第六話:偽りの記憶
古びた倉庫の中。
久賀遼は、朱音から預かった「観測者の記録ノート」を黙って読み続けていた。
どの記録も、不可解な出来事で満ちていた。
“会ったことのない人の写真がスマホに保存されていた”
“日付のない郵便物が届いた”
“存在しない過去を語る友人がいた”──
読み進めるほどに、心の奥でかすかに疼く“違和感”が強くなる。
(俺も……何か、見落としてる?)
ふと、遼はスマホの写真フォルダを開いた。
先週、高倉剛志の部屋で撮ったはずの、あの古書の写真が──消えていた。
「……ない。保存したはずなのに」
「確認してる?」
朱音がコーヒーを淹れながら声をかけた。
「剛志の部屋で撮った本の写真が、フォルダから消えてる。消した記憶なんかないのに……」
朱音はカップを手渡しながら、眉をひそめた。
「それ、たぶん“書き換え”が始まった」
「……書き換え?」
朱音は小さく頷いた。
「観測者の“記録”は、本に書かれるだけじゃない。“過去の記憶”も、現実の“痕跡”も、少しずつ歪められていく。
気づかないうちに、都合の悪い情報が消されていくの。まるで“誰かが編集してる”みたいにね」
「……でも、誰がそんなことを?」
「たぶん、本そのもの。あるいは……それを“読んでる誰か”」
⸻
遼は震える指で、スマホの履歴を遡った。
剛志から最後にもらったLINEメッセージも──消えていた。
いや、違う。
メッセージ一覧に“剛志の名前そのもの”が、存在しない。
「そんな……馬鹿な……」
「ねえ、久賀さん。あなた、本当に“高倉剛志”って人と、会ってた?」
朱音のその言葉に、遼は強くかぶりを振った。
「確かに会った! 俺は……あいつと一緒に酒を飲んで……! その後、死んでるのを見たんだ!」
「じゃあ、証明できる?」
その問いかけに、遼は答えられなかった。
目撃証言は?──無い。
スマホの履歴も、写真も無い。
警察の書類も、報道も──検索しても出てこなかった。
まるで**“剛志”という存在そのものが、最初からこの世にいなかったかのように**。
⸻
朱音は、バッグから小さな手帳を取り出してページをめくる。
「これ、私が持っていた剛志さんの名刺。数日前までは確かに“ここに貼ってあった”。
でも、ほら──糊の跡だけが残ってて、名刺自体が消えてる」
遼は、喉をつまらせるようにして呟いた。
「剛志まで……“書き換えられた”ってことか……?」
朱音は静かに頷いた。
「今、“あなたの記憶だけが真実”なのかもね。
でもその記憶すらも、いつか“上書きされる”かもしれない」
⸻
その夜。
遼は、布団の中で目を覚ました。
何かが、頭の奥で囁いている。
──次に消えるのは、「彼女」かもしれない。
(……朱音?)
目を開けると、彼女の姿が見えなかった。
寝袋の中は空っぽ。彼女のスマホも残されたまま。
「朱音……?」
彼女のバッグの中から、手書きの紙が一枚落ちた。
そこには、ひとことだけこう書かれていた。
「もし私がいなくなったら、“次のページ”を読んで」
遼は震える手で、あの本を開いた。
次のページには──まだ何も書かれていなかった。
──だが、その余白が、わずかに“朱音”の名前の輪郭を描き始めていた。
ご覧いただきありがとうございました。
第6話では、久賀遼の現実が少しずつ“書き換えられていく”現象が浮かび上がり、
観測者の記録とは、現実すら改ざんしていく力であることが明示されました。
消えゆく剛志の痕跡、曖昧になっていく記憶。
次に狙われるのは、御堂朱音──?