男爵令嬢に魅了された帝国。それでも共に泣いた君を愛している。
「オルベウス様ぁ。オルベウス様ですよね」
いきなり帝国学園の廊下で声をかけてくる一人の女。
オルベウス皇太子は、とまどっていた。
銀の髪に碧眼のそれはもう美しい皇太子であるオルベウス。
彼に憧れる女性は多い。いや、性別関係なくオルベウス皇太子殿下にあこがれる人々は多かった。
だが、下々の者から声をかけることは不敬に当たる為、禁じられている。
帝国の至宝。次期皇帝としてオルベウスは期待されていた。
あまりにも優秀な成績。鍛え抜かれている逞しい身体。
そして、その優秀過ぎる美しき皇太子には彼にふさわしい婚約者が当然、存在する。
アフェリエーテ・クラテリス公爵令嬢だ。
オルベウス皇太子に相応しく、銀の髪で青い瞳、完璧な美しさと優秀さを兼ね備えたアフェリエーテ。
二人揃えばそれはもう美しき絵画のようで。
未来の皇妃に、帝国の母に相応しい女性として、彼女も又、帝国民に期待されている。
そんな完璧な婚約者がいるオルベウス皇太子に、その女は堂々と話しかけてきたのだ。
当然、護衛として彼の傍にいた騎士に、近づく事を遮られる。
オルベウス皇太子には特別に、護衛騎士、二人が常に傍についていた。
当たり前である。
帝国の次期、皇帝に何かあっては大変だからだ。
そのフワフワの桃色の髪をした女は、大きな目をくりくりさせて。
「だって、帝国学園は身分関係なく、皆、平等でしょう?あまりにも素敵なオルベウス様だから、私、お友達になりたくて」
護衛騎士が、その女に向かって、
「不敬であるぞ。いかに学園が平等を歌っているとはいえ、それは学問においてだ。身分差は存在する。当然であろう」
女は首を振って、
「学園だからこそ、色々な人たちとお付き合いをして、見分を広げるべきではないでしょうか?」
オルベウス皇太子は思ったのだ。
確かに、その女の言う事にも一理あると。
思わず尋ねてしまった。
「名は何と言う?」
「アメリア・パルト。男爵家の娘です」
「アメリアか。本来なら私に話しかける事は禁じられている。だが、そなたの言う事にも一理ある。色々な身分の人と付き合えるのは、確かに学生のうちでしか、出来ぬな。そなたの話を聞きたい」
「有難うございますっ」
その女と共に、食堂に設置されているテラス席に移動する。
何故、その女に興味を持ったのだろう?何故、その女の言う事に一理あると思ってしまったのだろう?
その女の話はくだらない話だった。
「皇太子殿下はとても美しくて優秀だって。私、憧れているんですよ」
「それは光栄だな。皆が、私の事を褒めたたえてくれる」
「当然です。皇太子殿下は努力していらっしゃるのですもの。私、凄いと思っているんですよ」
にこにこして話をするアメリア。くだらない世辞の部類だ。
だが、とてもその笑顔が可愛く思えて来て。
オルベウス皇太子は、
「そなたの笑顔を見ると癒される。何故だろう。私は疲れているのかもしれない」
「だったら、私とこれからもお話しましょう。ね?オルベウス皇太子殿下。いえ、オルベウス様とお呼びしても?」
「ああ、構わない」
不思議だった。
何故、この女と話をしていると癒されるのだ?何故?心のどこかで警鐘が鳴る。
その女がテラス席から去ると、護衛騎士が、
「良い人とお知り合いになりましたね」
もう一人の護衛騎士も、
「今時、あのような明るく朗らかな女性はいませんよ」
言っていることがおかしい。
しかし、オルベウス皇太子は、願ってしまう。
又、あの女、いや、アメリアと話がしたい。あの可愛い笑顔を見て癒されたいと。
どうしてだ?どうしてアメリアに会いたいと願うのだ?
翌日は週に一度の、アフェリエーテとの茶会だった。
王宮の庭でアフェリエーテとお茶を飲む。
帝国学園では男女別の建物で、違う教科を学ぶので、アフェリエーテと学園で顔を会わせることは無い。
おかしい……アメリアは、何故、男性しか立ち入ることが出来ない学舎の廊下を歩いていたんだ?
何故、護衛騎士達はその異常さに気が付かないんだ?
