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『魔導双星のリベリオン』第一部:胎動編  作者: 木徳寺
第6章丨それぞれの試練
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第五十七話

 師であるゼファー・フォン・アルクライドの下で、文字通り死と隣り合わせの日々を過ごしてきた。魔力を封じた状態でのロッククライミング、凶暴な魔獣の巣への単身突撃、そしてゼファーによる理不尽極まりない実戦形式の組手。

 それらの試練は、彼らの肉体と精神を極限まで削ぎ落とし、そして鋼のように強靭に鍛え上げていた。


 ある日の早朝。


 いつものように、まだ夜明け前の薄暗い中、朝の鍛錬を始めようとしていた二人の前に、ゼファーが立ちはだかった。

 老人は、岩の上に胡坐をかき、閉じていた目を開く。その双眸には、いつもの飄々とした様子はなく、底知れない深淵のような静けさが宿っていた。


「……小僧ども。剣を置け」


 ゼファーの声は、低く、腹の底に響くような重みを持っていた。

 ノエルとエリスは顔を見合わせ、言われた通りに武器を下ろす。師のただならぬ雰囲気に、二人の背筋に緊張が走る。


「この二年間、お主らはよく耐えた。基礎体力、魔力制御、そしてそれぞれの特性を活かした戦闘術。……合格点じゃ」


 ゼファーは立ち上がり、二人を見下ろした。

 その言葉に、ノエルの心臓が高鳴る。


「じゃあ、修行は終わりか?」


 期待を込めて問うノエル。

 アークスへの復讐。麗華の救出。そして、家族を守るための力。

 焦燥感は常に胸の内にあった。一日でも早く、強くなりたかった。

 だが、ゼファーはゆっくりと首を横に振った。


「まだじゃ。最後にもう一つだけ、超えねばならぬ壁がある」


 ゼファーは杖を突き、背後にそびえる岩山を指差した。その頂は、黒い雷雲に覆われ、時折走る稲妻が不気味に光っている。


「明日、夜明けとともに『最終試練』を行う」


「最終……試練?」


 エリスがごくりと唾を飲む。その表情には、期待と不安が入り混じっていた。

 ついに、その時が来たのだ。


「内容は単純。『ワシに一撃を入れること』じゃ」


「……爺さんに一撃?」


 ノエルが眉をひそめる。

 単純、と師は言った。だが、それがどれほど絶望的に困難なことか、ノエルは誰よりも理解していた。

 この二年間、修行の中で何度もゼファーと手合わせをしてきた。だが、ただの一度として、その身体に触れることさえできていない。

 元『雷王級』の実力。それは、老いてなお衰えるどころか、経験という研磨を経て、底が見えない深淵のようになっていた。彼の纏う空気の壁一枚すら、未だ破れていないのだ。


「そうだ。魔法でも剣でも何でもいい。ワシの身体に、服の裾にでも一撃かすらせれば、免許皆伝。晴れてこの山を下りることを許そう」


 ゼファーは、鋭い眼光で二人を見回した。


「だが、今のままでは無理じゃな。お主らには決定的に足りないものがある」


「足りないもの……?」


 エリスが反論するように声を上げた。

 彼女はこの二年間で、風魔法の詠唱短縮と精密操作を極限まで高めてきた自負があった。かつては数秒かかっていた上級魔法を、今では一呼吸で放つことができる。


