【本編】第14話:名を呼ばれなかった蕾
雨音はまだ、遠くで続いていた。
手に取ったその一枚には、名前のない詩が綴られていた。
―――
名を呼ばれぬまま、
永遠にも近い沈黙をやりすごした青い蕾
手折ることも、記すこともできず──
それでも、心の奥で、確かに揺れていた
あの夜の静けさの奥で、ひとつだけ
名を呼ぶように咲こうとしていた
記録の余白の、すぐ隣で
―――
(これは)
青い蕾のような花の描写。
"名を呼ばれないまま、咲かずに終わった存在"。
それはまるで、かつて"記録から消された少女"
──わたし自身を、詩に映したかのようだった。
(こんな詩を、書けるのは──)
胸がきゅっと締めつけられる。足が震える。
けれどそのとき、足元から小さな音がした。
ころん、と、鞄の中から何かが転がる。
(あっ)
足元に、羽根ペンが落ちていた。
慌ててかがみこもうとしたその瞬間、先に指が伸びてきた。
【グラヴィオ】
「落とし物ですね」
その声に顔を上げると、彼の視線が羽根ペンから、私へと静かに移った。
目の奥に、わずかな驚き──そして、確信のようなものが浮かんでいた。
【グラヴィオ】
「この意匠……」
長い、長い沈黙。
【グラヴィオ】
「青い花の家門の、ものですね」
世界が、止まった。
(リンドウの銀柄……母が残してくれた、唯一のもの)
(見つかった……ついに)
手の中に戻された羽根ペンが、わずかに震えていた。
【アメリア】
「はい。ずっと、大切にしているものなんです」
グラヴィオはそれ以上なにも言わず、ただ「詩は、読まれるためにある」とだけつぶやいた。
けれど、その沈黙の奥で、何かが確かに変わっていた。
彼の視線は、もう"他人"を見るものではなかった。
(この人は、わたしが"誰"なのか……もう、気づいている)
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




