第六十二話
五雄暦八二八年、秋。
大陸南部の乾いた風が、街道の並木をさらさらと揺らしている。
鍛冶の街フォージストを後にした俺とエリスは、アシュタロテ大陸南部に広がる街道を歩いていた。
足元で枯れ葉が砕ける音が、静寂な空気によく響く。
「……随分と、しっくりくるようになったな」
俺は歩きながら、腰に差した新たな愛刀の柄に手を添えた。
『黒月』。
そう名付けられたその刀は、フォージストの名工、グリムガル爺さんが魂を込めて打ってくれた逸品だ。
鞘からわずかに覗かせた刀身は、光を吸い込むような漆黒。
手に伝わる重みは、単なる鉄の質量ではない。俺の体内を巡る魔力と、刀そのものが呼応し合うような、独特の重厚感だ。
まるで、俺の一部が拡張されたかのような「一体感」がある。
(「こいつは暴れ馬だ。使い手の魔力を際限なく欲しがりよる」)
工房を出る際、グリムガルがニヤリと笑って言った言葉を思い出す。
確かに、腰にあるだけで俺の魔力がじわじわと吸われているのが分かる。だが、不快ではない。むしろ、いつでも爆発的な出力を叩き出せると、刀が訴えかけているようだ。
「ふふん、こっちだって負けてないわよ」
隣を歩くエリスが、上機嫌な声で新しい杖をくるりと回した。
彼女の手にあるのは、『風詠み(ウィンド・ウィスパラー)』。
ミスリルと霊木を加工して作られた、彼女のための特注品だ。先端には風の魔力を宿した緑色の宝玉が埋め込まれ、陽光を浴びてキラキラと輝いている。
「この杖、魔力の通りがすごくスムーズなの。これなら高速詠唱でも、精密操作でも、もう魔力詰まり(ジャム)を起こさないわ」
エリスは杖を抱きしめるようにして、満足げに微笑んだ。
かつて彼女は、自身の成長スピードに武器の性能が追いつかず、魔力詰まりを起こすことに苛立っていた。だが、フォージストでの調整を経て、その懸念は払拭されたようだ。
「そりゃよかった。道具のせいで負けたなんて言い訳、聞きたくないからな」
「なんですって? あんたこそ、その新しい刀に振り回されないようにしなさいよね」
軽口を叩き合いながら、俺たちは街道を外れ、近道となる森の小道へと足を踏み入れる。
木々の密度が増し、周囲が薄暗くなった、その時だった。
「グルゥゥゥ……ッ!」
鼻をつく獣臭と共に、前方の茂みが激しく揺れた。
現れたのは、身の丈二メートルを超える巨体。
豚の頭に、丸太のように太い腕。手には粗末だが殺傷能力の高そうな棍棒が握られている。
「……オークか」
はぐれオークだ。
群れから弾き出され、飢えているのだろう。その双眸は血走り、涎を垂らしてこちらを睨みつけている。
以前の俺たち――リーフェン村にいた頃なら、死を覚悟して戦わなければならない相手だった。
父さんが重傷を負わされ、俺が暴走するきっかけとなった因縁の魔獣。
だが、今の俺の心は凪いでいた。
恐怖も、焦りもない。
「ちょうどいい。試し斬りだ」
俺はエリスに手出し無用と合図を送り、静かに一歩前へ出た。
オークが咆哮と共に地面を蹴る。
巨大な棍棒が、風を切る音を立てて振り上げられる。
遅い。
今の俺には、その動きが止まって見える。
「――『雷速』」
俺は『黒月』の柄を握り締め、体内の魔力を一気に解放した。
バチッ、と黒紫の雷光が俺の全身と刀を駆け巡る。
思考加速と身体強化。
そして、刀身への魔力充填。
俺の姿が掻き消える。
オークが棍棒を振り下ろそうとしたその瞬間、俺は既にその懐へと踏み込んでいた。
鞘走る音が、雷鳴のように鋭く響く。
「シッ――!」
漆黒の刃が一閃。
黒紫の軌跡が、空間ごと切り裂くように走った。
手応えは、驚くほど軽い。
まるで水面を撫でたかのような感覚。
オークが振り下ろした棍棒ごと、その分厚い筋肉と骨が、「抵抗なく」両断されていた。
俺が背後に抜けて残心をとると同時に、オークの巨体が音もなく左右にずれた。
遅れて、鮮血が噴き出す。
ドサリ、と二つになった肉塊が地面に転がった。
「……ふぅ」
俺は『黒月』を振って血糊を払おうとしたが、その必要はなかった。
漆黒の刀身は、オークの返り血さえも瞬時に吸い込み、鈍い光沢を放っている。
圧倒的な切れ味だ。
これなら、帝国の鎧だろうが、ドラゴンの鱗だろうが斬れるかもしれない。
だが――。
「……燃費が悪すぎるな」
俺は顔をしかめて、刀を鞘に納めた。
たった一撃。それだけで、俺の魔力がごっそりと持っていかれた感覚がある。
威力は申し分ないが、扱いには繊細な魔力管理が必要になりそうだ。
「ナイス、ノエル! すごかったわ!」
エリスが駆け寄ってくる。
俺は小さく息を吐き出し、苦笑した。
「ああ。これなら、この先何が出てきても退屈しなさそうだ」
俺たちは再び歩き出す。
目指すはアシュタロテ大陸最大の港町、ポルト・フィオーレ。
その先には、海を越えた新たな大陸と、俺たちが変えるべき「理不尽」が待っている。
影を背負った追跡者の旅は、まだ始まったばかりだ。




