蟲
遅くなりました。
逃げる。
武器を用意するために。
使いようによっては傘も強力な武器となることは確かだ。
しかしそれ以上に強力で、しかもこの危機的な局面に向いた武器があるのもまた事実。
「あれはやばいって……」
走りながら考える。
おれは長距離走においても天才なのだ。息を吸うようにして走り続けることができた。
何を用意すればいいだろうか?
「殺虫剤……ゴキブリホイホイ……食虫植物……火炎放射気……そんなもんねえか」
生物が自分の意思を失いながらも生かされている状態。傀儡。
何か強いショックを受けて廃人同然になっているとか、認知症が進んでほとんど自我を失いかけているとか、そういうことでなければ心当たりは一つしかない。
それにしても、イモ虫にも認知症があるのだろうか?
老いるころにはとっくに成虫に変態しているだろうから、老人というのは羽根の生えた昆虫といったところか。
「寄生虫のパターンからして、あれは誰かに食べられるのを期待しているわけではなさそうだった」
余計なことを考える脳と、真面目なことを考える脳を分離させることくらいわけもない。器用さにかけてはだれにも負けない自信があった。
「だとすればあの後は体が破裂するなり、誰かにかみつくなり――もしくは、もっと凶悪なやつが羽化して次の産卵場所を探すか」
寄生虫たちは宿主に寄生することによって生きている。
その種類は多岐に及ぶが……イモ虫に寄生するとなると、考えられるのはこの世界でいうところのハチの一種だ。かれらはイモ虫の体内に卵をうみつけ、幼虫はその体を食い破って出てくる。このように宿主を食い散らかしてしまう種類を「捕食寄生」と呼ぶ。
これらはあまり一般的ではない。
なぜなら、寄生するものたちにとって住処となる宿主が死んでしまうのは非常に都合が悪いからだ。いわば自分でマイホームに火をつけてしまうようなものである。
中には食物連鎖を利用しわざと捕食されることで目的の宿主に寄生する手の込んだ種類もいる。
たとえばカタツムリに寄生しコントロールすることで、わざと鳥などに食べられやすい場所に誘導する。そこにカタツムリの意思はなく、ただ操られるがままの存在と化しているのだ。そして寄生虫はぬけぬけと本来の目的である鳥に寄生し、糞のなかに幼虫を混ぜることで再び糞を食べたカタツムリに寄生することができる――というサイクルを繰り返すのである。
賢いものだ。実に賢い。
さらに特筆すべきはその様相だ。
寄生されたカタツムリの目はまるで脈打つように鼓動し、今にも破裂しそうなくらいに体液が流動しているのだ。まさに狂気である。操られるというのはあまりにも残酷な行為で、戦慄する。
あのイモ虫たちの瞳は、それにそっくりだったのだ。
「おそらくは……何かが出てくる。とてつもなく凶暴なやつらが」
先頭でのたれ死んだイモ虫の最期は明らかに普通じゃなかった。あの死に方はおそらく意図的にもたらされたものだ。
となれば考えられるのは――。
「うわああああああ!」
どこかで悲鳴が上がった。
唐沢君の声に似ているような気もしたが、彼のことはさっぱり記憶から除外することにした。後ろばかり振り返っていては進むことはできない。
大通りに出ると、たくさんの人々がなんの恐怖も持ち合わせず日常の上を行きかっていた。
買い物帰りの主婦も放課後でうかれている学生たちも、数時間もすれば悲鳴をあげて逃げ惑っていることだろう。せめて命だけは助かるように神に祈っておこう。アーメン。
林立するビルのせいでぽっかりとさらに空いた黒い穴は見ることができない。そこからは今も生ける屍と化したゾンビのようなイモ虫たちが涌いている。
おれは一直線に自宅を目指して走っていた。
とりあえず屋内は無事だろう。外は近いうちに巨大な虫の飛び交う地獄絵図へと変貌を遂げるだろうが。
ガラスやなんやを壊して侵入してくるのは映画のなかだけだ。虫はガラスにぶつかって死ぬ宿命と決まっているのだから。
そうなると誘蛾灯なんかも効果的かもしれない。
両親は長いことおれを置いて海外に行っているから、現在は一軒家に一人で住んでいるという理想的な環境が成立している。籠城するにはぴったりだし、なにより大騒ぎする足手まといが減るのはうれしい限りだった。
