第六十四話
アヴァロン、第二訓練施設。
無機質な強化コンクリートと特殊合金で覆われたその空間は、地下深くにあるにもかかわらず、バスケットボールのコートが四面は入ろうかという広大さを誇っていた。
天井に張り巡らされた照明が、白々とした人工の光を落としている。
その中央。
リヒト・フォン・アルクライドは、荒い呼吸を繰り返しながら、膝に手をついていた。
額から滴り落ちる汗が、冷たい床に染みを作る。
「……はぁ、はぁ……ッ」
視界が明滅する。
肉体的な疲労ではない。もっと根源的な、魂の奥底を直接スプーンで抉り取られたような、得体の知れない倦怠感が全身を支配していた。
「おい、もう終わりか? 騎士様の名が泣くぞ」
頭上から降ってくる声には、隠しきれない嘲笑と、僅かながらの苛立ちが混じっていた。
顔を上げると、十メートルほど離れた位置に、サイラス・ヴァイスが腕を組んで立っていた。
銀色の髪をかき上げ、その碧眼でリヒトを値踏みするように見下ろしている。彼の周囲には、大気中の水分が凍結して生まれた氷の結晶が、キラキラとダイヤモンドダストのように舞っていた。
「……まだだ」
リヒトは震える脚に力を込め、ゆっくりと上体を起こした。
訓練用の黒いタクティカルスーツが、汗で肌に張り付く。
「口だけは達者だな。だが、結果が伴っていない」
サイラスは冷ややかに言い放つと、傍らのコンソールを操作していたシエラの方へ視線を投げた。
十傑『第二席』シエラ・ルナ・アクエリア。
彼女はパイプ椅子に腰掛け、タブレット端末に表示される波形データを無表情に見つめていた。その美しい翠の瞳は、感情を映さない硝子細工のようだが、その指先だけは忙しなく動いている。
「シエラ、数値はどうだ」
「……異常値よ。再現性は確認できたけれど、安定しない」
シエラは淡々とした声で告げた。
リヒトは自身の掌を見つめる。
先ほどまでそこに展開していたはずの「光の盾」は、今はもう跡形もなく消え失せていた。
――昨日の食堂での宣告通り、今日は朝からリヒトの能力検証が行われていた。
シベリアの極寒の地で、リヒトが発現させた謎の力。
魔素が存在しないはずの現世において、物理法則を無視して光を具現化させた現象。
その正体を暴くための実験だ。
「魔素ゼロの環境下で、高密度のエネルギー体を具現化する。……理論上は不可能だ。クレアトリアの術式とは根本が違う」
サイラスは氷の結晶を指先で弾きながら、リヒトに歩み寄った。
「通常、魔法というのは大気中の魔素や、体内に蓄積した魔力を燃料にして発動する。だが、ここは現世だ。大気中の魔素濃度は極めて薄い。お前自身の魔力タンクも、今の消耗具合を見る限り、そこまで底なしというわけではない」
サイラスの分析は的確だった。
リヒト自身、違和感を覚えていた。
かつて帝国で聖魔法を行使していた時の感覚とは、まるで違うのだ。
魔力を練り上げるというよりは、自分の中にある「何か」を燃やして、無理やり現実に叩きつけているような感覚。
「なら、俺は何を燃料にしているんだ?」
「……『魂』だ」
サイラスの言葉に、リヒトは息を呑んだ。
「魂……?」
「精神力、生命力、あるいは存在そのものと言ってもいい。貴様のその『白き月』とかいうふざけた力は、貴様自身の命を削って具現化している」
サイラスはリヒトの胸倉を掴み、乱暴に引き寄せた。
至近距離で睨み合う。
「シベリアであれだけの強度を出せたのは、貴様が死を覚悟してリミッターを外したからに過ぎん。……いいか、リヒト。今のまま無自覚に使えば、貴様は廃人になるぞ。魔力枯渇(ガス欠)程度じゃ済まない。魂が磨耗して、抜け殻になる」
脅しではなかった。
その瞳には、かつて親友を失った男ゆえの、重苦しい警告の色があった。
リヒトはサイラスの手を振りほどくことなく、その視線を真っ直ぐに受け止めた。
「……忠告は感謝する。だが、使わなければ守れないものがある」
「守る、か。相変わらず甘い言葉だ」
サイラスは鼻で笑い、パッと手を離した。