うわの空で、紅茶を飲んでいると、アフェリエーテが話しかけてきた。
「どうかなさいましたか?オルベウス様」
アフェリエーテは、婚約者なので、オルベウス皇太子に話しかけることが許されている。
オルベウス皇太子は、微笑んで、
「気になる女生徒にこの間、廊下で声をかけられた。それも帝国学園の廊下だ」
「あら、女生徒が帝国学園の廊下で?なんでその女生徒は、男性しか歩くことがない学舎の廊下を歩いていたのかしら」
「そうだろう?護衛騎士も、彼女の事を良い子だと褒め称えていて、私も又、会いたいと願ってしまった。彼女と話していると癒されるんだ」
「そんな不審人物を、オルベウス様も、護衛騎士も信じてしまうなんて。我が公爵家で調べましょうか?」
「ああ、でも、そんなことをして、彼女に万が一の事があったら……私は」
彼女を守りたい。彼女が万が一、牢に入る事になったら。私は後悔してもしきれない。
アメリアの事を愛している。これが愛というものなのか?
え?おかしいのではないのか?私はアメリアに会って、まだそんなに話をした覚えがない。
それなのに、愛だなんて???私が愛しているのは……
「アフェリエーテ。彼女の事を調べて欲しい。私は、おかしくなっているようだ。私が愛しているのは、アフェリエーテ、君だけだ」
立ち上がって、アフェリエーテの前まで移動し身を屈めて、膝をついて、その美しき顔を見上げる。
「婚約者になってから10年過ぎた。君は私と共に努力をしてきたね。私は泣き言を何度も君に向かって言ったけれども、君はそんな私に怒りまくって、わたくしだって、頑張っているのです。このドリス帝国の未来が、わたくし達の肩にかかっているのですから。だから、共に頑張りましょう。と励ましてくれた」
アフェリエーテは微笑んで、
「正直、貴方の婚約者に選ばれた時に、ああああ、わたくしの人生詰んだわ。と思ったのよ。皇妃なんて、なりたくはなかったですし。でも、貴方がわたくしと一目会った時に、ぜったいにアフェリエーテと結婚するって、ダダを捏ねまくったから仕方なく。それなのに、貴方は泣き言ばかり言って、皇帝になるための勉強が大変だとか。ああ、それでも最近は言わなくなりましたわね。成長したものだと、喜んでおりましたのよ」
「それは私だっていい加減、成長する。このドリス帝国の皇帝になる為に。それならば、あの女は大いに怪しいな。私や護衛騎士はあの女によっておかしくなったのだから」
「ともかく、我が公爵家にお任せください。我が公爵家は王家の影を取りまとめている家。あの女の正体を暴いてみせますわ」
これで、オルベウス皇太子は安心だと思ったのだ。
しかし、まさか、こんな恐ろしい事になるとは思わなかった。
どんどんと親し気に近づいて来るアメリア。
クラテリス公爵家が調べても、パルト男爵家が怪しいという情報も出てこなくて。
何故か、影たちも、あんないいお嬢さんはいませんよとアメリアを褒め称える。
アメリアが男性が学ぶ学舎に現れても、学園の先生も学園長も、注意もせず、周りの誰も疑問に思わず、オルベウス皇太子は毎日、押し掛けてくるアメリアとお昼ご飯を食べ、親し気に話をして。
その笑顔に癒される。
オルベウス皇太子だけではない。
宰相子息も騎士団長子息も、周りの側近達も好意的で、
「アメリアと一緒に、昼食を取れるなんて、私達は幸せ者だ」
「今日もアメリアの顔を見ることが出来たなんて、なんてラッキーなんだ」
皆で、アメリアを褒めまくり、ちやほやする毎日。
オルベウス皇太子は、これはおかしいと思いつつも、アメリアと仲良く話をすることがやめられない。
時には腕を組んで、アメリアと仲良く廊下を歩く事もあった。
アメリアは頬を染めて、
「私、とても幸せです。オルベウス様とこうして一緒にいられるだなんて」
オルベウス皇太子は、優しくアメリアを見つめ、
「私も幸せだ。愛しいアメリアと共にいられるだなんて」
おかしいおかしいおかしい。
そうは思うのだけれども、どうしようもなくアメリアに惹かれていく。
皇帝である父が、とある日、オルベウス皇太子を呼びよせて、
「学園で親しくしているそうだな。婚約者のアフェリエーテを差し置いて」
「でも、父上。アメリアは癒されるのです」
「ああ、上に立つものは、とても疲れるものだ。癒されるその女性を大切にするがいい」
「有難うございます」
そして、アフェリエーテとのお茶をする日に、オルベウス皇太子はアフェリエーテに、
「アメリアは、私にとってとても大切な女性だ。だから君とは婚約を解消したい。アメリアと私は結婚して、アメリアを皇妃にするのだ」
アフェリエーテは、悲しそうに頷いて、
「そうですわね。あの方はとても素晴らしい方。わたくしなどではとても、あの方にはかないませんわ。わたくしは婚約解消を受け入れます」
心が痛む。アフェリエーテを私は愛しているはずなのに、何故か、アメリアが愛しくて。アメリアを一番に幸せにしたくて。
何故だ?なんでだ?
