【本編】第3話:胸に残る名
『咎の上に咲く花』
名前を奪われたヒロインと、記録に囚われた人々の物語。
女性主人公 × 恋愛要素あり × 感情と記録をめぐる構造劇。
「記されること」とは何か。「赦し」とは何か。
咎と祈り、そして“記録されなかったもの”に向き合う物語を、
ノベルゲーム形式で制作中です。
舞踏会の夜が明け、世界は何事もなかったように翌朝を迎えていた。
修道院の一室で、私は開かれた記録帳を前に、羽根ペンを握っていた。
(……記録しなきゃ)
仮面舞踏会の熱気、人々のざわめき、流れるワルツ。
けれど胸に残るのは、あの仮面の男──
深い茶に赤を滲ませた髪、琥珀色の瞳。
【グラヴィオ】
──夜の花は、摘まれずに、咲くものだ。
──記すことと、記さないこと。どちらが、優しいのだろうね。
インクがぽとりと紙に落ちる。
(詩なんて、本当のことじゃないかもしれないのに)
(なのに、どうして……こんなに、胸がざわめくの?)
私は羽根ペンをそっと置き、目を閉じた。
翌日の午後、私は王都の中央図書院を訪れていた。
舞踏会の記録はすでに提出している。
けれど、気がかりな言葉があった。あの夜の詩──「夜の花」。
どこかで聞いたような、忘れかけた記憶をくすぐる響き。
"出典確認"という名目で、資料室を歩く。
棚の端に置かれた古びた詩集に、ふと目が留まった。
(……夜の花、か)
指先が伸びたそのとき──
別の手が、同じ詩集に重なった。
反射的に顔を上げると、見覚えのある青年が立っていた。
【リュシアン】
「……失礼。先にどうぞ」
静かながら、どこか皮肉を含んだ口調。
舞踏会で目にした、冷静なまなざしの青年。
【リュシアン】
「おや、またお会いしましたね。もう王都の空気には慣れましたか?」
「“王都の歩き方”は……さすがに置いてありませんか」
その口調には、どこか皮肉めいた響きがある。
【アメリア】
「……ええ、なんとか」
「王都の、歩き方……ですか?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、彼の視線が手元の詩集に落ちる。
【リュシアン】
「ああ、お気になさらず。言葉の綾みたいなものです」
「それにしても──“夜の花”を調べるとは、なかなか鋭い」
「……その言葉、彼の詩のなかでも、印象的な一節ですから」
【アメリア】
「彼、というのは?」
【リュシアン】
「グラヴィオ・カルネヴァレ。その本の著者です」
「郊外の月影亭に滞在していると聞いています。人目を避けるようにして」
(グラヴィオ)
あの仮面の男。あの詩の声。
胸の奥が、また小さく波打った。
【リュシアン】
「彼の詩は…美しい。でも、時に危うい」
「仕事上、そういう『影響力のある言葉』は把握しておかないといけないので」
【リュシアン】
「記録を”生業”にしていた人間が詩を書くと、言葉が重すぎることがあるんです」
「言葉が、人を変えてしまうくらいに」
「……調べる側としては、厄介な存在ですね」
(記録を……)
知らなかった。けれど、どこか納得できた。
あの夜、彼の言葉が、確かに私を動かしたから。
私は礼を言い、資料を胸に抱えて図書院を出た。
夕暮れの風が、そっと頬を撫でていく。
胸の奥に、小さな灯が静かに灯った。
(確かめたい)
あの夜の言葉が、ただの詩だったのか。
それとも、もっと深い“何か”だったのか。
私は羽織を整え、郊外の月影亭へと歩き出した。
まるで夜の庭に導かれるように──
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




