第六十話
ドワーフの大工房都市ウル・バラドの片隅。
時代の流れに取り残されたような古びた石造りの工房『グリムガル工房』は、今、異様な緊張感と熱気に包まれていた。
赤々と燃え盛る炉の前。
伝説の鍛冶師グリムガルと、一人の人間の少年ノエル・ゼーヴァルトが対峙している。
その傍らでは、ゼファーとエリスが、固唾を呑んでその光景を見守っていた。
「……いいか、小僧。手加減はなしだ」
グリムガルは、金槌を作業台に置くと、腕組みをしてノエルを睨み据えた。
彼の足元には、先ほど放り投げられた、失敗作の剣の破片――鋼鉄の塊が転がっている。
「俺の目が曇ってなけりゃ、お前の魔力は、普通の鉄じゃ受け止めきれねえ『質』をしているはずだ。それを証明してみせろ。話はそれからだ」
「……壊しても、文句言うなよ」
ノエルは、足元の鉄塊を拾い上げた。
掌に収まる、冷たく、重い鉄の塊。
一般的な冒険者が使う剣と同じ、標準的な炭素鋼で打たれたものだ。普通の魔力であれば、これを通しても何の問題もない。
(……試すか)
ノエルは、目を閉じた。
意識を内側へ向ける。
ヘソの下、丹田のあたりに渦巻く、膨大な魔素の貯蔵庫。
そこには、トマスから教わった「炎神流」や、ゼファーとの修行で練り上げた「雷神流」の魔力とは異なる、もっと根源的で、ドス黒い何かが眠っている。
黒き太陽。
破壊の権化。
かつてリーフェン村で暴走し、全てを壊そうとしたあの力。
だが、今のノエルは、二年間の地獄の修行を経て、その「澱」を、わずかではあるが制御下に置いていた。
(……少しだけ、混ぜる)
ノエルは、体内で生成した「雷」の魔力に、その「黒い澱」を一滴だけ垂らすイメージを持つ。
純粋な青白い雷光が、瞬時にして、禍々しい黒紫のスパークへと変貌する。
バチチチチッ……!
ノエルの手の中で、異音が響いた。
放電現象ではない。物質が、その分子結合を無理やり引き剥がされ、悲鳴を上げている音だ。
「……ッ!?」
見守っていたエリスが、肌を刺すような不快な魔力の波動に、思わず後ずさる。
ゼファーだけが、静かに目を細めていた。
「ふんっ!」
ノエルは、握りしめた鉄塊に、その黒い雷を一気に流し込んだ。
ジュオオオオオオオオッ!!
爆音も、閃光もなかった。
ただ、ノエルの手の中にあった鋼鉄の塊が、まるで夏の陽射しに晒された氷のように、一瞬にして形を失った。
溶けたのではない。
ドロドロの液体になる過程すら省略し、瞬時にして赤黒い粉塵となり、さらにはその粉塵さえもが黒い雷に食い尽くされ、空気に溶けるように消滅したのだ。
残ったのは、ノエルの掌から立ち昇る、鉄錆の臭いが混じった黒い煙だけ。
「……はあっ」
ノエルは、残心を解き、煤で汚れた手を払った。
工房の中が、静まり返る。
ただの鉄が、熱で溶けるでもなく、衝撃で砕けるでもなく、「消滅」した。
それは、鍛冶師の常識を根底から覆す、異常な現象だった。
「……へっ」
沈黙を破ったのは、グリムガルの、乾いた笑い声だった。
「へっ、へへへ……! こりゃあ、傑作だ!」
老ドワーフは、子供のように目を輝かせ、膝を叩いて笑い出した。
「『腐食』か? いや、『崩壊』か? 雷の貫通力に、物質そのものを分解する『破壊』の属性が混ざってやがる! こんなデタラメな魔力、見たことねえぞ!」
グリムガルは、興奮した様子でノエルに詰め寄った。
「おい小僧! 今まで、どんな武器を使ってた!?」
「……親父から譲り受けた、鉄木の剣だ。だが、二ヶ月に一本はダメにしてた」
ノエルは、腰に差していたボロボロの木剣を見せる。
表面は炭化し、芯まで亀裂が入っている。かろうじて形を保っているのは、ノエルが普段、魔力を極限までセーブして流していたからに過ぎない。