二階建ての青い屋根をした自宅に戻ると、おれは真っ先にテレビをつけた。
はやければそろそろ巨大昆虫の話題を嗅ぎつけた局があるかもしれない。くるくるとチャンネルを変えて探してみたが、それらしい番組はやっていなかったのでパソコンを使うことにした。
速報性でいえばパソコンを使ったメディアのほうがずっとすぐれている。嘘でもなんでも書きこめてしまうから信ぴょう性は薄いけど、街中で巨大イモ虫が氾濫しているなんてダイレクトなデマを流すような偶然はまず起こり得ない。
「えーと……」
自分で作った検索エンジンにキーワードを入れ、検索する。
検索結果はほとんど表示されなかったが、つい数分前に建てられたスレッドにそれらしき言葉が見つかったので経過を見守ることにした。
書き込みはほとんどが小馬鹿にしたような発言ばかりでそれほど勢いはなかったが、時間がたつにつれて爆発的に投稿件数が増えてきた。ニュースで放送されるのも時間の問題だろうということでおれはパソコンの前を離れ、自室のベッドに横たわった。
枕はゲルマニウムの入った低反発のやつだ。どこかの通販で買ったおまけで付いてきたものらしいのだが、使い心地がいいので胡散臭い効果はともかく枕としては重宝していた。
物思いにふけるときはベッドに身を任せて目をつぶっているとよく集中できる。しばしばそのまま寝てしまうのが欠点だが、その時は夢のなかで考えればいいだけの話だ。
「最悪の想定」
地球が滅びる。それはやりすぎだ。自衛隊だって出てくるだろうし、悪ければアメリカあたりが核でもほうりこんで事態が拡散しないうちに収束させようとするかもしれない。
もっと現実的に。
街一個くらいは食いつくされるだろうか。それもないだろう。いくら数が多いといっても人間だって黙って捕食されるほど甘くはない。馬鹿は多いが、本能だけは信用できる能力だ。
イモ虫は人間サイズだった。
そしてここに生のイモ虫はいない。変わりに卵をうみつけられる生物が必要だ。
大きさも同じくらいで、栄養がありそうで、そしてたくさん生息していること。
ヒトは完ぺきな対象だ。これ以上ないくらいに条件が整ってしまっている。皮肉なことに。
おれはリビングに戻るとニュース番組を探した。どこもかしこも突如として空の割れ目から降ってきたイモ虫たちのことを報道していた。さらにいくつかのカメラは空を舞うハチのような生物をも映し出していた。
獰猛そうな大きな口に、体長の倍はあろうかという透明な四枚の羽根が印象的だった。ハチとトンボを掛け合わせたような姿だ。胴体は漆黒を思わせるように黒く、夜になったら闇に溶け込んでしまいそうだ。カメラの前をかなり高速で横切っていく。
イモ虫よりも体は小さいが、それでも小学生くらいの大きさはあり、人間にとっては十分恐怖の対象となる気持ち悪さを兼ね備えていた。
アナウンサーが絶叫に近いような声で現場をレポートしていたが、本質からはかけ離れていた。それよりも、早くヘリコプターをどけたほうがいいだろう。寄生虫がプロペラに引っかかって墜落しかねない。なにしろ大きさが大きさだから、一匹が気まぐれに突撃しただけでも大惨事だ。
マスコミの意義は報道にある。
はやいところ災害救助しかしたことのない自衛隊を出動させたほうがいいと政府に催促することだ。世論が大きくなれば国はそれを放置することができない。命の危険が出てきたとなればなおさらだ。
現場の周辺には物好きなヤジ馬たちが群がり、しきりに叫んだりイモ虫の死体を覗き込んだりしていた。
この後の悲劇はまあ、語るほどでもない。
空から降りてきた寄生虫の一匹が野次馬の一人をかっさらい、さんざん引きずりまわしたうえでかぶりついたのだ。おそらくそうやって数日間は栄養をため込んだ上で産卵するのだろう。猶予は一週間くらいか。
テレビ放送の映像は突然打ち切られ、スタジオに集められたアナウンサーや評論家たちが唖然としたまま愚にもつかない予想をひらけかしていた。
「これは宇宙人の侵略に違いありません。あの生物は兵器であり、道端に転がっているのはそれらを運搬するための乗り物です」
「いや、某国の核実験の結果、突然変異で出現した個体でしょう」
「ゴミ問題がすべての原因です」
「どうして日本なんですか? 韓国じゃだめなん――」
などなど。
