テロリスト、襲撃
教室の窓からなんとなく空を見上げていると、白い雲がまるで空の模様を描き出しているかのように離れてはくっつき、綺麗な絵を作りだしていた。
青いキャンパスに白い絵の具。
どこまでも均一に広がっている大空の果ては地平線のかなたに消えて。
狭苦しい教室のことなど忘れてしまいそうになる。
数学の教師である山谷が教科書通りの公式を黒板に写している。ノートを真面目に取っているのは半分くらいだろうか。あとは眠っていたり、携帯をいじったりしてまるで授業を聞いてはいない。
別にかまわない、とおれは思う。
テストの点さえ取れていれば、いくら授業を聞いていなくても成績は取れる。教師が教えることなんて、問題集の開設程度のレベルなのだ。要領がよければ学校に来なくても勉強はできる。
「新堂、ここの問題解いてみろ」
ぼんやりとしていたのが目に付いたのだろう。
山谷はおれを指差すと、教科書の例題を黒板に回答するよう言った。
「はい」
ちょっとだけ教室中の視線がおれに集まる。普段から目立たないように過ごしているおかげで無関心の中心を維持することができていた。いじめにあうこともなく、友達がいないわけでもなく、かといってクラスの人気者になるわけでもなく。
絶妙な位置取りだ。
公式通りに問題を解き終え、席に戻る。
「よし、正解」
おれは再び窓の外を眺める作業に戻ると、一度だけ時計に目をやり、終業のチャイムが鳴るまでの時間を確認した。あと半分ほど。ここからが長いのだ。
そう思っていた。
それが長い長い一日の始まりになるとは、誰一人として想像していなかったのだから。
階下からけたたましい足音が聞こえてきたのは、授業が終わる十分ほど前のことだった。クラスにはもう終わりを待ち望む雰囲気が蔓延していて、みんながちらちらと時計を盗み見てはため息をついていた。
そんな中だったから、教室の外から聞こえてきた喧騒に注意を向けていたのは自然な成り行きだったろう。
黒服に身を包んだ男が銃を持って教室に入ってきたとき、まるで映画のワンシーンのように時間が止まった。ありえない非日常に出会うと、思考がストップする。人はそれを時間が止まったと錯覚するのだ。
なにこれ? と誰かが呟いた。
ドラマか何かの撮影だろうか。それとも避難訓練の一環か。
山谷の表情を見れば、そんな陳腐なものでないことは明確だった。あっけにとられた顔をしている。まるで幽霊に遭遇したような感じだ。
「静かにしろ。騒ぐな」
どすの利いた声。
どこかの教室から悲鳴が聞こえた。それと呼応するように女子が一斉に甲高い叫び声をあげる。
椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、我先にと逃げ出そうとするクラスメイト達の目の前で、天井に向かって放たれた威嚇射撃の乾いた音が響いた。
「騒ぐんじゃねえ!」
続いてもう一発。
銃弾で蛍光灯が割れ、飛び散ったガラスが頭上に降り注ぐ。何人かが頬を切ってしまい、傷口からうっすらと血がにじんでいるのが見えた。
それから訪れる耳が痛くなるほどの静寂。
「カーテンを閉めろ。それから机を全部後ろにやるんだ。早くしろ」
おれは欠伸をして、興味がないようなふりをしておきながら、内心では湧き上がる興奮を抑えきれないでいた。学校を襲撃するテロリスト! それもかなり計画的だろうと推測できる。複数の、あるいはすべての教室を同時に占拠し、情報が外部に漏れないうちに遮断するその手際はお見事だ。
彼らはかなり手慣れた連中だ。おそらく人数もかなりいることだろう。
銃を向けられたおれたちに為す術があるはずもなく、男子連中が机を教室の後方に運び、教師の山谷は手足をロープで縛られたうえ口には猿ぐつわまでかまされてしまい、教室の隅にダルマのような姿で転がされていた。
