表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/43

【本編】第24話:沈められた蕾へ※グラヴィオ視点

彼女は、もう気づいている。


朝の月影亭は、夜の余韻を引きずるように静まり返っていた。

昨夜も結局、真実を告げることができなかった。

机の上の詩稿の束——渡せなかった言葉たち。


私はその束の中から、一枚のざらついた紙に指を滑らせた。

少し色褪せた、古い詩。


『沈められた蕾へ』

書き出しの行が、朝の光に浮かび上がる。

「家門は、嵐に散らされた」

「死の中に記した」


その言葉の跡をなぞる指先に、記憶が滲む。


(あれは──十三年前の、秋の夜だった)


神殿の記録帳に、私は"死"を書いた。名を伏せられた少女の、存在ごと。

「全員が処された」──それが、唯一記された言葉。


(赦しだった、と自分に言い聞かせていた)

(あれが、せめてもの温情だったのだと)


でも、違う。本当は、恐れていた。

あの子が生きていると知った瞬間、この手が運命を定めてしまうことを。

記録する者としての責任から、逃げたのだ。


言葉を覚え始めたばかりの、幼い蕾。

ジェンシアの記録室で、大人たちの背後からちらりと覗いた、あの視線。

誰も気づかなかったはずのその一瞬を──私は、見てしまった。


あの時、誰かが囁いた声がある。

「……咎人の娘と記せば、裁きは下る。記さねば、すべてが沈む。

それでも──どちらかを選ぶ覚悟は、君にあるのかい?」


それは、神の声のようでもあり、悪魔の誘いのようでもあった。

私はその言葉を、信じた。救いだと信じ込もうとした。


(けれどあれは、ただの抹消だった)

(守ったつもりで、彼女からすべてを奪っていた)


そして今、彼女は"アメリア"という名で、私の前にいる。

昨日の彼女の目には、ためらいのない意志が宿っていた。


(……私の咎を、知ろうとしていた)


次に彼女がここを訪れたとき、もう逃れられないだろう。

この詩を読んだなら、あの夜の沈黙を、私の罪を──彼女は知ってしまう。

そしてきっと、記すだろう。この私を、"罪人"として。


(……それで終わるのなら、それでもいい)


それでも私は、どこかで願ってしまっている。

彼女の手が、咎ではなく、赦しを記すことを。

そんな身勝手を、心の底から捨てきれないまま。


私は詩の束をそっと閉じた。

言葉よりも先に、告げなければならない。詩ではなく、自分自身の声で。


「……あなたが記す前に、私が語らなければならない」

「詩人ではなく、かつて記録官だった私の言葉として」


窓辺に微かに残る香りに、昨夜の彼女の気配を感じた。

それは記録されていない、ただの痕跡。

けれど、それだけで十分に痛むほどに、深く残っていた。

※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