第四話:観測者の名前
その夜、久賀遼は本の前に座っていた。
何度見直しても、あの空白のページに自分の名前が書かれている。
ペンで走り書きされたような筆跡ではなく、まるでもともとそこにあったかのように自然な字体で。
「久賀 遼」──たったそれだけ。
でも、それだけで背筋が凍るには十分だった。
(これは……誰が書いた? 本が、勝手に……?)
思わずそのページを指でなぞる。
インクの感触はない。だが、確かにそこに“書かれている”。
脳裏をよぎるのは、御神和繁の言葉。
「触れてしまった者は、“書かれる側”ではいられなくなる」
まさか、自分が“観測者”から“記述者”に変わるというのか?
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翌朝、遼は朱音と連絡を取り、再び落ち合った。
彼女に昨夜の出来事を伝えると、朱音はしばらく無言で沈黙した。
「……名前が書かれていた? 空白のページに?」
「そう。何もしてないのに、勝手に現れたみたいに」
「……それ、観測者として“確定した”ということかもしれない」
「確定?」
朱音はバッグからノートPCを取り出し、ファイルを開いて一枚の画像を見せた。
それは、彼女がかつて見たという“同じような本”のスキャンだった。
「これは10年前、私が大学の研究室で撮ったもの。
このページの空白……そこには当時本を所持していた人物の名前が現れていた。研究者は“予言の署名”って呼んでたけど……要するに、その人の人生が“記録”され始めるってことよ」
「俺が……記録される?」
「あるいは、これから“誰かに書かれる”存在になるか、もしくは“書き換える側”に回るか。
重要なのは、“誰に見られているか”なのよ」
⸻
そのとき、カフェの窓の外に目をやった朱音の表情が一瞬で変わった。
「……見られてる」
「え?」
「外、あの男。何気ないふりしてこっち見てる。あの動き……N.O.V.A.の追跡者と似てる」
遼が反射的に視線を向けると、スーツ姿の男がスマホをいじっていた。
だが、手元のスマホの画面には何も映っていない。
──フェイクだ。目は完全にこっちを向いている。
「まずい。もう足がついたかもしれない。急ぎましょう。移動する」
朱音はバッグを手に取ると、遼の腕を引いた。
「どこへ?」
「私が昔隠れてた場所。少しだけ時間が稼げる」
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その直後、男が電話を耳に当てながら、こちらへと一歩踏み出した。
「観測者、確認。No.07、移動を開始」
声は小さく、誰にも聞こえないほどの囁きだった。
ご覧いただきありがとうございました。
第4話では、ついに**久賀遼の名前が“本に記録された”**ことが明らかになり、
それが意味する「観測者の確定」とは何かが浮かび上がってきました。
そして──初めて、N.O.V.A.の人間が姿を現しました。
彼らはなぜ「観測者」を監視しているのか?
本は本当に未来を記録するだけの存在なのか?
それとも、“誰か”が意図的に書き換えているのか?