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【本編】第35話:記録に触れる

部屋に戻り、封筒を開ける。

中にあったのは、一冊の記録帳だった。

厚手の表紙は古びて、角はすり切れ、ページの縁には、静かに時の色が染みついていた。


(これが……提出前の”副記録帳”?)


だけど、それはどこか”違って”いた。

神殿印も、提出用の装丁も見当たらない。

中を覗くと、所々に斜線が走り、頁ごとに手が加えられていた。


(何か、おかしい……)


そっと頁をめくる。

筆跡はあの人のものだった。

記された言葉は静かで、冷たく、どこか他人のようでもあった。


けれど――

目に飛び込んできたのは、ひとつの名前だった。

……いや、“かつてそこにあった名前”だった。


「グラヴィオ・カルネヴァレ」【斜線処理】


――そのすべてが、深く、重ねるように、斜線で消されていた。

一文字ずつ、丁寧に、何度もなぞるように。

まるで、“この名を存在させたくない”と願うように。

息を呑む。


(……これ、彼が……自分の名を……?)

(どうして……そんな……)


しかも、インクは新しい。

十三年前の紙に、つい昨日書かれたような痕跡がある。


(あとから、全部……彼が、自分で……消した……?)


震えるように、記録帳をめくる手が止まる。

そこにあったのは――見覚えのある家名だった。


「ジェンシア家」


死亡登録日。

断絶の印。


そして、署名欄には、やはり――

──記録欠損グラヴィオ・カルネヴァレ【斜線処理】


(……これ、“わたしの家”の……)


喉の奥で、息がひとつ、止まった。


(あの詩に書かれていたこと……)

(本当に、記されていたんだ。

あの夜、すべてが終わった日。

わたしが、“いないもの”にされた記録が)


頁の端に、斜線で掻き消された名前。


(……彼の筆だった。やっぱり)


頁を押さえる手が震える。


(この手で、あの記録を書いて──そして、あとから、自分の名を消した)


胸が締め付けられる。


(詩だけじゃなかった。これは、本当に……)


彼は、自分で"記したこと"を、"記さなかったこと"にした。

記録の正しさを壊してでも──"生きているわたし"を、この世界に残すために。


―――


ふと気づく。帳面はまるで――“息をしていない”。

反応がない。

紙が沈黙している。

記録帳としての”鼓動”が、どこにもない。


(……これは、いまはもう、記録帳として機能していない)

(持ち主を失い、世界から切り離された、“抜け殻”だ)

(それでも。もしかしたら――)


そっと、わたしは頁の片隅に記してみる。

インクは滲まない。はっきりと、残った。


(……記せる。わたし、記せるようになってる)


頁が、微かにふるえた。


(記録帳って、きっと"正しさ"を誰かに決めさせるためのものだった)


胸の奥で、何かが疼く。


("どちらが正義か""何が赦されるか"──すべて、記されたほうだけが"真実"になっていく)


でも、わたしの中には確かなものがある。


(でも、それでも──これが、わたしにとっての真実なら)


―――

<神殿記録帳・死亡登録>

記録日:第24期 1270年10月17日

対象家門:旧記録局筆頭家門 ジェンシア家

死亡登録:関係者一同

備考:本件は、王命に基づく即日処置により記録不在。

死亡の事実確認および供養記録の補足として神殿に登録されたもの。

記録上の死因・詳細は未開示。

署名:【記録欠損】

※本記録の整合性は不十分とされる


<訂正>【上書き署名】→ グラヴィオ・カルネヴァレ

──この記録を保存しますか?

▷ YES

▶ NO


―――


(わたしは……彼の名前を記さない)

(この言葉を、誰にも見せたくない)

(赦しでも、断罪でもなく――これは、わたしの中にだけあればいい)


それでも、生きている。

あの人も、きっと。どこかで。

わたしは、そっと記録帳を閉じた。

開いていた頁は、ただ静かに閉ざされたまま。


(公式の記録がどうあれ──)

(……わたしの中では、もう、書かないと決めた)


頁の奥に、消せない想いだけが、静かに沈んでいた。


(記録は消えても、わたしたちは在る)

(名前がなくても、わたしは、彼を……)


―――


夜が、静かに降りてくる。

言葉も記録も持たないふたりが、まだ名を持たぬ明日へと、そっと歩き出す。

――でも、その前に。

会いたい。もう一度だけ。


※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。

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