘れないうちに渡しておこう。約束の姿絵だよ」
「まァ、嬉しい。待ちかねておりんした」
夕霧は、ぱっと童女のように目を輝かせた。
熱心に見入る夕霧の横から草月たちも覗き込む。
そこには、広々とした川に舟を浮かべ、月見を楽しむ夕霧らしき女性の姿が色鮮やかに描かれていた。
「わあ、上手! 風斎さんは、絵師なんですか?」
「そう大層なものでもありませんよ。小さい頃から絵を見るのや描くのは好きでしたが、長じてからは仕事が忙しくてすっかり筆が遠のいておりました。たまの道楽で掛け軸などの骨董品を買ったりするくらいでしてな。こうして隠居したのを機に、暇に任せてまた描いておるんですわ。まあ、年寄りの道楽です。前に酔って絵を披露したら、花魁たちから絵姿を頼まれるようになりましてな」
「ご隠居様の絵は、わっちら女郎にとっては大事な宝物なのでありんすよ。春なら墨堤の花見、夏なら両国橋の花火というように、絵の中だけでも、わっちらを外へ連れ出してくれる」
そう言って夕霧は愛おしそうに絵を胸に抱いた。
他にも、先ほどの正燈寺の紅葉を描いた絵を始め、風景を描いた水墨画などが十数枚あり、そのどれもが玄人はだしの出来栄えだ。あれもいい、これもいいと品評していると、突如吹きこんだ風が、床に置いた絵をふわりと舞い上がらせた。
「――いけない!」
伸ばした手より一瞬早く、数枚の絵が無情にも格子の隙間から外へ飛び出した。慌てて外を覗くと、ちょうど通りかかった男が絵を拾い上げるところ。
「すみませーん、それ、」
私が落としたんです、と続けようとして、二の句を失った。男はぎくりとしたようにこちらを見ると、あろうことか脱兎のごとく逃げ出したのだ。
……絵を持ったまま。
「え⁉ あ、ちょっと!」
「どうした?」
「あの人が、絵を持って行っちゃったんです」
「何じゃと!」
高杉は男の姿を確認するや、疾風の如き勢いで部屋を飛び出した。
「待ってください、私も行きます! ――すみません、すぐに取り返して来ますから!」
草月も高杉を追って階段を駆け下りた。
通りへ飛び出した途端、
「――おっと、危ねえ!」
「あ、ごめんなさい!」
出合い頭に男とぶつかりそうになって、慌てて頭を下げる。そのまま泥棒を追おうとし――、はっとして振り返った。
「すみません、おじさん! それ、貸してください!」
*
男を追う高杉は、いつしか仲ノ町の大通りを脇に逸れ、西河岸に近い通りへ入っていた。この辺りは、吉原の中でも最下級の遊女がいる切見世が所狭しと建っている一画である。
(確かこの辺りに逃げ込んだはずじゃが……)
薄暗い上に人混みに紛れて見失ってしまった。立ち止まり、息を整えていると、
(――!?)
不意に横合いから、鈍く光る刃が突き出された。危ういところで避けて、さっと腰に伸ばした左手が空しく空を切った。
(しまった、刀は店に預けたままじゃった!)
その一瞬の隙を突き、背後から新手が襲い掛かってくる。
(仲間がいたのか!)
