第五十三話
極寒の地下施設、サーバールーム。
瓦礫と粉塵が舞う混沌の中で、異形の怪物「キメラ」と、二人の男が対峙していた。
「ウオオオオオオオオオッ!!」
サイラス・ヴァイスの絶叫が、凍てついた空気を引き裂いた。
彼は、リヒトの制止を振り切り、白銀の細剣を構えてキメラへと突進する。その背中は、冷静な指揮官のものではなく、ただ憎悪と後悔に突き動かされた復讐鬼のそれだった。
「ギデオン……! 貴様が、ギデオンなのかッ!?」
サイラスの問いに、キメラは答えない。
ただ、フルフェイスの装甲に覆われた頭部を傾げ、不気味な駆動音を響かせるだけだ。
だが、その動き出しは、サイラスにとってあまりにも見覚えのあるものだった。
低い姿勢からの、変則的なステップ。
右腕の高周波ブレードを逆手に構え、身体を捻りながら繰り出す、下からの斬撃。
ガギイィィンッ!!
サイラスの突きと、キメラのブレードが激突する。
凄まじい火花が散り、衝撃波が周囲の粉塵を吹き飛ばした。
「……ッ!」
サイラスは、剣を交えた瞬間に確信した。
重い。そして、速い。
この剣圧、この踏み込みのタイミング。間違いなく、ギデオン・スターリングのものだ。
かつて何度も手合わせをし、互いに高め合った親友の剣技。それが今、機械と筋肉の混ざり合った醜悪な腕から放たれている。
『……サ……イ……ラス……』
キメラのスピーカーから、ノイズ混じりの声が漏れた。
それは、サイラスの心を抉る刃となって突き刺さる。
「黙れェッ!!」
サイラスは吠え、さらに剣速を上げた。
悪魔因子の力を解放し、身体能力を極限まで高める。白銀の軌跡が幾重にも重なり、キメラを包囲するように襲いかかる。
だが、キメラはその全てを、まるでサイラスの思考を読んでいるかのように防いでいく。
「くそっ、なぜだ! なぜ俺の剣が通じない!」
焦りが、サイラスの動きを雑にする。
彼は気づいていなかった。キメラに組み込まれているのは、ギデオンの肉体や記憶だけではない。
かつて『Eidolos』で記録された、サイラス自身の戦闘データもまた、この怪物の学習ソースとなっていることに。
「サイラス! 落ち着け! そいつはお前の動きを知っている!」
後方から、リヒトの鋭い声が飛ぶ。
リヒトは、アサルトライフルを構え、援護射撃の機会を窺っていた。だが、サイラスとキメラの攻防はあまりに速く、そして近すぎて、下手に撃てばサイラスに当たりかねない。
「うるさいッ! 異世界人は黙っていろ!」
サイラスは聞く耳を持たない。
目の前の怪物が、親友の成れ果てであるという事実。そして、それを生み出したのが、自分が忠誠を誓っていた組織の闇であるという事実。
それらが、サイラスの冷静さを根底から破壊していた。
「ギデオン……俺が、今、楽にしてやる……!」
サイラスは、大振りの一撃を放った。
渾身の力を込めた、突き。
だが、それはキメラにとって、待ち望んでいた「隙」でしかなかった。
「グ……ル……!」
キメラの左脚、鳥のような逆関節の義足が、爆発的なバネで床を蹴る。
サイラスの突きの内側に潜り込み、右腕のブレードを振り上げるのではなく、左の義足を蹴り上げた。
ドゴッ!!
強烈な蹴りが、サイラスの腹部に突き刺さる。
コンバットスーツ越しでも内臓を揺さぶる衝撃。
「がはっ……!?」
サイラスの身体がくの字に折れ、後方へと吹き飛ばされる。
彼は受け身を取ることもできず、サーバーラックに激突して床に転がった。
「サイラス!」
リヒトが叫ぶ。
キメラは、倒れたサイラスになど目もくれず、追撃の構えを取った。
右腕のブレードが高周波で唸りを上げ、空気を震わせる。
トドメの一撃。
「させるかッ!」
リヒトは、躊躇なくトリガーを引いた。
ダダダダッ!