その時、背後から声をかけられた。
「女を泣かせる屑は許せない」
「だから俺達がお前を辺境騎士団へ連れて行く」
「だが、その前にこの帝国はおかしくないか?」
「確かに、黒い霧が立ち込めていて、いや、桃色の霧か?なんだ?この霧は?」
彼らは辺境騎士団四天王。
女を泣かせる美男を拉致し、愛ある調教をする変態、いや辺境騎士団員達だ。
辺境騎士団四天王は、情熱の南風アラフ。北の夜の帝王ゴルディル。東の魔手マルク。三日三晩の西のエダル。
と、それはもうしつこいあだ名で呼ばれている、恐ろしい怪しげな四天王なのだ。
オルベウス皇太子は青くなった。
奴らの変態な噂は今や各国で有名である。
拉致されたらもう、帝国に戻ってこられないだろう。
変態騎士達の餌食にされる生活が待っている。
いや、その前に、自分にはやることがあるのではないか?
「桃色の霧?私は自分がおかしい事を自覚している。それでもアメリアが愛しくて仕方がない。私が愛しいのはアフェリエーテだけなのに。だけなはずなのにっ」
桃色の霧発言をした、三日三晩の西のエダルが、
「こんなに濃厚な桃色の霧が見えないのか?俺の目にはよく見える」
他の連中も、
「確かに、この帝国の連中には見えないのかもしれないな」
「凄い濃い霧だ」
「これは魅了の一種ではないのか?魅了が強い女がいると、傾国とか言うじゃないか」
アフェリエーテは四天王に頭を下げる。
「どうかドリス帝国をお救い下さい。我が公爵家の影でも、アメリアの事を探り出せませんでした。きっと影たちも魅了にかかってしまっているのでしょう。いえ、この帝国全体が彼女の魅了にかかっているのです」
四天王のリーダー、アラフが、
「だったら、俺達がそのアメリアという女を退治してやろう」
ゴルディルも、大きく頷いて、
「人助けも我らの任務のうちよ。任せておけ」
魔手のマルクも、手の上の可愛い触手をウネウネさせて、
「この触手の餌食にしてくれるっ」
エダルは手に剣を持ち、
「その女の首を跳ね飛ばしてくれよう」
オルベウス皇太子は、辺境騎士団四天王に任せることにした。
皇宮で、その夜、オルベウス皇太子が眠っていると、しくしくと泣く声がする。
慌てて身を起こして声の方向を見てみると、アメリアがぼやっとぼやけてベッドの前に立っていた。
オルベウス皇太子にアメリアは縋りついて、
「助けて。私、殺される。私はただ、幸せになりたかっただけなの。なのに、何故?私は殺されなければならないの?」
オルベウス皇太子はアメリアに、
「ああ、愛しのアメリア。君は私を癒してくれた。だが、その癒されたと思った心は、君に魅了をされていたのだと、ああ、今ならはっきりと自覚できる。君の魅了の力が弱まってきたのだな」
「そうよ。私の本体は今、恐ろしい人たちと戦っているの」
「人の心を魅了してはいけない。私はお前なんぞ愛していない。私が愛しているのはアフェリエーテだけだ。私が今日あるのはアフェリエーテのお陰だ」
そう言って、アメリアの幻に向かって、枕元にあった剣を手に、切りつけた。
アメリアの幻は泣きながら、
「酷い。私は愛していたのに。オルベウス様と結婚したかったから、周りをみんな魅了した。
オルベウス様も魅了した。だったら、私の願いが叶わないのだったら、貴方の愛する女を道連れにするわっ」
そう言って、消えたのだ。
オルベウス皇太子はアフェリエーテが心配になった。
慌てて飛び起きて、夜勤の護衛騎士達を伴い、馬に飛び乗り、クラテリス公爵家に向かった。
クラテリス公爵家の門の呼び鈴をリンリンと鳴らせば、使用人が出て来て。
「オルベウスだ。アフェリエーテが無事か確認しにきた」
使用人が、取り次いでくれて、中に入れて貰えた。
屋敷の客間に通されれば、青い顔をしたアフェリエーテが、抱き着いて来て。
「怖かったの。とても怖かった。オルベウス様が来てくれて、私、とても嬉しいっ」
この話し方おかしい。違和感がある。本当にアフェリエーテか?
