【本編】第8話:視線の中で
『咎の上に咲く花』
名前を奪われたヒロインと、記録に囚われた人々の物語。
女性主人公 × 恋愛要素あり × 感情と記録をめぐる構造劇。
「記されること」とは何か。「赦し」とは何か。
咎と祈り、そして“記録されなかったもの”に向き合う物語を、
ノベルゲーム形式で制作中です。
サロンの空気にも、少しずつ慣れてきたと思っていた。
何度か足を運ぶうちに、顔を覚えられ、名前を問われることも増えた。
"アメリア"としての名前。
それは仮の名で、でも、いまの私の居場所だった。
彼は、何度目かの夜に言った。
「詩に親しむ修道女です」と──ごく自然に、けれど丁寧に。
そう紹介されてから、文化人たちの視線が、ほんの少しずつ、私にも向けられるようになった。
だから今日は、少し油断していたのかもしれない。
ひとりで本棚のあたりに立っていたとき──
【貴族】
「グラヴィオ先生のご友人ですよね? よければ、こちらへ」
背後から声がかかり、数人の文化人たちの視線がこちらに向いた。
(わたし?)
彼の傍ではない、"私個人"に注がれたまなざし。
咲くつもりのなかった蕾が、不意に光に晒されたようだった。
私は静かに一礼し、席へ向かう。
囲まれるようにして席に着くと、問いが次々に投げかけられる。
「どちらでグラヴィオ先生と?」
「詩はよくお読みになる?」
「修道院では、何を?」
悪意はなかった。けれど、その無邪気さが、どこか怖かった。
(こうして、人は"記されて"いくんだ)
名を問われ、立場を探られ──やがて、記録される。
その前段階に立たされている気がした。
ゆっくりと言葉を返しながらも、胸の奥では仮面が一枚ずつ剥がれていくようだった。
【貴族】
「しかし、あなたは修道院出身にしては、ずいぶん所作が美しいね」
その一言で、空気が少し張り詰めた。
【グラヴィオ】
「美しいものは、謎が多いほうがいい。深みが増すでしょう?」
低くやわらかな声。
けれど、その奥に、冷えた刃のような棘がひとつ、静かに揺れていた。
【貴族】
「失礼したね、お嬢さん」
話題は、するりと別の方向へ流れていった。
私は、それ以上問われることはなかった。
(注がれかけた光は、すぐに逸れていった)
(まるで、咲きかけて──また風に隠れた花みたい)
ほっとした。けれど、胸の奥には、ほんの少し、寂しさが残った。
―――
やがて人々が散っていくと、グラヴィオが静かに近づいてきた。
【グラヴィオ】
「筆を止めた記録官、というのも珍しい光景ですね」
私の手元──開いたまま放置された記録帳を見つめながら、彼は言った。
(見られていた? いつから….…)
【アメリア】
「ただの、習慣です。記さないと、流れてしまいそうで…」
【グラヴィオ】
「記すことは、大切です」
「でも……言葉にしないことで、残るものもあると思いませんか?」
【グラヴィオ】
「記録帳には、すべての真実は記せません」
「特に、"名を出せないこと"ほど、記されることを拒む」
【アメリア】
「では、記されなかったことは……もう存在しない?」
【グラヴィオ】
「記録帳には、です」
「けれど、詩の中には……時折、そういう真実が沈んでいることがあります」
(詩に、真実が)
【グラヴィオ】
「"誰かを傷つけない形で、記したかったこと"。それは記録ではなく、詩になるんです」
「名を出さず、罪とせず……けれど、そこに残す。祈りのように」
その言葉に、胸の奥がわずかに震えた。
彼は"記すことの怖さ"と"記さず残すことの意味"を、
まるで──どちらも知っている人のように語った。
(この人……やっぱり、ただの詩人じゃない)
けれど、不思議と怖くはなかった。
動揺の奥に、小さな安堵さえ混じっていた。
(この人は、私を試してこない。ただ、知っていて、待ってくれている)
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