「魔力も、速度も、これ以上どう上げろって言うのよ。私たちは、死ぬ気でやってきたわ」


「個々の力は伸びた。それは認めよう。だがな」


 ゼファーは冷徹に断言した。


「『二人で戦う』という意味を、まだ本当には理解しておらん」


「……!」


「お主らは、隣に立ってはいるが、戦っているのはあくまで『個』じゃ。ノエルはノエルの戦いを、エリスはエリスの戦いをしている。互いの力を足し算しているに過ぎん」


 ゼファーの言葉が、二人の胸に突き刺さる。

 確かに、協力はしている。だが、それは「自分の隙を埋めてもらう」あるいは「相手の隙を突くための囮にする」という、利己的な連携の域を出ていないのかもしれない。


「それでは、ワシのような『格上』には一生届かん。足し算では、埋まらない差があるのじゃ」


「足し算じゃ、ダメだってのか……?」


 ノエルが問う。


「掛け算にしろと言っておるのじゃ。……1足す1が2にしかならぬようでは、ワシの100には勝てん。だが、掛け合わせ、昇華させれば、無限の可能性が生まれる」


 ゼファーはそれだけ言い残すと、くるりと背を向け、岩陰の寝床へと去っていった。


「明日の夜明けまでに、互いの連携を完璧にしておけ。それができなければ、一生かかってもワシには届かんぞ」


 残されたノエルとエリスは、重苦しい沈黙の中で、ただ立ち尽くしていた。

 雷鳴だけが、遠くで轟いていた。

          ***

 その夜。

 月明かりの下、修行場の広場で、二人は向かい合っていた。

 昼間の熱気が冷え込み、冷たい夜風が吹き抜ける。


「……やるか」


 ノエルが、静かに言った。

 手には、愛用の木剣。二年間使い込み、手の脂が染み込んだ相棒だ。


「ええ。確認しておかないとね」


 エリスも杖を構える。その表情は真剣そのものだった。

 ゼファーの言葉の意味。「掛け算の連携」。それを確かめるための、最後の模擬戦。


「行くぞ、エリス!」


 ノエルが、警告と共に踏み込む。

 『雷速』を発動させた彼の動きは、もはや肉眼で追える速度ではない。

 バチッ! という音と共に、青白い残像を残し、瞬時にエリスの間合いを詰める。

 一年前とは比べ物にならない速度。だが、エリスは動じない。


「っ!」


 エリスは、風の魔力を足元に纏わせ、バックステップで距離を取る。同時に、杖を振るい、不可視の風の刃『エア・スラッシュ』を放つ。


 詠唱破棄に近い速度。

 だが、ノエルはその軌道を完全に見切っていた。

 風の刃が頬を掠めるのも構わず、最小限の動きで刃を躱し、さらに加速する。

 ノエルの目が捉えているのは、エリスの喉元一点のみ。


(速い……! でも!)


 エリスは焦燥感を覚えつつも、冷静に対処する。

 この二年間で、彼女の動体視力と反応速度は飛躍的に向上した。風を探知魔法として展開し、空気の揺らぎで相手の動きを先読みする技術も身につけた。

 それでも、ノエルの『雷速』は、その予測の上を行く。


「そこだ!」


 ノエルの木剣が、エリスの喉元に迫る。

 必殺のタイミング。

 だが、エリスは杖を地面に突き立てた。


「『ウィンド・ウォール』!」


 エリスの足元から、圧縮された空気が爆発的に噴き上がる。

 風の障壁が、ノエルの剣撃を弾き返した。


 ガギンッ!


