【本編】第34話:リュシアンとの対峙
(……やさしかった)
修道院の中庭。薄曇りの空の下、私は花壇の前に立っていた。
詩の束の最後の一遍を、ようやく読み終えたところだった。
胸の奥で、まだ波紋のように言葉たちが揺れている。
(だけど、それだけじゃない)
(この感情に、名前をつけてしまったら──)
【???】
「……危ういですね、その目」
不意に、背後から声がした。
軽やかで、どこか乾いた響き。
振り返らずとも、誰かわかった。
【アメリア】
「……見られてましたか」
【リュシアン】
「偶然ですよ。恋をした人の足音って、残りますから」
その言葉に、私は振り返った。
【リュシアン】
「……それにしても。顔に出てますよ、感情」
「誰のせいかなんて、僕にはもう、わかってしまいそうですけど」
【アメリア】
「……何が言いたいんですか?」
リュシアンは小さく息を吐いた。
その瞳に、ほんのかすかな怒りと迷いが浮かんでいた。
【リュシアン】
「……赦すんですか。あんな人を」
「“あの記録”を書いた人間を、“男として”見ようとしてる」
「そんな君を、僕は、見ていられない」
(咎を記した人を、咎とわかっていて、それでも……)
(もし、惹かれていたとしたら、それは……罪?)
【リュシアン】
「……彼、記録を記していた頃から、“詩”という仮面で、真実を覆ってたんでしょうね」
「“咎人を救う詩”なんて、聞こえはいい」
「でもそれは、“記さないことで自分だけが綺麗でいようとする詩”だ」
私は、静かに彼を見つめた。
【アメリア】
「……あなたも、本当は赦したいんじゃないですか?」
沈黙が落ちる。
風に揺れる草花の音すら、遠くなった。
【アメリア】
「“赦されようとする”人が許せないんじゃない」
「“赦したい”と思ってしまう自分が、咎に触れてしまうから……そうなんでしょう?」
リュシアンの視線が揺れた。
けれど、すぐに逸らすことなく、真っ直ぐこちらを見返してきた。
【リュシアン】
「……違う形で出会っていれば、僕も、そんなふうに考えられたのかもしれませんね」
少しの静寂。
彼は背を向けずに、懐から一つの封筒を取り出した。
【リュシアン】
「これを、君に渡すべきか、ずっと迷っていました」
「……月影亭を探したんです。彼がいなくなったあと、誰にも言わずに」
「何も残っていないと思ったのに……書棚の奥に、これが、そっとしまわれていた」
白い封筒は、年季の入った羊皮紙のようにくすんでいて、封の端にはかすかな詩文の走り書きがあった。
【リュシアン】
「どうやら、正式な提出前に書かれた”副記録帳”のようです」
「記録官なら、こういう控えを自分用に持つ習慣があっても不思議じゃない」
(十三年前……私の家が、“処分”されたあの夜)
【リュシアン】
「最初は、彼を告発するために使うつもりでした」
「これを君に突きつけて、“赦すなんて間違ってる”って」
少しの沈黙のあと、彼は諦めたように言葉をつなげた。
【リュシアン】
「でも……もう、そんな気持ちは、どこかへ行ってしまった」
「……読むかどうかは、君が決めてください」
そう言って、彼は封筒を私の手にそっと渡した。
それは、何かを暴くための証拠ではなく、まるで、“残ってしまった真実”そのもののようだった。
私は封を開けないまま、それを胸に抱えた。
風が、またひとつ、ページのようにめくれる音を立てて、過ぎていった。
――それは、静かな言葉だった。
でも、それはもう──
過去を暴くためではなく、未来を選ぶための、贈り物のように聞こえた。
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