ざまあみろ、とちょっとだけ思った。いつもは偉そうにしている教師が無抵抗に拘束されている図式はなかなか皮肉だったから。
それからおれたちは教室の中央に集められ、座らされた。
女子の何人かはすすり泣いていたが、テロリストの男はさして気をとめた様子もなく、インカムでしきりに連絡を取り合っている。その会話を聞くところ、うちの学校はさしたる抵抗もなく制圧されたようだった。
防衛大でもなければ突然のテロリストの襲来に耐えられるところなんてあるまい。下手に抵抗して負傷するほうが問題だ。
男子のほうは拳の一つも握ることができず、面目もつぶされてどこか気まずい空気が流れていた。普段はうるさいくせに、いざという時にはあまりにも無力だ。危機感が薄いせいか、恐怖と言う感情はまだ影を潜めているのが幸いだろう。
それよりも……気にかかるのは彼らの目的だ。
学校を丸々占拠してしまうという大掛かりなことをやってのけるのだから、相当大きな要求を送りつけるのが道理だ。だから金とか、そういった野暮なものを求めているわけではないはずだった。
あまりにもリスクが大きすぎるのだ。
下手に死人を出したりすれば機動隊の突入を早めるだけだし、逮捕された際のことも考えるとなるべく罪状は軽いほうがいい。銃刀法違反と監禁。さしあたってはこれくらいだろうか。それほど重い罪にはならないだろう。
テロリストは通販で売っていそうな黒い覆面をかぶり、目だけを出して教室をにらんでいる。両手で抱え込むようにして持っている重厚感のあるそれはMP5だろう。マシンピストルとも呼ばれる、短い機関銃のことだ。
普通の拳銃と違ってかなり値が張るから、テロなどではあまり使われないはずなのだが。
……よほど自信があるということか。
全身は黒い服で覆われ、防弾チョッキを着込んでいるためか着膨れして実際の体格より大きく見える。機動性はあまりすぐれていないだろうが、生身で立ち向かうには強力すぎる装備だった。
「――よし、わかった」
黒服の男はそう言うと、無線を切った。脅すように銃を構えながら、教室を見回り始める。
「おい、このクラスの生徒は全部で何人いる?」
そう尋ねたのは逃亡者がいないか確認するためだ。とっさに逃げられて、警察に駆け込まれでもしたら厄介だし、内部の様子を密告される恐れもある。
全ての人間を支配下に置いておきたいのは当然の反応だった。
「33人です」
そう答えたおれを教室中のクラスメイトの視線が貫いた。
このクラスの生徒は32人。そして、今日は一人の欠席者もいなかったのだから。
「本当か?」
動けなくされている山谷に向かってテロリストが問いかける。その後ろから、おれは睨みつけるような威嚇を送りつけていた。恐怖に怯えた山谷は自分の頭で考えることもせず、ただ大きく首を縦に振る。
一人ずつおれたちの人数を数え、何度か首をひねった後、テロリストはもう一度尋ねた。
「おい、本当に33人なんだろうな」
「はい」
「休みはいなかったのか」
「はい」
反応は早かった。
インカムにむかってどなりつけるように「一人だけいない!」と報告すると、今度はおれたちに向き直る。その両目は焦っているようにも、怒っているようにも見えた。
「誰がいない?」
「渡辺くんです」
どこにでもいそうな名前だが、偶然にもおれたちのクラスに渡辺くんは存在していない。――つまり、これは大ウソなのだ。隣に座っている谷繁くんはまるで宇宙人を観察しているかのような注意深さでおれを見つめているし、反対側の堀内さんは今にも泣きだしそうだ。
このウソがばれたら殺される。
余計なことを。何考えてんだ!