そして距離を取ると、再び冷徹な教官の顔に戻る。
「検証続行だ。次は形状変化を試す」
「形状変化?」
「いつまでも『盾』ばかり出していては芸がないと言っている。その力が『創造』を司るなら、他の物も創れるはずだ」
サイラスの指示は無茶苦茶だったが、一理あった。
あの光は、リヒトの意志に呼応して形を変える。シベリアでは無意識に「守りたい」と願ったから盾になった。ならば、別のイメージを持てばどうなるか。
「剣をイメージしろ。貴様が得意とするロングソードだ」
リヒトは目を閉じ、意識を集中させた。
深く、深く、己の内側へ潜る。
暗闇の中に浮かぶ、白銀の月。その光を掬い上げ、掌の上で形作るイメージ。
鋼の重み、革の握り心地、刃の冷たさ。
聖騎士として長年連れ添った剣の感触を思い出す。
――来い。
カッ、とリヒトの手元が発光した。
光の粒子が渦を巻き、収束していく。
現れたのは、白く輝く直剣だった。
「……重いな」
リヒトは脂汗を流しながら、その剣を握り締めた。
質量がある。ただの光の束ではない。物理的な干渉力を持った物質として、そこに存在している。
「ほう。単純な形状なら可能か」
サイラスが興味深そうに観察する。
だが、リヒトにとっては数秒維持するだけでも苦痛だった。血管の中を針が流れているような痛みが走る。
「次はこれだ」
サイラスが懐から取り出したのは、護身用の自動拳銃だった。
アヴァロンの警備兵が携帯している標準的なモデルだ。
「こいつを創ってみろ」
「銃……? 構造も知らないものをか?」
「『創造』なんだろう? イメージだけでどこまで理を無視できるかの実験だ」
リヒトは言われるがままに、銃の形状をイメージした。
引き金、銃身、グリップ。
光が集まる。
形にはなった。だが――。
パリンッ。
具現化した光の銃は、リヒトが指をかけた瞬間にガラスのように砕け散った。
「……ぐっ!」
強烈な反動が脳を揺さぶり、リヒトはその場に膝をついた。
鼻からツーと赤いものが垂れる。鼻血だ。
「失敗か」
サイラスは冷ややかに見下ろした。
「やはりな。外見だけの模倣じゃ機能しない。内部構造、材質、作動原理……それらを完全に理解できていない複雑な機械は創れないようだな」
「はあ……はあ……随分と、不便な能力だ……」
リヒトは袖で鼻血を拭い、自嘲気味に笑った。
万能の神の力などではない。
代償は大きく、条件はシビア。
「不便? 勘違いするな」
サイラスの声色が、一段低くなった。
「材料も、工程も、設備も必要とせず、完成品をその場に顕現させる。……これは『等価交換』の原則を無視している。物理法則への冒涜だ。使いこなせば、この世の理そのものを書き換える脅威になるぞ」
そこまで言うと、サイラスは右手を掲げた。
周囲の空気が一気に冷え込む。
彼の手のひらに、鋭利な氷の槍が生成された。
それはリヒトの「創造」とは違い、大気中の水分を凍結させた、明確な物理現象(魔法)だった。
「だが、今の貴様は宝の持ち腐れだ。……性能テストはここまでにする」
サイラスが氷の槍を構える。
その切っ先は、明確にリヒトの喉元に向けられていた。
「実戦形式だ。立て、リヒト」
「おいおい、休憩なしかよ」
「戦場に休憩時間があると思うか? 敵はお前が疲弊している時ほど狙ってくる」
正論だ。
リヒトは軋む体に鞭を打ち、再び立ち上がった。
シエラが止めに入ろうと腰を浮かせたが、リヒトは片手でそれを制した。
「大丈夫だ、シエラ。……こいつの言う通りだ」
リヒトは両手を広げ、構えを取る。
武器はない。だが、彼の瞳には白い光が宿っていた。
「俺は、弱いままだ。……この力を使いこなせなければ、誰も守れない」
「その意気や良し。だが――」
ドォンッ!
サイラスが地面を蹴った。
床が凍りつき、氷の道ができる。それを滑るようにして加速し、一瞬でリヒトの懐へ。
「反応が遅いッ!」
突き出された氷の槍。
リヒトは反射的に「盾」をイメージする。
ガギィンッ!
