【本編】第11話:消された想い
(──たしかに、書いた)
夜更けの修道院。
静けさのなか、机の上に開いた記録帳を、私はじっと見つめていた。
『私のこの想いに、名前はつけられない。
でも、確かにここにある。
記されなくても、消えないもの──』
震える手で、昨夜綴ったはずの言葉は、どこにもなかった。
白紙の頁が、何事もなかったように笑っている。
(そんなはず、ない)
記録帳を何度もめくり返す。
文字が薄れていったわけでもない。
インクのにじみも、書いた痕跡すら、どこにも残っていない。
けれど──
(他の記録は、消えていない)
サロンの描写、文化人たちの会話、展示された詩。
淡々と書き綴った他者のことは、どれもそのまま残っていた。
(わたしの、気持ちだけ)
まるで、それだけが "存在を赦されなかった" ように。
(あの人は言っていた。咲かせてはいけない感情だけが、沈むことがあると──)
そのときは、詩のような比喩だと思っていた。
けれど今は、ただの言葉ではなかったのだと、思い知らされる。
(これは、偶然なんかじゃない)
もう一度、書こうとした手が、震えた。
(あの人に惹かれたこの気持ちが、記録帳に残せないものだとしたら──)
(それって、わたしが…記してはいけない記録を記そうとしているってこと?)
記すことが赦されない感情。
記録されることなく、誰にも知られず、消されていく想い。胸の奥が、きゅっと痛んだ。
(名前も書いていないのに……)
頁を閉じる音が、夜気に静かに響いた。
―――
その翌朝、机の上に新たな通達が置かれていた。
『文化活動記録任務
追加配属者:記録見習いA
対象:グラヴィオ・カルネヴァレ
報告期限:追って通知』
一行だけの、乾いた文言。
(私に?)
王政を通じて届いた、神殿からの任務。
指示はただ一つ──"彼を調べろ"。
(どうして?)
文化人たちは数多くいるのに、あまりにも"特定"すぎる指示。
それに、なぜ、私が選ばれたのか。
(あの人は、記録に関わったことがあるから?)
(でも、それならなおさら、どうして)
まるで最初から、彼と出会うことが決まっていたみたいに。
"この任務のために選ばれた"とでも言うような、奇妙な一致。
頁の余白に、名前も書かれていないのに、誰かの目がそこにあるような──
そんな気配が、背後にまとわりついていた。
(これは本当に、記録のための任務なの?)
(それとも──観察されているのは、わたし?)
リンドウの意匠が刻まれた羽根ペンを、そっと握りしめる。
(記すことが、"誰かの生さえも左右する"のだとしたら──)
(私は、どこまで筆を進めていいのだろう)