そんなことを口に出すわけにもいかず、おれは非難のまなざしを一身に受けることとなっていた。
テロリストは顔を近づけておれに質問する。声が震えていた。
「そいつがどこへ行ったかわかるか」
「教室にあなたが入ってきたとき、一目散に逃げて行きました」
「……くそったれ!」
そう、これは彼の過失ということになる。教室を一斉に占拠して身動きを取れなくさせるのが彼らの作戦だったなら、その包囲網をかいくぐって逃げ出した不安要素が校内をうろついているのは不都合極まりないのだ。
おれは黒服が動揺しているのを逃さず、たたみかけるように提案する。
「あの、おれ探すの手伝いましょうか? 変なことをしたやつのせいで殺されちゃたまんないし」
「いや……それは……ちょっと待ってろ」
男はそう言うと無線でなにやら本部と交渉し、しきりにうなずいていた。
おそらく学校の見取り図などは頭に入っているのだろうが、実際に学校で生活しているおれたちのほうが詳しいのは当然だし、隠れやすい場所なども把握している。
不慣れな環境でのガイドの存在は大きい。大げさかもしれないが、彼らにとってはアウェーなのだ。
「おまえだけはついてこい。残りはここでじっとしていろ。俺が帰ってきたときに少しでも不審な動きがあったり、誰かがなくなっていればこいつともう一人を殺す。いいな」
まるでライオンを前にしたウサギのようだ。
少しでも黒服の圧力から逃れようと、身をすくませて震えている。
テロリストと一緒に教室を出る直前、おれは気付かれないようにウインクを送った。銃を持った男が一時的にせよいなくなる。これだけでも心理状況はかなり楽になるのだ。
「お前だったらどこに隠れる」
二人きりで無人の廊下を歩いていると、どういうわけだか親近感がわいてきた。
おれにとってもクラスメイトを人質に取られているのはつらい。この状況でのハッピーエンドはだれも傷つかずに助かることだ。怪我ならまだいいが、死んでしまってはシャレにならない。
なにしろ凶器は銃なのだ。ほんの少し当たり所が悪かっただけであっという間に天国への片道切符が手に入る。
「そうですね……たとえば図書室とか、トイレとか。あるいは隙をついて校庭なんかにもいるかもしれませんね。校門なんかは封鎖してあるんですか?」
さりげなく情報を聞き出そうとするものの、黒服もそこまで甘くはないようだった。
「トイレはどこだ」
と、はぐらかされてしまう。
実際は渡辺くんなどいないのだから、どこを探しても見つかるはずはない。
おれが黒服を教室から連れ出したのは彼の様子を逐一観察するためと、学校の状況を把握するためだ。それらしい場所を提示して連れまわし、なるべく多くの情報を収集する。
現代の戦いは火力ではなく、情報戦だ。
銃を有する相手に対して、こちらは素手だ。人数と地の利。それをどう活かせるかが勝敗を左右する。おれは横目で物陰を調べる黒服を見やると、ひそかにほくそえんだのだった。
うちの学校は校庭を囲むようにしてコの字状に校舎が建てられている。
体育館とプールは少し離れた場所にあり、そこへ行くためには校庭を横断しなければならない。テロリストたちが人質を体育館に集合させないのはそのためだろう。
銃を使わずに校庭の警備をすることは難しい。一人が逃げ出そうと試みればそれにつられて大勢の生徒が脱走しようとする可能性もある。そうなってしまっては近隣住民の目を気にせざるを得ない状況下、テロリストたちは撤退を余儀なくさせられるだろう。
教室に閉じ込めておくのは一見非効率のように思えて、意外と理にかなった作戦なのだ。
教員室は昇降口のすぐそば、一階にある。真っ先に制圧されたのはここだろう。おそらく警備会社への連絡もさせてもらえなかったはずだ。
その上、教員のほとんどは授業に出払っていて、残っていた大人は少なかった。襲撃するには完璧なタイミングだ。
トイレと階段はコの字の角に配置してあり、理科室や調理室は教室とは違う方角、つまり正面から見て右手側だ。音楽室や購買は左手側にある。三階建ての校舎は全てのカーテンが閉め切られ、外から内側がうかがえないようになっている。
おれたちは最初、教室を出て左――つまり理科室の方面にむかって探索を始めた。
調理室や理科室のほうが武器になりうるものがたくさんある、とおれが言ったためだ。危険な薬品や包丁がしまわれているところに立て篭もりたくなるのは自然な心境だろう――という説得をして、黒服も納得したようだった。
ちなみに、図書室は音楽室側の一階にあり、窓から逃げ出すことは容易なのだがそのことは黙っておいた。