普段からとにかく万民受けするための意見を述べているようなやつらが異常事態に対応できるはずもなく、どこもかしこも大混乱の議論ともつかない憶測を述べていた。
そういえば、こういう場合はどの大臣が対応するべきなんだろうか。
国民が襲われているのだから、防衛省が出てくるのが一番妥当のようにも思えたが、きっと各省庁が責任を押し付けあって一向に決まらないのだろう。
いきなり宙から現れる寄生虫に対策を思いつけるような人材は、まず大臣クラスにはいない。
そもそも考えたこともなかっただろう。それが普通だ。
大真面目にUFOの研究をしている機関を設置するくらいの柔軟性がないと、不測の事件には対応できない。
その夜、非常事態宣言が発令された。
「ああ、うん、大丈夫だから」
親からの国際電話を切ると、おれは大きくため息をついた。心配なら海外なんて行かなければいいのに。
幸いなことに寄生虫は夜行性ではないようで夜の間は一時の平穏を保つことができた。
テレビでは夜中だというのに首相が記者会見を開き、各局は番組編成を大幅に変更してその会見を中継していた。
だれの責任でもないものを押し付けられた首相はたまったものではないだろう。額には玉のような汗が浮かび、その頼りなさが際立っていた。
「えー、このたびは突然、未確認生物が日本国内に出現し、尊い人命も失われてしまいました――」
と長々述べたうえで首相は、自衛隊の出動はいつでもできるようにしておくと言った。
人が死んでいるのだから早急に軍隊を出すべきなのだが、日本という国の特性上、武力の行使はなるべくひかえなければならないのだ。
とくに火器の使用は最大の回避事項となっている。
警察官が威嚇射撃をしただけで何枚も書類を書かされ、そのたびマスコミに報道されるくらいだ。
学校からも連絡網が回ってきて休校だと伝えられた。
おれにその用件を伝えた生徒がやけに浮かれた口調だったのは学校が休みになっただけではないだろう。
平和になりすぎると、とにかく刺激を求めたくなるものなのだ。
朝になるとどこからわいてきたのかやつれた顔をした若者たちが街を徘徊していた。しきりに上空を見上げ、何かを探しているようだった。
あ、と一人が指差した方向には起きたばかりで腹ペコの寄生虫が餌を探して飛んでいた。
そのとたん一斉に大声を出して騒ぎ始める。……どこまで頭が悪いのだろう。
案の定、カメラを片手に写真を撮りまくっていた一人が道端に引きずり倒され、無残にも集まってきた寄生虫たちによって余すところなく食べられてしまった。
若者たちは悲鳴ともつかない声を響かせながら近くにあったビルに逃げ込もうとして、初めて自動ドアが開かないことに気付いた。どこのビルも侵入を防ぐために鍵をかけてあるのだ。
最期まで必死にガラスを割ろうと蹴ったり殴ったりしていたが、正面玄関のガラスがそれほど脆いわけもなく、音に反応してやってきた寄生虫の群れに取り込まれやがて悲鳴は聞こえなくなった。
どうやら彼らは音にも反応するらしい。
それがわかっただけでも、彼らの死は無駄ではなかったようだ。
それ以外、街に人影はなかった。どこの家もカーテンを閉め、まるで無人であるかのように静かだ。
「……さて、と」
おれは重い腰をあげると、家のなかをあさり始めた。
作業には丸一日くらいかかるだろうがどうせ家のなかは安全なのだ、ゆっくりやればいい。
その日はテレビ番組がうるささを増しただけで寄生虫の占拠する街はとても静かだった。
明け方。
おれは道路の真ん中で大の字になって寝転がっていた。
目の前には色とりどりの模造紙と改造したコンデンサーにつながれた銅線が張り巡らせてある。それと電池式のラジカセを置いて、準備は完了だった。
銅線にはかなりの高電圧が流れている。おれでも触ったら危ないだろう。
念のためにライターとスプレー缶を握りしめて、おれはラジカセのスイッチを入れた。
時間さえあれば自前でギターを弾きたいところだったのだが、あいにくそこまでの設備は整っていなかった。スピーカーから大音量で英語の歌詞が流れ始める。耳が痛くなる程のロックだ。はっきりいって何を叫んでいるのか全く分からない。
「さあ、いらっしゃい」
反応はすぐに表れた。
爆音を聞きつけた寄生虫が一直線に音源に突っ込み、銅線に焼き切られて死んだ。