 重い衝撃音が響き、ノエルの身体が後方へ弾かれる。

 エリスもまた、衝撃で数メートル吹き飛ばされ、地面を転がった。


「きゃあっ!」


 エリスは受け身を取って立ち上がるが、その顔は苦痛に歪んでいた。

 障壁越しでも伝わる衝撃。ノエルの剣は重い。


「……くっ」


 ノエルもまた、弾かれた腕の痺れを堪えながら、剣を構え直す。


「どうした、エリス。動きが硬いぞ」


 ノエルが指摘する。


「風の探知はできてる。俺の動きも見えてるはずだ。なのに、対処が遅れてる」


「分かってるわよ! でも……!」


 エリスは杖を握りしめた。悔しさが滲む。

 彼女の弱点。それは、接近戦における決定打の不足と、防御の脆弱さだ。

 風魔法は中〜遠距離では無類の強さを発揮するが、懐に入られると脆い。風の障壁も、ノエルのような一点突破型の攻撃には相性が悪い。


「私の魔法じゃ、あんたの速度を止めきれない……。もっと、もっと速く詠唱しなきゃ……」


 エリスは焦っていた。

 明日の相手は、ノエル以上の速度と技量を持つゼファーだ。

 今のままでは、また足手まといになる。あのオーク襲撃の時のように。


「……違うな」


 ノエルが、静かに言った。

 彼は剣を下ろし、エリスの方へと歩み寄る。


「え?」


「お前は、全部一人でやろうとしすぎだ。防御も、回避も、攻撃も」


 ノエルは、エリスの前に立ち、その翠の瞳を見据えた。


「爺さんは言ったろ。『足し算じゃなく、掛け算にしろ』って」


「それは……でも、自分の身くらい守れなきゃ、パートナーなんて言えないじゃない」


「逆だ。パートナーだからこそ、守らなくていいんだ」


 ノエルの言葉に、エリスが目を見開く。


「お前は剣士にならなくていい。接近戦で俺や爺さんと張り合う必要なんてないんだ。……俺が剣になる」


 ノエルは、自分の胸をドンと叩いた。


「お前が狙われたら、俺が防ぐ。俺が突っ込む時は、お前が道を開け」


「ノエル……」


「俺とお前の力は、性質が違う。俺は『点』で、お前は『面』だ。俺が一点を突破し、お前がその隙を広げ、戦場全体を制圧する。……それが、俺たちの『形』だろ」


 ノエルの言葉が、エリスの胸にすとんと落ちた。

 そうだ。自分たちは、二人で一つだ。

 個々の弱点を克服するのではなく、互いの強みで弱点をカバーし合い、相乗効果を生み出す。

 それが、ゼファーが求めている「連携」の正体。


「……そうね。私、焦ってたみたい」


 エリスの顔から、強張りが消えた。

 彼女は杖を構え直し、不敵に笑った。それは、かつての傲慢さではなく、自信に満ちた冒険者の笑みだった。


「じゃあ、試してみましょうか。あんたが私の『剣』になれるか」


「上等だ。お前こそ、俺の『翼』になれよ」


 二人は再び距離を取り、構えた。

 だが、今度は空気が違っていた。張り詰めた緊張感ではなく、互いを信頼し合う、心地よい一体感。


「行くぞ!」


 ノエルが駆ける。

 エリスは、迎撃の風魔法を撃とうとはしなかった。

 代わりに、ノエルの進行方向にある障害物――岩や木の根を、風の魔力で弾き飛ばし、彼の走路をクリアにする。


(走りやすい……!)


 ノエルは驚愕した。

 足元の障害物を気にする必要がない。最短距離を、最速で駆け抜けられる。

 そして、仮想敵に見立てた巨岩との距離がゼロになる瞬間。


「『ウィンド・ブラスト』!」


 エリスが、ノエルの背後から、爆風を放った。

 それは攻撃ではなく、ノエルの背中を押す「加速」のための風。


「うおおおっ!」


 『雷速』に風の加速が加わり、ノエルの速度が限界を超えた。

 青白い雷光と緑の疾風が融合し、一つの巨大なエネルギー弾となって、虚空を穿つ。

 ズドンッ!!

 ノエルの木剣が、巨岩を粉砕した。

 物理法則を無視したかのような破壊力。


「……はあっ、はあっ……」


 土煙の中、ノエルが着地する。

 その背中には、傷一つない。

 そして、エリスもまた、ノエルが切り開いた安全圏で、悠然と杖を構えていた。


「……どう? 今の」


 エリスが、悪戯っぽく微笑む。


「……最高だ」


 ノエルは、痺れる手を握りしめ、ニヤリと笑った。

 言葉はいらない。

 視線を合わせるだけで、次の動作がわかる。呼吸が合う。

 互いの魔力が、互いを補い、高め合っている感覚。


「これなら……いける」


 阿吽の呼吸。

 二人の「双星」は、ついにその輝きを一つにした。


  ***


 翌朝。


 東の空が白み始め、山々の稜線が青く浮かび上がる頃。

 ノエルとエリスは、修行場の岩場に並んで立っていた。

 その表情は、昨夜までの迷いや不安とは無縁の、研ぎ澄まされた刃のように鋭かった。


 朝日が昇ると同時に、岩陰からゼファーが姿を現した。

 老人は、二人の顔を見ると、満足げに口元を緩めた。


「……良い顔になったな」


 ゼファーの身体から、パチパチと紫電が迸る。

 ただ立っているだけで空気が歪むような、圧倒的な魔力の密度。

 元『雷王級』の本気。

 そのプレッシャーを前にしても、二人は一歩も退かなかった。


「準備はいいか、小僧ども」


「ああ。いつでもいいぜ、爺さん」


 ノエルが木剣を構える。その切っ先は、迷いなくゼファーの喉元を指している。


「覚悟しておきなさいよ、クソ爺」


 エリスが杖を握る手に力を込める。周囲の大気が、彼女の意思に呼応して渦を巻き始める。


「ほう。……いい面構えになったわい」


 ゼファーは、杖をゆっくりと構えた。

 それは、ただの老人ではない。世界最強の一角として君臨した、伝説の冒険者の姿だった。


「さあ、来い! ワシにその成長の証を刻んでみせろ!」


「行くぞ、エリス!」


「ええ、ノエル!」


 二人の声が重なる。

 最後の試練が、幕を開けた。

次話は[2025年12月5日 9時00分]予定です。

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