「……どこにもいないぞ」
いらだった様子で黒服がおれをなじる。
それはそうだ。架空の渡辺くんを見つけるよりもUFOを発見するほうがまだ簡単というものだ。
「ひょっとすると、もう逃げちゃったかもしれませんね」
おれたちは部活の備品などがしまわれている倉庫を調べていた。そこには体育の授業で使うとび箱や金属バットなどもしまわれている。気づかれないように縄跳びを抜き取ると、おれはバスケットボールの詰まったかごを調べる黒服に声をかけた。
「……渡辺くんはおれたちを置いて逃げ出すような卑怯者ですから、プライドを捨てた場所にいるかもしれませんね」
「プライド?」
「あれですよ――男子禁制の」
女子トイレ。
「――お前たち、まだそんなことにこだわっているのか?」
呆れたような声。おれたちは男子トイレしか調べていなかった。
「まあ高校生ですし。そんな空恐ろしいことはできませんよ」
「そういうものか」
「個室だらけですしね。調べればすぐに見つかるでしょう」
おれとしては女子トイレに入ることくらいなんともないのだが、ここは純情な男子高校生を演じることにする。
トイレの前に来ると、おれは黒服に道を譲った。目だけで嫌そうな表情を返してくる。
「お前はここで待っていろ。ちょっと調べてくる。逃げ出したらクラスメイトがどうなるかわかっているな?」
「もちろんですよ。おれもお通夜に出たくはありません」
笑顔で送り出すときの気分は、まるで新婚の奥さんだ。黒服が女子トイレの角に消えていったのを見て、後ろのポケットから隠しておいた縄跳びを取り出す。
安価で売っているゴム製のやつだが人の首を絞めるには充分な強度だ。
おれはそっと足音を殺して黒服の背後に忍び寄り、襲いかかるようにして縄跳びで首のまわりを覆うと、一息にしめあげた。
くぐもった悲鳴。
必死に縄をほどこうと抵抗するが、長すぎる銃が邪魔になって思うように身動きが取れず、やがてぐったりと気を失ってタイル張りの床に倒れこんだ。
死んではいない。気を失った後、もう数分ほど気管を圧迫し続けないと人は死なないものなのだ。
今の状態はただの酸欠である。
防弾チョッキなどの服を脱がせ、武装を解除してから黒い覆面をはぎ取る。インカムを奪うことも忘れない。これが重要なのだ。
両手両足を縄跳びで縛り、口にはトイレットペーパーを詰め込んでその上から持っていたハンカチを巻きつける。鍵のかかる用具入れに気絶した元黒服を放りこむと、おれは無線を開いて渡辺くんを発見したと報告した。
「……ちゃんとおとなしくしていたようだな」
教室のなかにいる生徒たちは肩を震わせて怯えていた。テロリストと一緒に架空の渡辺くんを探しに行ったはずの新堂の姿はなく、銃を持った男だけが帰ってきたのだ。
なにをされるかわからない。
本能的な恐怖がすすり泣きの響く小さな教室に蔓延していた。命の危険を感じる恐怖が。
その様子がおかしくて、おれはつい笑い出してしまった。
「――なんてね」
覆面を取る。
ガスバーナーで溶かされた氷みたいに、張りつめた緊張が消えていく。どこからともなく安堵のため息が漏れた。
「何やってんだよお前。急に変なこと言いだしやがって。渡辺って誰だよ?」
緊張の糸がぷっつりと切れてしまったためか力の抜けた風に神崎くんが笑いかけた。
おれは親指を立てて応える。
「とりあえずあの黒服をおびき出さないといけなかったからね。今は拘束してトイレにしまっておいたよ」
それより……と教室を見回す。
「誰も逃げてないよな」
「みんな怖くてそれどころじゃなかったの。新堂が馬鹿なことをするからみんな殺されちゃうんじゃないかって……ユカコなんてずっと大泣きしていたんだから」
気の強い黒崎さんが詰め寄る。
おれはごめん、と素直に謝った。女の子を泣かせていい正当な理由はプロポーズだけなのだ。
「みんな、歩けるか?」
クラスメイト達に尋ねる。キョトンとした表情の彼らに、おれはこう言い放った。
「これから奪還作戦を始める」
「新堂! こちら第1班! 音楽室の解放に成功しました!」
「了解。インカムを本部に」
高校とはいえ、携帯電話くらい誰でも持ってきている。
テロリストたちのように無線で、というわけにはいかないが学生には学生なりの通信手段があるのだ。
続いて着信。
「こちら第2班。2B教室の制圧に成功! けが人はゼロです! 引き続き2Aの鎮圧にかかります」
「了解。気をつけて」
並べられた学習机の上には戦利品のインカムが所狭しと置かれている。時々、定時報告をするために声色を装って異常なしと声を吹き込むのも忘れない。