蛍光灯に誘われた蛾が太陽に近づきすぎたイカロスのように落ちていくみたいだった。
さらに一匹、二匹と罠にかけられては儚い命を落としていき、山のような死体が瞬く間に出来上がった。まるで空から落ちてきたときのイモ虫のようなありさまで、なんだか皮肉な光景だった。
おれは用意してあった着火剤を寄生虫の上に振りまくと、ライターで火をつける。瞬く間にその山は黒こげになり、残った灰は風に流されていった。
もうここは用済みだ。
おれはライターとスプレー缶だけを持って次の場所へ向かう。
これと同じ仕組みの罠がラジカセの電源を入れられるのを待っているのだ。一度機能し始めた罠は自動的に発動し続ける。寄生虫の死体の重みで壊れない限り、効果を発揮し続けてくれるだろう。
百メートルほど離れた次の地点にむかう。そこではヤナーチェックのシンフォニエッタを流すつもりだった。せめて寄生虫たちに話題の曲を聞かせてやろうと思ったのだ。
誰もいない道路は心地よくて、足取りも軽くスキップしながら交差点を渡ろうとしたとき、背後に嫌な気配を感じて振り返った。
……なにもいない。
今度は振り返ったそばから背後に悪寒を覚える。
急いで後ろを確認するものの、またなんの姿もとらえることはできなかった。
「……なんだ?」
なにかがいる。
直観はそう告げていた。視覚だけが、まだ正体をつかみ切れていなかった。
「後ろだっ!」
どこからか飛んできた声と同時に、おれはライターとスプレーで即席の火炎放射気を作りだし、見えない羽音に向かって炎を浴びせかけた。
パリパリ、という乾いた音がして寄生虫が焼けていく。
燃え尽きるまでの様子を眺めながら、おれは声がしたほうに呼びかけた。
「誰だか知らないが、余計なおせっかいを焼いてくれなくてもよかったのに。あのくらいなら自分で何とかなったよ」
「それは悪かった。私はお前のためを思って注意してやったのだがな」
悪びれもなく謝った声は女性のものだった。
風鈴のように澄んだ、透き通るようでどこか芯のある声色をしていた。
「聞きなれない音楽を大音量で流している阿呆がいたから注意しに来てやったものを。今の惨状が目に入らんのか」
「だから虫退治をしてるのさ。このままじゃ危ないだろ?」
「そんなことはどうでもいい。近所迷惑だ。あのけたたましい機械を止めてくれ」
……ちょっと焦点がずれているような。
きれいな顔をしたその人は構わず続けた。
「それにしても何をやっているのだ、こんな時間に。まだよい子はぐっすりと眠っている時間帯だぞ。それにこの無駄に図体のでかい蜂はなんだ? 特撮でもしているのか?」
「特撮だったら、思い切り『後ろだっ!!!!』なんて叫んじゃったあんたは相当恥ずかしいね」
「そ、そんなにびっくりマークは多くなかったぞ!」
「さあ、どうだか」
おれは肩をすくめると、この不可解な人を放置して次の罠の設置にかかろうとした。
追いすがるように後ろから罵声が飛んでくる。
「どこにいくのだ!」
「そこ」
と指差した方向には電柱の間に何重にも張り巡らされた銅線と、シンフォニエッタのCDを入れたラジカセが置いてあった。
「あと、あんまり大声を出すと危ないから気をつけろよ」
「何を馬鹿なことを言って……」
彼女はまだ何か言いたそうだったが、真正面から飛来した寄生虫に襲いかかられてしまった。
おれは抜き足でその場を去ることにする。
ゆっくり食事を楽しんでくださいな。
「ちょっと待てぇい!」
驚いたことにその女性は生きていた――それも無傷で。
「なに人が襲われてるのにのうのうと逃げようとしてるんじゃあ!」
「ほら、おれたち無関係だし」
「さっき助けてやった恩を忘れたのか!」
おれは大きくため息をついた。
どうやらあまり知能指数は高いほうではないらしい。それはともかくとして、おれは彼女の持っている神社などでよく見かける御札が気になっていた。
「それは?」
「護身用の札だ。変質者がいたら使うつもりだったのだが、よもや昆虫ごときに消費させられるとは思ってもみなかった」
「ふうん」とおれは言った。「どのくらい持ってる、その札?」
「嫌な予感がしたから今日は多めに持ってきてる。あと20枚くらいだ」
「それ以外に身を守るすべは?」