乾いた銃声が連続して響く。
放たれた弾丸は、キメラの装甲に火花を散らせた。
「グアッ!」
キメラの注意が、リヒトへと向く。
わずかな時間稼ぎ。だが、それだけで十分だった。
リヒトはライフルを背負い、実剣を抜き放ちながら駆け出した。
「こっちだ、化け物!」
彼は、サイラスとキメラの間に割って入り、実剣を構える。
キメラの赤いセンサーライトが、新たな標的としてリヒトを認識する。
『……タ……ーゲッ……ト……』
キメラが、リヒトに向かって跳躍した。
速い。
だが、リヒトの目には、その動きがスローモーションのように映っていた。
シエラとの地獄のような訓練。サイラスとの決闘。
それらを経て磨き上げられた「見切り」の技術が、キメラの軌道を予測する。
(右からの袈裟斬り……いや、フェイントだ。本命は左の蹴り!)
リヒトは、キメラのブレードを剣の腹で受け流すと同時に、身体を低く沈めた。
頭上を、キメラの義足が風を切って通り過ぎる。
「はあっ!」
リヒトは、すれ違いざまに剣を振り抜き、キメラの義足の関節部を狙った。
ガギンッ!
硬い。特殊合金の装甲は、リヒトの実剣でも容易には断ち切れない。
だが、衝撃でキメラの体勢がわずかに崩れる。
「……硬いな」
リヒトは距離を取り、剣を構え直す。
正面からの斬り合いでは分が悪い。相手は痛みを感じず、疲れを知らない殺戮マシーンだ。
まともにやり合えば、先に消耗するのはこちらだ。
「……リヒト……」
背後で、サイラスがふらつきながら立ち上がった。
口元からは血が流れ、その碧眼は焦点が定まっていない。
トラウマのフラッシュバック。親友を救えなかった過去と、目の前の現実が混濁し、彼の精神を蝕んでいる。
「退がっていろ、サイラス!」
リヒトは、背中でサイラスを庇いながら叫んだ。
「今の状態のお前じゃ、殺されるだけだ!」
「うるさい……! あれは……ギデオンなんだ……俺が、やらなきゃ……」
サイラスは、うわ言のように呟きながら、再び剣を構えようとする。
だが、その手は震え、足元はおぼつかない。
(……駄目だ。冷静さを失っている)
リヒトは歯噛みする。
このままでは共倒れだ。
キメラは、体勢を立て直し、再び二人をロックオンしている。
その動きには、慈悲も躊躇いもない。ただ、プログラムされた「殲滅」の意思があるだけだ。
「グオオオオッ!」
キメラが吠えた。
その咆哮と共に、背中の排気ダクトから高熱の蒸気が噴き出す。
出力全開。
キメラの全身の筋肉が膨張し、装甲の隙間から赤い光が漏れ出す。
「来るぞ!」
リヒトが警告する間もなく、キメラが消失した。
いや、あまりの加速に、視界から消えたように見えたのだ。
「しまっ――」
リヒトの反応速度をもってしても、追いきれない。
気づいた時には、キメラは懐に入り込んでいた。
高周波ブレードが、リヒトの首を刈り取ろうと迫る。
ガギィィィンッ!!