黒板に描かれた学校の見取り図には制圧を意味するバツ印が次々に足されていき、着実に勢力を伸ばしていることを示していた。
「新堂、性格変わってない?」
クラス委員でしっかり者の白谷さんにはおれの補佐をお願いしている。刻一刻と変化する戦況を正確に把握するためだ。本部である教室にはおれと白谷さんの二人だけが残り、あとは対テロリスト戦に回している。
「そうかな?」
「そうだよ。いつもはこんなにイキイキしていないでしょ」
「今はしてる?」
「後ろを任せられるくらいには頼りがいがあるかな」
こんどは第3班からの連絡が入る。技術室が無人であることを確認したらしい。これで校舎の3階は全て支配下に置いたことになる。敵の本陣は教員室であるから、気取られない範囲から徐々に陥落させていくのが作戦だった。
救出した教室にいる生徒をつかい、さらに大規模な作戦をとれるようになるのが強みだ。
最初の何回かさえ成功すれば、奪ったけん銃などで脅し、抵抗することなく制圧することができる。その何回かはおれが赤子の手をひねるように鎮圧したが、あとは防弾チョッキを着込んだクラスメイト達がうまくやってくれている。
訓練を積んだものだからこそ、銃を突きつけられると動けなくなるのだ。
後ろに金属バットを持った用心棒たちが控えているとなれば威圧感は並大抵のものじゃない。
「本部より13号。様子はどうだ」
「13号より本部。以上ない」
「本部より13号。了解」
こちらはテロリスト本部との通信。
何人かの声音を使い分けることくらいなんてことない。おれは物まねにおいても天才なのだ。
「それにしてもラッキーだったわね。テレビ局のヘリや拡声器の音で喧騒が聞こえないなんて」
校門の周りはぐるっと機動隊とパトカーの群れに囲まれ、上空では何台かのヘリコプターがなんとか校舎の様子を映しだそうと懸命になっていた。
プロペラを回す断続的な破裂音が降り続いているため、多少の戦闘があったくらいではテロリストたちの耳にも届かない。安っぽい壁をつかっていて助かった。
「ひょっとしてこれも計算のうち?」
「まあね」
白谷さんに向かってウインク。……ちょっとテンションが上がりすぎたか。
気分が高揚しているのは白谷さんも同じようで、クールな風を装っているが声が弾んでいるのを隠せてはいなかった。
警察の誰かが犯人と交渉している声が聞こえる。
まるで昼間にやっている刑事ドラマみたいだ。人質を解放しろ、だのお前たちは完全に包囲されている、だのと叫んでいる。内部で異変が起こっているのは勘づいていないらしかった。
「携帯があるなら警察に電話すればいいのに。そうすればすぐに解決するんじゃないの?」
白谷さんがそう尋ねる。電話などする気がないのはとっくにわかっているのだ。
おれは彼女が黒板にチョークで新たな情報を書き込むのを見ながら言う。
「教員が人質に取られているし、もし電話なんかしたら危ないからやめろって言われるだろ。おれたちの学校はおれたちが守る。それでいいじゃん」
白谷さんは微笑するだけで何も言わなかった。
そのまま順調に制圧は進み、やがて残すは1階のみとなったとき、おれはクラスメイト達に招集をかけた。続々と武器を手にした同級生が戻ってくる。誰一人として怪我をした者はいなかった。
「みんなご苦労さん」
「大したことないって。あいつら銃を向けたらすぐに降参するんだから」
得意げに神崎君が言う。野球部でがたいもいい彼は金属バットを片手に鼻の下を掻いた。
こちらが奪った銃は数十個に及ぶ。
誰も使い方は知らないのだが、とりあえず銃口を向けるだけでも充分すぎる威嚇にはなる。中には銃マニアもいて、そいつは目を爛々と輝かせて実に楽しそうな表情をしていた。
「これで大部分を掌握したことになる。おれたちはこれから1階にある教員室を襲撃し、テロリストの確保を行う。その前にいくつかやっておくことがあるんだが……。他のテロリストはどうしてある?」
「柔道部が絞め技を決めて気絶させた。あいつらすげーよ」
「それから縄で縛ってがんじがらめにしてある。――ケンスケが妙に詳しかったけどな」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
「仲居くんの性癖はよおくわかった。ちなみにおれはあまり好きじゃない」
そう言うとおれは長いこと教室の隅で忘れ去られていた教師の山谷を運び、悪魔の笑みで問いかけた。
「ところで、テストのことなんですけど――」
ぴんぽんぱんぽーん。
間抜けな放送音が響く。