「何もない。ただのか弱い少女だ」
自分で言ってのけるくらいだから相当神経は図太いのだろう。美少女の印象が台無しだ。
彼女はラジカセをセットするおれの背中越しに矢継ぎ早に質問した。
「あの虫はなんなのさ。あんなに大きなのは聞いたことも見たこともないぞ」
「今しがた目撃したばかりだろう」
「うるさい。それにこのへんてこな仕掛けはなんだ? 車が通れないじゃないか」
「人がいないんだから通るやつもいないだろう。あんたの家にはテレビってもんがないのか」
「ない。うちの家系は厳しくてな、ロクでもない知識ばかりが散乱しているからと許してもらえないのだ」
「へえ、変わってるな。神社の巫女さんでもやっているのか」
「その通りだが、はやいところ私の質問に答えてもらおうか」
おれは計画通りシンフォニエッタを流すと、地面に寝そべった。
「あんたも寝ておきな。あまり頭を高くしておくと危険だ」
「……なにかいかがわしいことをするのではないだろうな?」
「いかがわしいことって何だ?」
「手篭めにするということだ。言わせるな恥ずかしい」
残念ながら恥じらいも持ち合わせてはいないらしい。おれとしては顔を赤らめて「やだ……そんな」とか言いながらうつむくシチュエーションを期待していたのだが、潔いほどに期待を裏切ってくれた。
どうやら撫子の要素は顔だけにとどまっているようだ。
ジャージ姿の巫女なんて想像もしたくないのだが、目の前の女性は紺色のジャージに身を包んでいた。
少しの間彼女は何かを推し量るようにおれをじっと観察していたが、おれとしては欠片ほども興味を抱いてはいなかった。せめてテンプレート通りのキャラならよかったものを。
「まあ信頼してやろう」などと呟きながらおれの隣にあおむけに寝転がる。
空はどこまでも青く、今日という日がいつまでも晴れであることを示していた。クジラのような白雲の下、ゴマ粒みたいに群がっているのが寄生虫だろう。数はちっとも減っていないようだった。
おれは手短に事情を説明する。
彼女はさほど驚いた様子を見せなかったが、何やら心当たりがあるらしく、しきりに空の穴について聞きたがった。
「一昨日のこと、私はおそれ多くも先の副将軍――ではなかった、おそれ多くも神様に向かって灰をぶちまけてしまってな。それで怒った神様が天罰として空に穴をあけられたのだろう」
「ずいぶん器量の狭い神様だな」
「まあ、3度目ともなればお怒りになるのも無理はない」
仏の顔も3度まで、ならぬ神様の顔にも限度があるのだろう。それにしても本当にこいつは巫女としてやっていけるのだろうか。おれは日本の将来がひどく心配になった。これから先、何度天罰が下るかわかったものではない。
「わかった。要はあんたが原因なわけだから、生贄に差し出せばそれで事は解決するな」
「そ、そういうわけでもなかろう」
さっそく腕を掴んで全ての元凶を空にささげようとしたのだが、必死の抵抗にあって達成することはできなかった。
それに彼女――岡倉怜奈 (後で知った)には責任を取ってもらわなければなるまい。
おれは般若の形相で岡倉に詰め寄ると、
「今すぐ神社に帰って謝ってこい」と脅迫した。
「な、なんで?」
「悪いことをしたら謝る。これは世界の基本だ! おたんこなす!」
好きでもない虫と、嫌でも触れあわなければならない苦痛はこの阿呆が引き受けてくれるだろう。
「……そうか、私が悪いのか」
「そうだ」
「謝らなければならないのか」
「土下座しろ」
「巫女なのに」
「神様に灰をかけるようなやつが何をほざく」
「…………」
「…………」
岡倉は御札を手に神社へと帰って行った。寄生虫のほとんどは大音量で音楽を響かせるこちらの罠に引き寄せられているので、さほど障害もなく帰れることだろう。
おれはいくつか設置しておいた罠をすべて発動させると、虫よけスプレーをしてから空を見に出かけた。公園の滑り台の上で眺めていると、空の亀裂はゆっくりと閉じていくところだった。
もちろんどの遊具にも人影はない。
もうじき寄生虫が駆除し終われば元気にはしゃぐ子供たちの姿が戻ってくることだろう。公園もにぎやかな喧騒に包まれ、得体のしれない恐怖から解放される。
その時、岡倉と会った際に感じた嫌な気配が再び背筋を走った。
……どこだ? どこにいる?