相手が一人ならともかく、丸腰で二人相手となると少々やっかいだ。
――と、
「高杉さん! これ使ってください!」
声と同時に、なにか棒のようなものがこちらに飛んでくる。
咄嗟に受け取り、さっと構えて――、
「なんじゃこれは!」
思わず叫んだ。
棒手振りが使う天秤棒だ。おまけに魚臭い。
「しょうがないでしょう、それしかなかったんですから!」
言いつつ草月は、どこから取って来たのか桶の蓋を楯代わりに構え、逃げ道を塞ぐように通りに陣取った。
それからはあっという間だった。思わぬ援軍にうろたえている男二人に高杉が棒を打ち下ろし、呆気なく片が付いた。
「まったく、とんだ重労働じゃ。せっかくいい気分じゃったのに」
高杉はぶつくさ言いながら、男の懐から風斎の絵を奪い返した。
「あれ? こっちの絵、風斎さんの絵じゃないですよ」
風斎の絵に交じって、古びた数枚の山水画が出てくる。
墨の濃淡だけで巧みに対象を表現し、余白を最大限に生かした構図。落款には探幽の文字。
「ほう、こりゃ狩野探幽か」
「探幽? 聞いたことがあるような……。それって確か有名な絵師ですよね? 何でこの人たちがそんな凄いもの……。まさか、これみんな盗品だったり!?」
「いや、よく見ると筆が荒い。贋作じゃろう。おおかた、表装でもして、吉原に来る金持ち相手に高値で売り付けちょるんじゃろう」
図星だったのか、男二人は萎れた様子で座り込んでいる。
すぐ脇を客やら男衆らが通り過ぎて行くが、もめ事は日常茶飯事なのか、草月たちを気にする者は誰もいない。
「あのう、さっきはどうして逃げたんですか? 普通に拾って返してくれたら、贋作のことも分からなかったのに」
「へえ、それが、あの絵が落ちているのを見て、自分が落っことしちまったのかと慌てちまったんです。そこへ、お侍様から声をかけられて、気が動転しちまって……」
「馬鹿、おめえ、そんな肝の小せえことでどうする。だから絵もちっとも売れねえんだ。もっとしっかりしやがれ」
「そういう兄貴だって、口止めついでに有り金巻き上げてやろうなんて欲を起こすから、捕まっちまったんじゃねえっすか」
ぽんぽんと拍子良く交わされる会話は、まるで滑稽な芝居でも見ているかのようである。
「おのしら、よくそれで今までやってこれたのう」
高杉が心底呆れたように言った。
「それで、この人たちどうするんですか」
「放っちょけ。番所に突き出す義理もなし、絵が戻ればそれでええ」
その言葉に、兄貴と呼ばれた方ががばりと顔を上げた。
「え、いいんですかい」
「単に役人が嫌いなだけじゃ。これに懲りたら、少しは真っ当に働くんじゃな」
「そうですね。二人ともこんなに息が合ってるんですから、それを生かさないのはもったいないですよ」
ぽかんとしている男たちを残し、高杉と草月は来た道を引き返した。途中で天秤棒を返して『たまの屋』に戻ると、店の前で久坂と伊藤が待っている。取り返した絵を見せたにもかかわらず、なぜか浮かない顔のまま。
「実は、夕霧の姿絵が見当たらないんだ。盗まれた絵の中に入っているのかと期待したんだが。……この辺りは粗方探したから、遠くに飛ばされてしまったんだな」
「そんな……。夕霧さん、あんなに喜んでたのに」
「仕方がない。正直に話すしかないじゃろう」
肩を落として戻った四人を、夕霧は優しい笑顔で迎えた。
「皆様、わっちなんかのために骨を折ってくださって、ありがとうござりんした。風斎先生にも、あんなに綺麗に描いていただいて、わっちは幸せ者でありんす。縁があれば、またあの絵に巡り合うこともありんしょう」
内心はきっと辛いだろうに、それを押し隠し、艶やかに微笑んで見せたのは、さすがの吉原遊女の矜持だった。
もう少しいると言う風斎を残し、草月たちは後ろ髪を引かれながら吉原を後にした。
*
それからしばらくして、風斎から嬉しい便りが届いた。
夕霧の絵姿が見つかったというのだ。
何でも、あの日吉原に遊びに来ていたある商家の若旦那が拾い、絵姿の本人に会ってみたいと訪ねて来たらしい。二人は初対面の時から話が弾み、ゆくゆくは身請けの話も出るのではないか、という話だった。そして、これを聞いた遊女たちの間で、風斎の絵が縁結びのお守りとして評判になり、今では自分の絵姿を描いて欲しいという依頼が後を絶たないらしい。
風斎の文からは、困ったと言いながらも楽しそうな風斎の様子が伝わってくる。
「良かったですね、夕霧さん」
「災い転じて福となす、か。人の縁とは分からんもんじゃな」
「あーあ、俺にもいい女との出会いがあればなあ!」
しみじみ呟いた草月と高杉の横で、伊藤が愚痴をこぼすと、久坂が「案外あるかもしれないぞ」と、文に同封されていた絵を見せた。
「強力なお守りがあるからな」
――そこには。
正燈寺で紅葉狩りを楽しむ草月ら四人の絵姿が描かれていた。