「放送室からお知らせです。只今、先生方との交渉をしております。条件は一つ。期末テストを良心的な難しさにしていただくことです。ややこしい方程式やスペルの長い英単語ではなく、ごくごく常識的な難易度にしていただけるのならあなたたちを救助したいと思います」
「なんだこれは!?」
無線から焦ったような声が発信される。
本部の人間はさぞかし驚いていることだろう。
「こちら13号……ぐぁあ!」
「どうした13号! 応答しろ!」
「7号、このくそガキ――あああぁ!」
「おい、何があった!」
「だめです! もう持ちこたえられませんうわああ!」
「ぐはぁっ!」
「ひでぶ!」
混乱と喧騒の演技はたった一人の口からメロディを奏でるようにしてあふれ出ていた。おれは両手に持ったトランシーバーに声を吹き込んでいく。
さも一斉に襲撃を受けているかのように。
「本部のみなさん、聞こえてますかあ? あなたたちは完全に包囲されています。いくつの銃口があなたたちを狙っていることでしょうね。少しでも変な動きをすれば蜂の巣ですよ。こっちは正当防衛ですから」
「……誰だ、貴様は」
「今足元で倒れている兵士さんの無線を使って会話しているのは、通りすがりの学生です。それより、くれぐれもその部屋を飛び出したりしないで下さいよ。おれたちは別に校長がどうなろうが知ったことではないので」
タイミングを計ったように天井に取り付けられたスピーカーから放送が入る。
「どうしますか? 助けるも助けないも、あなたの反応次第ですよ。もし返事がイエスなら大声で叫んでください。それ以外なら放置します。答えは5秒でどうぞ。5、4、3……」
カウントダウンが終わる前に、朝礼でよく聞く声が教員室のなかからこだました。おれは人差し指を突き出して号令する。
「全員突撃!」
その瞬間、理科室の薬品をつかって作った即席の催涙弾を投げ込み、扉を固く閉める。ただ単に言ってみたかっただけなのだ、要するに。ガスマスクではなく覆面をしていたのが間違いだった。相手が高校生だからといって油断していたのが運のつきなのだ。
窓はもちろん閉め切っているだろう。
さほど広くもない教員室にいくつもの催涙弾が投げ込まれればあっという間にガスや化学物質が充満し、呼吸がつらくなってくる。目や鼻だってただでは済まないはずだ。成分は空気よりも軽いものばかりだから、床に転がされている人質に被害は及ばない。
扉はつっかえ棒で固定してあるからどんなに苦しくても出てくることは不可能だ。完全な詰み。
しばらく扉を開けようとしたり、懸命の抵抗を見せていたテロリストたちだったが、やがて息を引き取るように沈黙した。
「よっしゃあ!」
と誰かが歓声を上げる。それにつられて万歳の声があちこちで木霊し、まるで勝鬨のように廊下に響いた。おれは待機していたクラスメイト達とハイタッチをかわしながら教員室の閉じられた扉の前に来ると、つっかえ棒を外し扉に耳を当てて中の様子をうかがう。
「……何もないか?」
おれは静かにうなずく。
その言葉がうかつだった。神崎くんが何のためらいもなく扉を開こうとしたとき、おれはかすかなうめき声のような声がしたのを聞き逃さなかった。
「いけない!」
「え?」
神崎くんの体をはじき飛ばすのと、乾いた銃声が生まれたのとは、ほとんど同時だった。
目を覚ました時、知らない天井が視界を覆っていた。
まわりには心配そうなクラスメイト達の顔が並んでいる。大きくもないベッドはおれを取り囲む連中でいっぱいだ。
「……心配かけさせやがって。最後の最後にこんなことになるなんて、どれだけ甘いんだか」
神崎くんが言う。泣き腫らしていたのか、彼の両目は真っ赤に充血していた。
悪いことをしたな、と思う。
自分が傷つくのに耐えられる人間は多いが、他人が自分のせいで傷つくのに耐えることはもっと難しい。重過ぎる責任に押しつぶされそうになって、零れ落ちてきた言葉がその悪びれたものだっただけの話なのだ。
おれはゆっくり手を伸ばし、空をつかんだり放したりしてまだ自分が生きていることを実感する。いざとなれば三途の川だって泳いで渡れそうなくらい力強かった。
明るすぎる蛍光灯に向かってつぶやく。
「――ただいま」
「おかえりなさい」
31人の言葉が、合唱した。
天国では、黒い翼をもった天使が力なく堕ちていくのを見かけた。
これまた定番で申し訳ありません。
ちょっと山場の盛り上げが足りなかったかな……と反省する日々でございます。
薬品やなんかはいちおう見せかけの論理を適応してますが、間違っている可能性も大いにあります。
そのあたりはご容赦ください。




