第八話:記される者たち
「次に“書かれる名前”は──」
ページに現れたその一文は、まるで呼吸をするように、じわりと文字を浮かび上がらせていく。
久賀遼は、目の前でその名が形を成すのを固唾を飲んで見守った。
「石田 悠一」
(……石田?)
遼の脳裏に、かつての大学時代の記憶がよみがえった。
石田悠一──考古学の研究会で共に学んだ、慎重で理論派の友人。
現在は大学で教鞭をとりながら、古代文字の研究を続けている男だ。
「まさか……石田が、次に巻き込まれる?」
「違う、“書かれた”ということは──もう彼の運命が動き始めているのよ」
朱音が本を閉じ、深刻な表情で言った。
「あなたは彼を守れる。
でも、それはあなたが“書くこと”を選ぶかどうかにかかってる」
⸻
その夜、遼と朱音は石田悠一の研究室へ向かった。
学内の廊下には深夜の静寂が広がり、白い蛍光灯だけが頼りだった。
ドアをノックすると、すぐに中から返事があった。
「……久賀か?」
扉が開き、懐かしい顔が現れる。
眼鏡の奥の瞳は鋭く、だがどこか疲れた印象もあった。
「久しぶりだな。……まさか、君が来るとは」
「……話があるんだ。時間をくれ」
遼と朱音は研究室に入った。
本棚には古代文字に関する資料がびっしりと並び、中央の机には1冊の“奇妙なノート”が広げられていた。
「……これか」
遼が覗き込むと、そのノートには見覚えのある“原初文字”が並んでいた。
「本に書かれていたのと、同じだ……」
石田はゆっくりと椅子に腰を下ろし、語り始めた。
「最近、記憶が妙なんだ。
昨日話したはずの学生の名前が思い出せない。
講義のスライドに、書いた覚えのない言葉がある。
そして……この文字。まるで“誰かが俺に書かせている”ような感覚に陥る」
「……やっぱり」
遼は、バッグから“あの本”を取り出し、机の上に置いた。
「これが原因かもしれない。
いや……もしかしたら、引き寄せられたのかもな」
石田は目を細めて本を見つめた。
「……それ、まさか……」
「俺の友人が死んだとき、これを持っていたんだ。
それから、次々と不可解な現象が起きてる。
そして、次に“書かれた名前”が──お前だった」
一瞬、室内の空気が凍りついた。
⸻
朱音が小さく声を出す。
「……石田さん、もしかして“何か”に見覚えはありませんか? 本に関係するような記憶や、誰かの言葉とか──」
石田は考え込むようにして沈黙した。
そして、数秒ののちに呟いた。
「“書かれる者は、自らも書きたくなる”──誰かにそう言われた記憶がある。
でも、誰に言われたのか……まったく思い出せない」
そのとき──遼の持つ本が、再びページをめくり始めた。
まるで意思を持つかのように、勝手に捲られたそのページには、こう書かれていた。
“石田 悠一、記録開始。”
その瞬間、研究室の蛍光灯がバチンと音を立てて弾けた。
そして壁際にあったPCモニターが勝手に起動し、黒い画面に浮かぶ謎のロゴ。
「N.O.V.A.接続中──」
「来たな……」
朱音が立ち上がると同時に、研究室の外から足音が響いた。
重厚なブーツの足音。2人、3人……いや、もっと多い。
「久賀さん、石田さん……ここは危険。早く出ましょう!」
本を抱え、3人は研究室の裏手から非常階段へと逃れた。
⸻
夜のキャンパスを駆け抜けながら、遼は思った。
(これが……“書かれる”ということか?
誰かに“運命を記される”ということの、恐ろしさ……)
そして同時に、心の奥からもう一つの感情が湧き上がる。
(ならば俺が“書く側”に回れば、誰かを救えるのか?)
その答えを知るには──まだページが足りない。
ご覧いただきありがとうございました。
第8話では、次の“記される者”として石田悠一が浮かび上がり、彼の視点からも“記憶の歪み”と本の力が明らかになってきました。
一方で、N.O.V.A.の追跡も激化し、3人は再び逃走を強いられることになります。