金属音のような高い音が響き、光の盾と氷の槍が衝突して火花を散らす。
重い。
サイラスの一撃は、単なる魔法攻撃ではない。魔人族としての身体能力が乗った、物理的な破壊力を持っていた。
「防ぐだけか! そんなザルな盾、砕くぞ!」
サイラスが槍を回転させ、追撃を加える。
二撃、三撃。
連撃を受けるたびに、光の盾に亀裂が入る。リヒトの脳裏に激痛が走る。
「くッ……!」
「どうした! シベリアの時はもっとマシだったぞ! 貴様の覚悟はその程度か!」
挑発。
いや、これは叱咤だ。
サイラスは、リヒトが限界を超えて力を引き出す瞬間を待っている。
(このままじゃ、ジリ貧だ……!)
リヒトは歯を食いしばる。
盾を維持するだけで精一杯だ。反撃のイメージが湧かない。
剣を創る? いや、間に合わない。
銃? 無理だ。
もっと単純で、もっと原始的で、今の自分にも創れるもの。
サイラスの動きを止めるもの。
「――おおおッ!」
リヒトは咆哮と共に、盾を自ら解除した。
無防備になった胴体が晒される。
サイラスの目が驚愕に見開かれる。
「馬鹿がッ!」
氷の槍がリヒトの胸を貫く――寸前。
リヒトは地面に手を叩きつけた。
イメージしろ。
守るための、拘束。
逃がさない、鎖。
ジャラララッ!
床から、白く輝く「鎖」が何本も噴出した。
それは蛇のようにサイラスの足首に絡みつき、その突進の勢いを強引に止める。
「なッ……!?」
サイラスの体が前のめりになる。
その隙を、リヒトは見逃さなかった。
右手に光を収束させる。
剣ではない。
ただの、光の塊。質量を持った、鈍器のような拳。
「ここだぁッ!」
リヒトの拳が、サイラスの腹部に叩き込まれた。
ドゴォッ!
鈍い音が響き、サイラスの体が数メートル後方へ吹き飛んだ。
受け身を取り、氷の壁を作って着地するサイラス。
その顔には、痛みよりも、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「……ハッ。やるじゃないか」
サイラスは口元の血を拭った。
リヒトもまた、肩で息をしながら構えを解かない。
足元の鎖は既に光の粒子となって消えていたが、確かな手応えがあった。
「言われなくても……やってやるさ!」
「いいだろう。なら、ここからは手加減なしだ。死んでも恨むなよ」
サイラスの周囲に、無数の氷の刃が展開される。
その数、五十以上。
本気だ。
リヒトも残った精神力を振り絞り、光を練り上げる。
二人が同時に踏み込もうとした、その時だった。
「――そこまで」
凛とした声が、熱気を帯びた空気を切り裂いた。
ヒュンッ。
風切り音と共に、二人の間に「誰か」が割り込んでいた。
シエラだ。
いつの間にか席を立っていた彼女は、二人の間合いの中央に立ち、それぞれの胸元に細剣の切っ先を突きつけていた。
神速。
リヒトも、サイラスも、彼女が抜剣する瞬間さえ見えなかった。
「……シエラ」
「これ以上は、施設が壊れるわ。それに、リヒトのバイタルが限界よ」
シエラは静かに告げた。
言われてみれば、リヒトの視界は限界まで狭まり、立っているのがやっとの状態だった。
アドレナリンが切れた瞬間、強烈な目眩が襲ってくる。
「……ちっ。邪魔が入ったか」
サイラスは舌打ちし、氷の刃を霧散させた。
だが、その表情は晴れやかだった。
「まあいい。今日のところは、これくらいにしておいてやる」
サイラスはシエラの剣を指先で退け、リヒトへと歩み寄った。
そして、へたり込みそうになるリヒトの肩を、乱暴に叩いた。
「悪くない反応だったぞ、聖騎士。……だが、まだまだ『イメージ』が貧困だ。次はもっと面白いモンを創ってみせろ」
「……ああ。手加減なしの借りは、必ず返す」
リヒトは意識が遠のく中で、ニヤリと笑い返した。
歪なライバル関係。
だが、互いに高め合える確かな熱が、そこにはあった。
シエラは呆れたようにため息をつき、剣を納めた。
「……男って、どうしてこう単純なのかしら」
そう呟きながらも、彼女の瞳には、少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
アヴァロンの第二訓練施設。
かつて敵対していた三人の間に、新たな絆の萌芽が生まれようとしていた。
次話は[2026年1月18日 15時00分]予定です。