「面倒くさいこった」
おれは狙われやすい滑り台の上から飛び降りると、スプレー缶をシャカシャカと振りつつ公衆便所の陰に隠れた。
ライターがちゃんと着火することを確かめ、首だけを出してあたりを警戒する。
このとき、おれには一つの仮説があった。それもかなりあくどい種類の仮説が。
できることなら思いすごしであってほしい。だが、こういう悪い予感はいつだってよく当たるのだ。
「……さて、と」
知能勝負なら寄生虫程度に負けるはずはない。並の人間ならともかく、相手が悪かった。このおれを選んでしまったのが間違いなのだ。シャーロックホームズの目の前で犯罪を犯すようなものである。
おれはトイレのなかからトイレットペーパーを拝借してくると、それをのびきるまで転がした。地面にはまるで絨毯のようにトイレットペーパーが広がり、風を受けてははためいていた。
これで準備は整った。
おれは絨毯の中心から紙をどけて陣取ると、やたらめったらに歌を歌い始める。わざと背中が無防備になるようにして。
曲名はビートルズメンバーであるジョンレノンのimagineだ。世界平和を歌ったこの曲は荒んだ現状にふさわしいだろう。
寄生虫にはおれが気の狂った少年のように見えている。トイレットペーパーをいきなり広げだし危険だらけで無人の街中で熱唱し始めるやつがまともであるはずはない。きっとそう判断する。
岡倉と出会ったとき、他の寄生虫は蛾が蛍光灯に惹かれるようにおれの作ったトラップの虜になっていた。その中で一匹だけが、まるで全てを見透かしているかのようにおれを狙った。それもかなり高度な戦術をつかって。
これはつまり、その個体が知能を持っていたという証拠になる。
本能のままに生きているようなやつらが、いったいどうして知能を持ったのか。昆虫が高い知能を持つなど普通はありえない。
だとすれば外部による要因が挙げられる。
何が彼らを変えたのか。生身の生物に人類が意図的に手を加えたとは考えにくい。今の技術では困難だし、何よりメリットがない。もし仮に寄生虫に知能を与えることができたとしても、あとで調べればすぐにめどをつけられてしまうからだ。高度な技術を有している研究施設なんて限られている。
人類でないとすれば、残っているのは自然界の他の生物。
「重複寄生……」
寄生虫に寄生する。それが重複寄生。
それがオリジナルの寄生虫に知能を与え、より高度な狩りを可能とさせたのだ。前にも述べたが基本的に寄生する側は宿主を生かしておいたほうが都合がいい。ならば知能を与え、より繁栄しやすくするように宿主を進化させることもありえなくない。
「りびんぐふぉーとぅで~い。やーは、っははは~」
おれは英語の歌詞を歌うことに関しても天才的なのだ。
なめらかな発音に聞き惚れている寄生虫が後ろから忍び寄っている気配がした。正体さえわかってしまえば気配を探ることくらい簡単だ。
ライオンのようにそっと忍び寄り、間合いに入ったところで一気にスピードアップする。
そこを振り向きざまの回転蹴りでたたき落とす。要は強大なハエみたいなものだ。たたけば気絶くらいはする。
おれはすぐさまティッシュペーパーの絨毯の範囲から飛び退くとライターで火をつけた。導火線のように燃え広がる火はあっという間に消えてしまったが、寄生虫の体に燃え移るには充分だった。
悲鳴のような声をあげてのたうちまわる。甲高い鳴き声だった。体が大きい分、全身が燃え尽きるまでには時間がかかるのだ。
乾いた胴体はやがて静かになった。
死んだふりくらいはできそうだが、さすがに燃やされては生きていないだろう。おれは慎重な足取りで炭になった死骸に近づくと、動かないのを確認して踏みつけた。
焦げた食パンをつぶしたような感触。
「……やったか」
ためしに生存フラグを立ててみたが復活することはなかった。
さすがに消し済みになってはいくら知能があろうとも生き返れないらしい。
「なんだ! 今の悲鳴は」
駆けつけてきたのはいまだに現状が把握できていないのか、わかってはいるけど理解できていないのか、どちらにせよ危機感に欠けた巫女さんがやってきたのだった。
