第1章 変調の兆し 1-5
これは一人で遊んでいたものなのか。
それとも誰かと興じていたのか。
それもまさかの、この私室で。
アウレリアは瞬時に眉を顰めたが、
しかし彼女はそれに触れることなく母の横顔を睨みつけた。
「ご存じですの、お母様?」
「何のことですか」
王后は俯いたまま、顔を上げる気配もない。
アウレリアは一瞬不愉快な気持ちに駆られ、
その不快さを懸命に宥めながらそれでも母に挑みかかった。
「ヴァリースダのことです」
「ですから、何のことですか」
「惚けていらっしゃるの?」
「惚けるも何も、要領を得ないことを言いますね」
呆れたような顔付きでようやく王后は顔を上げた。
続く言葉もあまりに素っ気ない。
「ヴァリースダ?」
良質な温泉地ですわね。
「しかし残念なことに我々が迂闊に近付くこともままならない保養地です」
その口調はまるで、辞書にある文言を読み上げるように淡々としたものだった。
「一体それが、どうしたというのです」
「どうしたも何も……」
相手のあまりの淡白さにアウレリアは憤怒の様相で口を開いた。
しかし、軽く往なすように微笑んだ王后の前に思わずたじろぎ、
息を止めるようにして出かかった言葉を飲みこむ。
その様子を見た王后は初めて表情を、満足の表情を顔に浮かべて頷いた。
「それより、案内は来ましたか?」
「何のです?」
アウレリアは話の腰を折られた子供のように口を尖らせた。
その娘に向けて、王后は先ほどまで自分が見つめていた封書をひらりと扇ぎ見せてから、言った。
「結婚なさるそうです」
「……どなたが?」
要領を得ないのはどちらだと言いたいところを懸命に堪えてアウレリアは問い返した。
一方の王后は娘のその様子を不思議そうに眺め、
まるで世間話をするように気軽な調子で話を続けていった。
「オーレンドルフ家のお坊ちゃんの」
「…………」
「もう長いこと相手を探していた様子ですから、あの老獪な伯爵も……」
と、意味ありげに老獪の部分をわざとゆっくりと発音した王后は、
何かを思い出した様子で目を細めながら冷笑した。
「これでようやく安泰といったところでしょうか」
「オーレンドルフ家と仰いましたか?」
「ええ、オーレンドルフ家です」
王后は目だけで頷いた。
「式への招待は受けましたが、例によって私が参加することはありません。
だからもしもあなたがグレーデンの名で出席なさ……」
「オーレンドルフ家と言いましたね?」