「当たり前だ! こんなナマクラじゃ、お前の出力の十分の一も耐えきれねえ! よくもまあ、こんな棒切れで戦ってこれたもんだ!」
グリムガルは、木剣をひったくると、屑かごに放り投げた。
「認めよう。既存の剣じゃ、お前には役不足だ。ミスリルだろうがオリハルコンだろうが、純度の高い金属ほど、お前のその『不純物(黒い魔力)』に反応して、脆くなる」
「……じゃあ、どうするんだ」
「だからこそ、燃えるんじゃねえか!」
グリムガルは、ニヤリと笑い、作業場の奥にある厳重な鍵のかかった保管庫へと歩き出した。
「俺が引退した理由を知ってるか? ゼファーの武器を打ち終わった後、俺の技術を注ぎ込むに値する『使い手』がいなくなったからだ。……だが、今日は違う!」
ガチャリ、と重い扉が開かれる。
中から、ひんやりとした冷気と共に、強烈な魔力の気配が漂ってきた。
グリムガルが持ち出してきたのは、二つの鉱石だった。
一つは、表面に絶えず紫電を走らせている、青紫色の鉱石。
もう一つは、光を一切反射しない、ブラックホールのような漆黒の鉱石。
「『雷獣の角石』。アシュタロテ大陸の最高峰でしか採れねえ、雷属性の魔力を無限に蓄えられる超伝導鉱石だ」
グリムガルが、青紫の石を指差す。
「そしてこっちが……『深淵鉄』。魔大陸の深層でしか見つからねえ、魔力を喰らう呪われた金属だ」
「魔大陸……?」
ノエルが眉をひそめる。
「ああ。普通の鍛冶師なら、扱いかねて捨てちまう代物だ。何せ、打てば打つほど硬くなり、魔力を流せば流すほど重くなる。だが、お前のその『破壊』の魔力を受け止めるにゃ、こいつしかねえ」
グリムガルは、二つの鉱石を作業台に叩きつけた。
「雷を流す『超伝導』と、魔力を受け止める『超耐久』。相反する二つの素材を、俺の秘術で合金にする。……どうだ? これなら、お前の全力に耐えられると思わねえか?」
ノエルは、作業台の上の黒い石を見つめた。
その石が、まるで自分の「黒き太陽」の力に呼応しているかのように、微かに脈動しているのを感じた。
(……ああ。こいつなら、いける)
直感が、告げていた。
「……頼む、爺さん。俺に、武器をくれ」
「任せな! 最高の一振りを打ってやる!」
グリムガルは、作業着の袖をまくり上げ、炉の火力を最大まで上げた。
ゴオオオオオッ!
工房の温度が、一気に跳ね上がる。
「ゼファー、エリスの嬢ちゃん! 悪いが外に出ててくれ! ここから先は、俺とこいつ(ノエル)だけの聖域だ!」
「ふん、相変わらず職人気質なことじゃ」
ゼファーは苦笑しながら、エリスを促して工房を出て行った。
残されたのは、ノエルとグリムガルのみ。
灼熱の炉の前で、老ドワーフはハンマーを構えた。
「いいか、小僧。ただ見てるだけじゃねえぞ。お前も手伝え」
「手伝う?」
「焼き入れの時だ。俺が叩く瞬間に合わせて、お前の魔力を流し込め。素材にお前の魔力波長を覚えさせるんだ。タイミングを外せば、合金が爆発して俺もお前も消し炭だ。……ビビったか?」
「……ハッ。面白え」
ノエルは、口角を吊り上げた。
命懸けの鍛造。それは、彼が望むところだった。
カン!
最初の一打が振り下ろされる。
鍛冶が、始まった。
***
時間は、瞬く間に過ぎていった。
炉の炎は衰えることを知らず、グリムガルのハンマーは、正確無比なリズムで鉄を打ち続けていた。
汗が滝のように流れ落ち、水分補給も忘れて、二人は鉄塊と向き合っていた。
ノエルは、グリムガルの指示に従い、ハンマーが振り下ろされるコンマ数秒の瞬間に、自身の魔力を、針の穴を通すような精密さで流し込む。
(集中しろ……!)