リヒトは、咄嗟に実剣を盾にして防いだ。
だが、衝撃は凄まじかった。
足元の床がひび割れ、リヒトの身体が後方へと吹き飛ばされる。
「ぐあああっ!」
壁に叩きつけられ、肺の空気が絞り出される。
実剣を持つ手が痺れ、感覚がない。
キメラは、攻撃の手を緩めない。
吹き飛ばされたリヒトには目もくれず、今度は無防備なサイラスへと標的を変えた。
「やめろォッ!!」
リヒトが叫ぶ。
だが、サイラスは動けない。
迫り来るかつての親友の姿に、金縛りにあったように立ち尽くしている。
『……シ……ネ……』
キメラが、無機質な殺意の言葉を吐き出し、ブレードを振り上げた。
サイラスの瞳に、死の閃光が映る。
その時。
リヒトの脳裏に、ある光景が蘇った。
シベリアへ向かう機内での会話。
『貴様に……! 貴様ごときに、俺の何が分かる!』
サイラスの、悲痛な叫び。
守れなかった過去への後悔。真実を知ることへの恐怖。
(……分かるさ)
(俺も、同じだからだ)
故郷を追われ、力を失い、それでも足掻き続ける自分。
過去に囚われ、友を失い、それでも真実を求め続けるサイラス。
二人は、似た者同士だったのだ。
だからこそ。
ここで、また「失う」わけにはいかない。
「立て、サイラス!!」
リヒトは、激痛に悲鳴を上げる身体を無理やり動かした。
計算も、合理性も、今の彼にはない。
あるのは、ただ一つの「意志」。
――守る。
その純粋な想いが、極限状態で、魂の奥底にある「扉」を叩いた。
ドクン。
リヒトの心臓が、大きく脈打った。
魔素のない世界。枯渇したはずの魔力回路。
だが、その奥底から、温かく、力強い「光」が溢れ出してくる。
(これは……?)
リヒトの身体から、白い光が立ち昇る。
それは、クレアトリアの聖魔法とは違う。もっと根源的で、万物を形作るような、優しい光。
創造を司る「白き月」の力が、主の「守りたい」という強い意志に呼応して、覚醒を始めたのだ。
「うおおおおおおッ!」
リヒトは、光を纏ったまま疾走した。
壁を蹴り、瓦礫を飛び越え、サイラスとキメラの間へと割り込む。
間に合え。
間に合ってくれ。
キメラのブレードが振り下ろされる。
リヒトは、剣を構えることすらしなかった。
ただ、サイラスを庇うように、両手を広げて立ちはだかった。
「リヒト!?」
サイラスの驚愕の声。
キメラの一撃が、リヒトの身体を両断する――はずだった。
キィィィン!!
澄んだ音が響き渡る。
ブレードは、リヒトの身体に触れる寸前で、見えない壁に阻まれて止まっていた。
リヒトの前に展開された、幾重にも重なる、白い光の「盾」。
それは、魔素を凝縮した障壁ではない。
リヒトの意志が具現化した、絶対的な守りの概念。
『……ガ……?』
キメラが、困惑したように動きを止める。
そのブレードは、高周波の振動すらも無効化され、光の盾に弾かれそうになっていた。
「……過去に殺されるな、サイラス!」
リヒトは、光の中で叫んだ。
背中のサイラスに向かって。
「お前が守りたかったものは、こんな化け物じゃないはずだ!」
「ギデオンという男の誇りを……魂を、守りたかったんじゃないのか!」
その言葉は、サイラスの凍りついた心を、熱く溶かしていく。
「なら、立て! 立って、あいつを……あいつの魂を、救ってやれ!」
リヒトの言葉が、サイラスの魂を揺さぶる。
そうだ。
自分は、何のためにここに来た。
ただ泣き言を言うためか? 謝罪するためか?
違う。
友を、こんな醜い姿に変えた悪夢を終わらせるためだ。
ギデオンの無念を晴らし、彼を「兵器」としての呪縛から解き放つためだ。
「……ああ、そうだな」
サイラスは、よろめきながらも、立ち上がった。
その手には、再び白銀の細剣が握られている。
碧眼から、迷いは消えていた。
あるのは、悲しみを乗り越えた先にある、静かな決意。
「リヒト……。借りは返す」
サイラスの身体から、再び悪魔因子の力が溢れ出す。
だが、それは先ほどまでの暴走したドス黒いオーラではない。
冷たく、鋭く研ぎ澄まされた、氷の刃のような魔力。
「行くぞ、相棒!」
リヒトが、光の盾を解除し、実剣を構え直す。
「相棒」と呼ばれ、サイラスは一瞬だけ、皮肉な笑みを浮かべた。
「……フン。誰が相棒だ」
だが、その足は、リヒトと並ぶように踏み出されていた。
「だが、今回だけは……合わせてやる!」
二人の「戦友」が、並び立つ。
白き月の守護と、氷結の刃。
相反する二つの力が、今、最強のキメラを討つために、初めて交わろうとしていた。
次話は[2025年12月3日 9時00分]予定です。