安堵するより先に、違和感に気が付いたオルベウス皇太子。
その時、窓をぶち破って、辺境騎士団のアラフとゴルディルが飛び込んできて。
「本体を逃がした。って、本体が……」
「本体がまさか……」
アフェリエーテが高笑いした。
「私はここよ。この女に取り憑いてやった。さぁ、私を愛して?オルベウス様。私とアフェリエーテは一体になったの。ねぇ、お願い。愛して欲しいの。オルベウス様。オルベウス様っ」
オルベウス皇太子は思いっきり、アフェリエーテを揺さぶった。
「私のアフェリエーテを返せっーー。アフェリエーテは私の愚痴を沢山聞いてくれた。私が未来の皇帝として自覚が持てるように、ともに学んでくれた。励ましてくれた。アフェリエーテは私の為に沢山、一緒に泣いてくれた。アフェリエーテは私に沢山沢山、色々な物をくれたんだ。だから、アフェリエーテを返せ。アフェリエーテ以外の者なんていらない。だから返せっーーーー」
揺さぶられたアフェリエーテは、急に真顔になって。
「嬉しい。わたくしも貴方の事を愛しております。ですから、わたくしの中にいる貴方、出てお行きなさい」
何かが空に浮かび上がって。
私はただ幸せになりたかったのーー私は私は私はっーーー
そう言って、しゅうううっと音を立てて消えてしまった。
唖然とするアラフとゴルディル、後からマルクやエダルも駆けつけて。
クラテラス公爵夫妻も、使用人も、護衛達も、影の者達も。遅れて部屋に駆けつけてきた。
クラテラス公爵夫妻は、無事だった娘に抱き着いて、
「よかった。アフェリエーテ」
「本当にっ」
アフェリエーテは、両親に抱き着いて、
「わたくしは、追い払いましたわ。ほら、窓の外を見て下さいませ。お日様がとても綺麗」
窓から光が差し込んで来て。
オルベウス皇太子は、アフェリエーテに向かって、
「私が愛しているのは君だけだ。ああ、魔は去ったのだな」
アフェリエーテは頷いて、
「ええ、わたくし達の絆が魔を去らせたのですわ」
辺境騎士団の連中達はいつの間にかいなくなっていた。
美男の屑がいない場所なんてもう、用事はないのであろう。
オルベウス皇太子にとって、日常が戻って来る。
傍には愛しいアフェリエーテがいて。
何故か、側近であった騎士団長子息と宰相子息がいなくなっていた。
彼らはとても顔が整っていて美男だ。
それぞれの婚約者から奴らは婚約破棄をされていた。
何か屑な事をやらかしたのであろう。
それぞれ家からも廃嫡されたという話を聞いた。
アフェリエーテがオルベウス皇太子に語り掛ける。
「わたくしがね。心を打たれたのは、一緒に沢山、泣いたという事ですわ。わたくしが泣いていたという事を知っていらしたのですね」
オルベウス皇太子はアフェリエーテの手に手を重ねて、
「君は強がりばかり言っていたけれども、皇妃教育が辛いと、私には愚痴すらこぼさなかったけれども、でも、私が泣いているときに、きっと私の手を握り締め励ましながら、一緒に泣いていた気がするんだ。そして自分の心も励ましていたのではないかと。これから先、色々とあると思う。一緒に泣いて、励まし合って、共に高みを目指していきたい」
「ええ、わたくしも一緒に泣いて、一緒に励まし合って、高みを目指していきましょう」
後に二人は結婚し、皇位を継いで、オルベウス皇帝の治世にドリス帝国は繁栄を極めた。
二人はいつまでも仲が良く、三人の皇子に恵まれて、幸せに暮らしたと言われている。