第1章 変調の兆し 1-3
いいえ、そんなことはありえない。
そしてすぐに動揺から立ち直り、気を取り直した。
どちらの謀であろうが王后は知っている。
知っていなければおかしいのだ。
わかっていてフォルクハルトを守らなかったあの時から、
アウレリアは母親を信頼することをやめていた。
思惑の違いはあれどもこの国の中枢では様々に策略が巡らされ、
一人の人間を崖の淵へと追い立て続けている。
王后もまた渦中の一人で、むしろ中心により近いところの存在だ。
だからこそいつでも王后は知っていて、そうでありながら何もしない。
そういう女性なのだとアウレリアは諦めていた。
ああ、可哀想なフォルクハルト!
嘆くと同時にアウレリアは一つの扉の前で立ち止まり、
ふん、と鼻息も荒く扉を引き開けた。
王族の血を引く高貴な婦人が自らの手で、
それも中への断りもなく強引に扉を開くという前代未聞の惨事だったが、
そこはやはりアウレリアは王后の娘だ。
東ガリア最高の権威に無礼を働いたとてその首が刎ね飛ぶことはない。
重苦しい空気の中を、
蝶番の軋む耳障りな悲鳴が上がった。
重厚な扉は押し開いた者の気勢に反してゆっくりと開いて
アウレリアの苛立ちを助長する。
開き切るのを待てずに押し入れば、
悠然とくつろぐ王后の背中に我慢がはち切れ思わず声が張り上がった。
「お母様!」
「騒々しい!」
厳しい叱責の言葉を娘に投げつけた王后は相手の姿を一顧だにせず、
つまらぬことを言わせるなとばかりの素っ気なさだった。
慌てる様子は微塵もなく、視線は文机の上、
一通の封書の上で止まったまま動く気配もない。
いや、違う。
今しがた何かの書状を封じたばかりのようで、
何を隠したかといかがわしさが目立った。
しかもその横には〈狐と狼〉の盤が置かれ、
複数の駒が雑然と並べられているとくる。
いくらなんでも奇異すぎだ。
もちろん、〈狐と狼〉は貴賤の別なく東ガリア全土に広く浸透した遊戯で、
アウレリアも過去に幾度となく興じてきたものだ。
しかし母である王后がこの遊戯に手を出している姿は公であれ私であれ、
アウレリア自身はこれまで一度として目にしたことがない。
東ガリア人にとって、〈狐と狼〉は様々な点で重要な意味を持っていた。
戦略と戦術を駆使して相手を攻略する高度さ、
盤上の駒の進め方いかんによって競技者の秘めたる知性を窺い知れる奥深さ。
〈狐と狼〉の覇者はいついかなる時でも賞賛と羨望の的になる。