少しでも気が緩めば、魔力が暴走し、全てが台無しになる。
だが、不思議と疲れはなかった。
鉄が打たれるたびに、不純物が取り除かれ、二つの異なる鉱石が混ざり合い、新たな「鋼」へと生まれ変わっていく。その過程が、ノエル自身の魂を研磨しているかのような錯覚を覚えた。
数時間が経過し、鉄塊は、細長い延べ棒のような形状になりつつあった。
「……さて、ここからが本番だ」
グリムガルは、荒い息をつきながら、真っ赤に焼けた鋼を見つめた。
「形状はどうする? 両刃の直剣か? それとも、重さを活かした大剣か?」
この世界の主流は、騎士たちが使う「ロングソード(直剣)」や、傭兵が好む「バスタードソード」だ。トマスから教わった剣術も、それに準拠している。
だが、ノエルは首を横に振った。
「いや、違う」
彼の脳裏に浮かぶのは、前世の記憶。
黒江 葉として生きた時代。彼が最も信頼し、数多の戦場を潜り抜けてきた、あの「形状」。
片刃で、わずかに反りを持ち、切断力と速度に特化した、東洋の剣。
「……紙とペンはあるか?」
ノエルは、作業台の隅にあった羊皮紙に、記憶の中にあるその形状を描き殴った。
刀身は細身で、緩やかな湾曲を描く。
切っ先は鋭く、突きにも斬撃にも対応できる。
鍔は小さく、実戦的。
それは、この世界には存在しない概念。
「刀」。
「……ほう」
グリムガルは、その図面を食い入るように見つめた。
「片刃……しかも、この反り。斬撃の瞬間に接点をずらし、より深く斬り込むための形状か。……突くにも斬るにも、極めて高い技術を要求されるぞ。素人が使えば、刃筋が立たずに折れる」
「使いこなしてみせるさ」
ノエルは断言した。
この形状こそが、彼の「雷速」のスピードと、前世の「技術」を、最大限に活かせる唯一の形なのだ。
「面白い! 気に入った!」
グリムガルは、再びハンマーを握り直した。
その目には、未知の武器を生み出す職人としての、狂気にも似た情熱が燃え盛っていた。
「この形状、俺の魂を込めて打ち上げてやる! その代わり、完成したら……その名に恥じねえ働きをしろよ!」
「ああ、約束する!」
再び、槌音が響き渡る。
今度は、形を作るための繊細な打撃。
鋼が、ノエルの記憶にある「刀」の姿へと、徐々に近づいていく。
そして、夜明け前。
最後の焼き入れと、研磨が終わった時。
工房の中には、一本の、美しい「闇」が横たわっていた。
刀身は、吸い込まれるような漆黒。だが、光を当てると、刃文の部分に青紫色の雷光のような輝きが走る。
鍔は黒鉄の円形。柄は、滑り止めの鮫皮(に似た魔獣の皮)で巻かれている。
異世界に顕現した、黒き日本刀。
「……できたぞ」
グリムガルが、満足げに息を吐き、その剣をノエルに差し出した。
「持ってみろ」
ノエルは、震える手で、その柄を握った。
ズシリ、とした重み。
だが、不思議と重苦しくはない。重心が完璧に調整されており、手首のスナップ一つで、羽毛のように軽く扱える感覚がある。
そして何より。
握った瞬間、体内の魔素が、何の抵抗もなく、剣へと吸い込まれていくのを感じた。
まるで、剣が身体の一部になったかのような、血管が繋がったかのような一体感。
(……これだ)
ノエルは、確信した。
トマスの木剣でも、警備団の剣でも感じられなかった感覚。
これなら、いける。
あの「雷速」のトップスピードにも、耐えられる。
シュッ!
ノエルは、無造作に一振りした。
風切り音さえしない。
あまりにも鋭い刃が、空気を「切断」したのだ。
「……いい剣だ」
ノエルは、刀身を見つめ、心からの賛辞を口にした。
「名前は?」
グリムガルが問う。
「……『黒月』」
ノエルは、直感でそう答えた。
黒き太陽の力を宿し、夜の闇を切り裂く刃。
前世の妹・麗華が好きだった、新月の夜を思い出したのかもしれない。
「『黒月』か。……いい名だ」
グリムガルは、タオルで顔を拭きながら、ニカッと笑った。
「大事にしろよ。それは、俺の最高傑作だ」
「ああ。……ありがとう、爺さん」
ノエルは、黒月を、グリムガルが用意してくれた黒い鞘に納めた。
カチン、と鯉口が鳴る音が、心地よく響いた。
工房の扉が開く。
朝日が差し込み、待っていたゼファーとエリスが顔を見せる。
「終わったか」
「……ああ」
ノエルは、腰に差した新たな相棒と共に、朝日の中に歩み出た。
その顔つきは、昨日までの焦燥感に駆られた少年のものではない。
自らの「牙」を手に入れ、戦う準備を整えた、一人の「戦士」の顔だった。
旅立ちの準備は、整った。
次話は[2025年12月6日 18時00分]予定です。