ジャージ姿は相変わらずだが、両手にあふれるほどの御札を抱えている。
「あんたが招いた災厄の後始末をしていたところだ」
「誰かがさらわれたのか?」
「あんたよりも頭のいいやつを相手にしていた。魚を毎日食べるといい」
「……それは誰だ?」
「あの虫けらさ。寄生虫にひっついた寄生虫」
「……寄生虫の寄生虫? 意味がわからない」
「――あんたもとりつかれたほうがいいんじゃないのか。少なくとも今の10倍くらいにはましになる」
「ははん。ただでさえ秀才の私の頭がこれ以上良くなったら地球が滅びてしまうではないか」
「そうか。あんたは人生が楽しそうでいいな」
おれは特上の笑顔を向けてやると、足元の消し炭を粉々に砕く。死はどんなに知能が高かろうと平等に訪れるのだ。
「あの空の穴は閉じたみたいだぞ」
「そうか。土下座して謝ってきたかいがあったというものだ」
うんうん、とうなずく岡倉の頭を無性にたたきたくなったが、女子をぶつほどおれは落ちぶれてはいなかった。
ぐっと拳を握りしめてこらえる。
「放置しておいた罠のほうはどうなっていた?」とおれは訊いた。
そろそろラジカセの音楽が止まるころだ。音楽がなくなればあの罠に意味はなくなる。
「ああ、あれか。気持ち悪いくらい死体の山ができていたぞ。まるで地獄のようだったな」
「それならいい」
おそらく、寄生虫のほとんどは命を落としていることだろう。
本能を利用した罠ほど効果的なものはない。単純な生き物であればなおさらだ。
「あとは厄介なやつだけだ」
重複寄生している寄生虫がどれほどの割合でいるのかわからないが、おれよりも賢いはずがないから駆除をし終わるのも時間の問題だろう。
問題なのは目の前の間抜けや、虫が減ったと勘違いして出てくる一般人だ。
いくら数が減ったとはいえいまだ危険なことには変わりないのだ。
「人影はあったか?」
「なかった」
どうやらまだ時間は残されているらしい。
おれは岡倉の持っている御札に目をやる。
「どうやって使うんだ、それは」
「企業秘密だ」
「……仕方ない、東京湾に沈めるか。コンクリートに埋められるのと手足を縛られるのと、どっちがいい?」
「じょ、冗談、冗談。そう怖い顔をするな」
かなり焦ったように岡倉は説明を始める。
「御札自体はいわば爆弾のようなもので、私が念じることによって起爆する。やろうと思えばどれだけ離れていようと爆発させられるし、時限式のようにも使えるぞ。それに長くはもたないが結界をはることもできる。――こんなところだな」
「簡潔な説明で助かった」
おれは深くうなずくと岡倉の手を引いて公園を出る。いつまでも同じ場所に居座るのは危険だった。
何事もなく家まで連れて帰る途中、たくさんの死骸を見た。夏を過ぎたセミのようにあっけなかった。
玄関に入ると鍵を閉め、テーブルを挟んで反対側の位置に座らせる。
「こんな家に私を連れ込んでどうするつもりだ。まだ日は明るいぞ」
「ちょうどいい日和だ。全てを終わらせよう――夜が忍び寄る前に」
作戦名は神飛行機作戦。あ、神と紙をかけてるからな、ここ大事。
そんなに感心した顔をするな照れる。
ん? してない? ごまかさなくてもいいぞ。
「阿呆! 御札を紙飛行機にして飛ばすなどと罰当たりなことをできるはずがなかろう!」
「もとはと言えば神様が引き起こしたことだ。そのくらいは許してもらえ」
「……それもそうだが、しかし……」
「仏の顔は三度までだ。四度目はリセットして一から数えるだろうよ」
「そんな適当な理由があるか」
岡倉は起こったように言うが、おれはテーブルに山積みにされている御札を一枚とると半分にして折り目をつけた。その様子をじっと見つめている岡倉は何も言わなかった。
「どうした? 怒らないのか?」
「巫女の眼前で堂々と御札の折り紙ができるやつがいるので呆れていたところだ」
岡倉はこれ見よがしにため息をついて見せた。そして、疲れたのように頭を抱えて唸り始める。
「気が違えたか」
