【本編】第7話:詩が繋ぐもの
『咎の上に咲く花』
名前を奪われたヒロインと、記録に囚われた人々の物語。
女性主人公 × 恋愛要素あり × 感情と記録をめぐる構造劇。
「記されること」とは何か。「赦し」とは何か。
咎と祈り、そして“記録されなかったもの”に向き合う物語を、
ノベルゲーム形式で制作中です。
(今日は、ここまでにしよう)
記録帳を閉じ、椅子を引いて立ち上がる。
文化人たちのやりとりをまとめたはずなのに、言葉にならない感情が、どこかで小さく灯っていた。
羽織を整え、扉のほうへと歩き出す──そのとき、壁際の飾りの陰に、小さな紙片が目に入った。装飾の影に隠れるように置かれていた一枚の詩。
展示のものとは明らかに違う。
まるで、誰かが"残した"ような──光の届きにくい場所に、それはひっそりと置かれていた。
筆跡は細く繊細で、どこか、悲しみを隠すような優しさがあった。
―――
【詩の断片】
名を持たぬ蕾に、そっと灯を。
記されず、呼ばれず、 それでも夜の片隅で、 息をしていた誰かに
―――
(こんなにもやさしいのに)
(どうして、こんなに怖いの)
名前も、署名もない。
けれど、そこに宿っていた感情だけが、胸の奥に触れた。
(わたしを、見ているみたい)
この世界に、存在しないことになっている"わたし"。
誰の記録にも載らない、今の私の姿。
私は、そっと詩を手に取ると、記録帳を開き、羽根ペンを取った。
誰にも見られないように──その詩を写す。記録ではなかった。
任務でもない。ただ、自分のなかに残しておきたかった。
胸の奥が静かに動いた、あの一瞬の証を。
―――
翌夜。
ふたたび訪れた月影亭で、私は静かな席に腰を下ろしていた。
けれど、記録帳を開いた瞬間、息を呑んだ。
(……ない)
昨夜、確かに書き写したはずの詩が──消えていた。
インクの痕跡も、紙の凹みも何もない。初めから白紙だったように、きれいに消えていた。
(そんなはず、ない)
思い違いなんかじゃない。
あのときの感情を、震える指先で書いた感触まで、まだ手に残っている。
頁は、ただの白紙になっていた。
(どうして?)
思わず、頁の端をなぞる指先に力が入る。
けれど、何も出てこなかった。
──そのとき。足音が近づいてきた気配。
私は反射的に記録帳を閉じた。
白紙の頁が、乾いた音を立てる。
振り返るより先に、静かな声が落ちてきた。
【グラヴィオ】
「あの詩、消えてしまいましたか」
「……ええ、時々、そういうことがあるようです」
振り返ると、グラヴィオがそこにいた。
沈んだ色の髪と瞳が、仄かな灯に溶け込むように佇んでいる。
その瞳が、私の手元──閉じた記録帳に静かに落ちる。
(見られていた?)
頁は白紙。
なのに、消えてしまったはずの想いまで、見透かされている気がした。
【グラヴィオ】
「記録帳というものは、不思議ですね」
「書いたことが、そのまま残るとは限らない」
「時に、"咲かせてはいけない感情"だけが、すっと沈んでいく……そう、誰かが言っていました」
彼の視線は、私の手元――閉じた記録帳に落ちていた。
それは、ただの偶然を装った言葉には思えなかった。
(……なぜ、それを)
【グラヴィオ】
「あなたが、あの詩を覚えていたことが、うれしかった」
「いや。思い出してくれたという方が、近いのかもしれません」
穏やかな声音。
けれど、深く沈んだ光のようなまなざしが、私の奥を覗いていた。
(どうして、そんな言い方……)
見つかってはいけない。
記されてはいけない。それでも、見つけられてしまった気がして。
【アメリア】
「詩と、記録は、違うのですか?」
【グラヴィオ】
「記録は、真実を刻むもの。詩は…真実を隠すもの、かもしれません」
その言葉に、胸の奥がかすかに震えた。
(この人は、知っている)
(記すことの怖さと、記さず残すことの意味を)
(それでも、知られたいと思ってしまった)
──それは、触れてはいけない感情だった。
けれど、胸の奥で、そっと息をしはじめていた。
※本作は架空世界の記録制度を主題とした恋愛劇です。実在の宗教・政治とは関係ありません。




