第1章 変調の兆し 1-4
フォルクハルトもそうだ。
かつて彼は天才の称号を縦にし、宮中において敵う者のない強さを誇っていた。
そこに「王太子」に対する忖度などあろうはずもない。
〈狐と狼〉はいついかなる時でも本気で真剣であることが求められ、
仮に相手が国王であったとしても手加減が許されないものなのだ。
もしも何かの拍子に手を緩めたことが明るみになれば無礼の謗りを受け、
その尊厳を著しく傷付けることになる。
そのため子供を相手にした場合でさえ大人が容赦をしないのもまた、
〈狐と狼〉の持つ一つの側面といえるのだ。
フォルクハルトの実力は本物だ。
在りし日の彼の華麗な駒捌きは伝説となり、
彼が王宮を離れた今もなお人々の記憶をくすぐるほどの語り草となっている。
遠い地にあるフォルクハルトの活躍が都で響けば響くほどに、
人々は〈狐と狼〉に目を輝かせていた頃の幼い少年の姿を思い出した。
そして当時のフォルクハルトが誰を相手に〈狐と狼〉に興じたかを巡って様々な憶測を飛び交わしては、
今でも秘密裏に囁き合うというわけだ。
果たして王太子の寵愛を一身に受けたのはどこの誰だったのか。
相手との親密さを測る尺度にもなる点こそが、
〈狐と狼〉の持つ危険さだといえる。
だからこそ王后自身はこの遊戯に手を出さないのだ。
彼女の相手は全国広しといえども国王陛下ただ一人のはずだった。
そして今ではその国王とでさえ、彼女はこの遊戯に興じることがない。
彼女をこの遊戯から遠ざけたのは恐ろしいほどの潔癖さだ。
常に中立を貫いてきた王后の至るべき当然の帰結でもあった。
彼女のその奇特さは他に類を見ず、
王后の称号を単なる飾りとしてではなく求められた「役職」と認識し、
そのように振る舞うことを厳しく己に課し続けている。
この地位を得てからの王后は誰とも懇意にせず、
同時に誰をも詰ったことがなかった。
人かと疑うほどの公平さを持ち合わせている、
とは王后を知る者たちによる彼女への一貫した評価となっている。
今や王后の存在は国王その人を凌ぐほどに際立ち、国王以上の尊敬も集めていた。
しかし同時に、これまでの彼女の言動が人々を大いに混乱させてきた事実も見過ごすべきではない。
特にフォルクハルトのことは、そうだ。
果たして彼女の真の意図はどこにあるのか。
未だ誰にも解けない謎がそこある。
そしてそんな女性の文机に〈狐と狼〉の一式が置かれていたとあれば、
アウレリアでなくとも思ったはずなのだ。