第五話:追跡者たち
カフェを飛び出した久賀遼と御堂朱音は、人混みの中をすり抜けるように歩いた。
朱音は一度も後ろを振り返らず、スマホを取り出すと電源を落とし、SIMカードを外してポケットに握りしめた。
「このあたり、監視カメラ多いから地下に入る。駅は使わない。ついてきて」
地下通路へと続く階段を降りながら、遼は息を切らして尋ねた。
「なあ……あいつら、本当に……N.O.V.A.ってやつの人間なのか?」
「間違いない。あの耳元のジェスチャー。コード化された通信。完全にプロよ」
「なんでそんなこと、あんたが……」
朱音は、ほんの一瞬だけ足を止めた。
「……私の父が、“観測者”だったの」
「……え?」
「私は10年前まで、あの組織の“記録対象の家族”だった。父は、本を解読しようとして……失踪した。
警察は自殺と判断したけど、私はそうじゃないと確信してる。
本に関わった人間が、次々と“消されて”いった」
「じゃあ、あんたは……その復讐を?」
「違う」
朱音は振り返り、まっすぐに遼を見た。
「父が消える前に言ったの。“あの本のページに、名前が書かれたら……次は、お前の番だ”って」
遼は、昨日見た“自分の名前”を思い出した。
あれは偶然じゃない。
そして今、確かに彼は“追われる側”になっていた。
⸻
地下通路を抜け、古びた建物の裏手にある倉庫へとたどり着く。
朱音が鍵を差し込み、錆びた扉を開けると、中は簡易的な避難所のように整えられていた。
「ここ、かつて使ってた取材用の隠れ家。通信機器はない。GPSも届かない」
遼はようやく一息つき、壁に背を預けながら訊ねた。
「……“観測者”って、結局なんなんだ? 書かれるだけの存在ってことか?」
朱音は、鞄から一冊の小さなノートを取り出す。
中には、手書きで書かれた“過去の観測者”たちの記録がびっしりと並んでいた。
「これは、私がこれまで調べた観測者の記録。
共通しているのは、“自分の名前が本に現れた直後から、現実が変わり始める”ってこと」
「……現実が?」
「たとえば、“会うはずのない人に出会う”。“起きるはずのない事故が起きる”。
もしくは、“存在していたはずの人や場所が、なかったことになっている”。」
遼は、自分が感じていた小さな違和感を思い返した。
剛志の部屋にあった本棚──
その一段が、警察の立ち入りのときには“なかった”こと。
彼が最初にあの本を見た位置は、寝室ではなく……確か、リビングの机の上だったはず。
「……もう、始まってるのかもしれないな」
⸻
その頃、カフェの向かいのビルの屋上。
黒いジャケットを羽織った男が、無言でイヤーピースを押さえていた。
「対象、確認できず。地下へ移動後、位置ロスト」
「了解。計画段階を“B”へ移行。
次の接触対象、“御堂朱音”を優先確保に切り替えろ」
男は一歩前に出て、視界の先の空を見上げた。
「“書き手”は、今ここにいる」
ご覧いただきありがとうございました。
第5話では、朱音の過去とN.O.V.A.の追跡者の存在が本格的に描かれ始めました。
本に名前が記された者“観測者”。
それはただ記録される存在ではなく、世界の構造そのものに干渉され始める人間。
そして、N.O.V.A.はすでに“久賀遼”だけではなく、“御堂朱音”にも目を向け始めています。