【本編】第32話:戻る場所は、変わらないまま
夜が明けても、私は記録帳を開かなかった。
昨日書いた言葉が、まだそこに残っているのかどうか──
それを確かめる意味は、もうなかった。
でも、不思議と怖くはなかった。
たとえ消えていても、たとえ誰にも読まれなくても。
わたしの心には、確かに刻まれているから。
(この国では、わたしの愛は記録されない)
(でも、消されても、わたしたちの中にある)
―――
日が昇りきったころ、私は修道院の自室に戻っていた。
ぼんやりと、何かを取りに立ち上がったとき、
机の上に置かれた小さな包みに目が留まった。
薄い羊皮紙に丁寧に包まれて、紐がかけられていた。
見覚えのある筆跡が、控えめに宛名を綴っている。
──あなたへ。
(……グラヴィオ)
そっと包みを解く。
中から現れたのは、沢山の紙束だった。
彼が詩を綴った、あの夜の続き。
まだ読んでいなかった、彼の”魂”。
その手紙のような詩を前にして、私はしばらく動けなかった。
胸の奥で、なにかがきゅっと締めつけられる。
(……どうして、こんな詩を、あのとき渡せたの)
(まだ、私が何も知らないままでいるときに)
(自分が責められると知りながら、それでも――)
束を胸に抱えたまま、私はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
ふと、震えた指が紙を滑らせてしまう。
束ねられていた詩が、一遍ずつ、ぱらり、ぱらりとほどけて床に散らばった。
(……こんなにも)
まるで、その想いが閉じきれず、こぼれるように咲いてしまったように。
彼の言葉が、部屋いっぱいに広がっていく。
私は、そっと一枚に手を伸ばした。
(……読まなきゃ)
(これは、わたしの記録だ)
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