「寝違えたか、みたいな感じで言うのはやめてくれ。これ以上罰が当たるのを覚悟していただけだ」
「よし、わかったら早速好きなように折ってくれ」
「紙飛行機だけでいいのか。なんなら鶴でも何でも作れるが」
「飛ばして当てなきゃいけないからな。空中に浮かべる形なら何でもいい」
「了解した」
そう言うと岡倉は慣れた手つきで紙飛行機を折り始めた。すいすいと飛行機の軍隊が整列していく。
意外に器用なことだ、とおれが感心していると
「よくテストをこうやって風に乗せてどこか異国へ運んでもらっているからな」
といたずら気にほほ笑んだのだった。
夕方。
まだ空の色は水色だったがすぐに赤へと移っていくことだろう。
防犯セキュリティを突破するのに少々手間取ってしまったせいで、時間を食ってしまった。一人なら何の問題もなく平地を歩くようにしてビルに侵入できるのだが、今日はずいぶんと重たい足かせをはめられていたからだ。
ビニール袋のなかには御札で折った紙飛行機がまるでプレゼントのように詰め込んである。
これだけあれば充分だ。
「ここから飛ばすのか」
足かせが強い風に髪をなびかせながら言った。高層ビルの屋上ともなると、スカートではいられないくらいの風が常時吹いているのだ。
ジャージ姿の足かせにはあまり関係ないようだが。
おれはよりも高いところにある黒い塊を指差して言った。
「あれが寄生虫だ。太陽を背にしながら獲物を探しているんだろう。夜になると巣に戻ってしまうから、日が暮れないうちに全部たたき落とす」
「私も紙飛行機の腕はなかなかのものだぞ」
「あんたはおれの合図で起爆をしてくれ。くれぐれも間違って袋の中身を吹きとばさないでくれよ」
「……むう」
ふくれっ面。
どうやら紙飛行機を飛ばしたかったらしい。下界を見下ろしながら投げる紙飛行機はまた格別なのだ。
風が全身に当たっては体を吹き飛ばそうとするのをこらえて、おれは宙に飛行機を放った。強風に流されるさまは、まるで川に流した笹船のようだ。
いくつかの気流にのまれながら飛行機は目標に接近する。導かれるようにして寄生虫の背後に到着した瞬間おれは片手をあげた。
「爆破」
ポン、と情けない花火のような音がして、半身を持って行かれた寄生虫は建物の群れのなかへ落ちていった。
「……やったか?」
「わざわざ生存フラグを立てないでくれ。間違いなく駆除は成功した」
おれは両手に持った飛行機を次々に投下する。
ビルの狭間を複雑に流れていく空気は、ゴルフのパットのように読み切るのが難しい。それでもおれには手に取るようにして動きがわかる。
右。左。上昇して左。
「爆破」
「はい」
三連鎖。
あと何匹だろうか。
視認できるのはあと十数匹か。
そのとき、何の気なしに上空を見ると白い雲より先に急降下してくる寄生虫の姿があった。空が近く感じるのは気のせいではあるまい。
後ろに向かって叫ぶ。
「結界!」
「ほいさ」
瞬間。
半透明の壁が五角形に配置した地面から伸びたかと思えば、屋上を囲うようにして防壁を張り巡らせる。それは勇猛にも突撃してきた寄生虫の体を真っ二つに裂き、内側に取り残された頭部だけを屋上に残して消えた。
「便利なものだな」
おれはつぶやいて、また紙飛行機を投げる。
夕焼けが沈むころ。最後の一匹が地上に堕ちた。
街に平和が戻ったと、テレビのなかでニュースキャスターが報道している。
おれは頬づえをつきながらそれを眺めていた。
「これで一件落着だな」
隣でせんべいをむさぼりながら岡倉が言う。
「あんたのせいだろうが」
「私は自分で自分の尻拭いをした。それでいいだろう」
「おれは無視か」
構わない。おれはスルーされることに関しても天才なのだ。
やっと宿題が終わりましたー!
これで心おきなく小説が書ける……。
それにしても相変わらずへたくそで嫌になります。妄想をそのまま文章に変換できる機会があればいいのに。
あと、振り仮名(とくにカタカナ文字)はかなり適当につけてますので、あまり気になさらないでください。
読んでくださりありがとうございました。




