【本編】第22話:選択の予感
翌朝の修道院は、静かだった。薄曇りの光が、机の上を白く染めている。
私は記録帳を開き、白い頁に目を落とした。
(やっぱり……)
「わたしは」と書いた一文は、跡形もなく消えていた。
(“わたし”の言葉は、記録されない)
記されない者の言葉は、記録帳に残らない。
("わたし"の言葉は、記録されない)
記されない者の言葉は、記録帳に残らない。
神殿が施した仕様なのだ。
机の端には、神殿からの封書。開かなくても分かる。
文化人グラヴィオ・カルネヴァレに関する報告の催促――提出期限が迫っている。筆を手に取り、静かに息を吐いた。
(……記さなければいけない)
事実なら、記せる。十三年前、彼が記録局にいたこと。
生死に関わる記録を扱っていたこと。
それは私の家族が処分された時期と重なる。
(けれど……彼は、何も語らなかった)
昨日も、詩だけを語っていた。
「記録は呪いになる」と言いながら、自分が記したものについては一言も触れずに。
(私の記録が、誰かを連れていったかもしれない)
推測で咎を記すことの重さを、私はもう知ってしまった。
それが、たとえ彼であっても――
記録帳の空白が、静かに責めてくる。
(咎として記すのか。それとも、赦すのか)
でも今の私には、そのどちらも選べなかった。
(だったら……確かめなければ)
彼の目を見て、言葉を聞いて。
過去に何があったのかを。なぜ記録を捨て、詩人として生きているのかを。
(……グラヴィオに、会いに行こう)
筆を置き、羽織を手に取る。
扉の向こう、街はもう夕暮れに染まり始めていた。
(聞かせてほしい。あなた自身の言葉で)
私は静かに、月影亭へと向かって歩き出した。その先に待っていたのが、少しだけ違う表情の"詩人"だったことを、まだ知らずに。
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




