【本編】第26話:読むまでは
(このまま、朝になってしまう)
朝焼けが、月影亭の石壁を淡く照らし始めていた。
書斎の窓から見える空の色——夜が明けても、私はまだ決められずにいた。
手元の包みを開くことが。 暖炉の火はすっかり落ちて、それでも包みだけは、ぬくもりを含んだまま重かった。
(これが、彼の……)
けれど、まだ開いていない。まだ、見られなかった。
(怖い)
(読んでしまったら、もう戻れない気がする)
ふと、机の隅に置かれた銀色のペンが目に入った。
軸には、かすれかけた刻印が残っている――"記録局 第七局"の文字。
(……やっぱり、彼も……かつては、記す者だった)
胸の奥で、何かが静かに沈んだ。
("なぜ語らないのか?" その理由が、きっとここに……)
控えめなノックの音。
扉を開けると、昨日の使用人が少しだけ視線を伏せた。
【使用人】
「……今のうちに、お戻りを」
「もうすぐ、神殿の方が再びお見えになると」
私は頷き、立ち上がった。一度だけ書斎を振り返る。
(……もう、会えないかもしれない)
(でも、どうして……あの夜、何も言わなかったの?)
(……なぜ、あの人の罪は、まだ詩に閉じ込められたままなの?)
包みを抱き締めるように持ち直し、私は月影亭をあとにした。
石畳を踏みしめる音が、やけに静かに響く。
空の色はもうすっかり朝で、世界は何事もなかったかのように動き始めている。その時だった。
【カリーナ】
「まあ、深刻そうな顔」
振り返ると、日傘をさした若い貴婦人が立っていた。
何度かサロンで見かけた伯爵令嬢だ。
【カリーナ】
「こんな朝に……月影亭で何かあったの?」
【アメリア】
「……いえ、少し、調べものを」
【カリーナ】
「ふふ、そう。あなた、嘘が苦手なのね」
彼女は私の手元の包みに視線を落とす。
【カリーナ】
「でも、大丈夫。恋って、そんなに綺麗なものじゃないわ」
「一点の曇りもない恋なんて、見たことがないもの」
そう言って、彼女はそっと微笑む。
【カリーナ】
「逃げてもいいのよ。その先に、愛があるのなら」
「でも、あなたがその人を"見届けたい"と思ったなら、それも一つの強さよ」
(逃げてもいい……知ることを選んでも……)
けれど、私は頷くことも、否定することもできなかった。
(彼は、まだすべてを語っていない)
(そして、私は……まだ、読んでいない)
包みの封に添えられた、細い手書きの宛名を指でなぞる。
(……読むのが怖い)
(でも、読まなければ、あの人が何を隠しているのかも、わからないまま)
私は包みを胸に抱き、歩き出した。向かう先は、石畳を抜けた先にある修道院。
(読むまでは──聞くまでは、終われない)
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




