表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

対策特別室の女

(スプーン対策特別室へ移動になってから、もう二年は過ぎただろうか)

 ミサキは手元の書類を整理しながら、ふと思う。


 ◆


 特殊事件対策庁での最初の配属先は、総務部だった。

 高校から部活でダンスを始め、大学に入ってからも続けたくらい、身体を動かすことが好きなこともあり、現場での職務を志望したのだが。だから、総務部への配属は不本意だった。

 その見た目から、ダンスのことを言うと「えっ! 全然見えなーい」と、お決まりの大きなリアクションをされることが多い。というか大抵がそう。その後に続く会話パターンにもウンザリしている。だから、ダンスはあまり自分から言わない、秘密としていた。


 総務部の仕事は予想通り、身体を動かす業務とは正反対だった。日々デスクに座り、書類、数字、雑務処理。

 仕事内容だけでなく、女子事務員にだけ指定された制服、そのスカートにも抵抗感があった。

(結局、女という性別の落としどころは、こういう部署なのか)

 と落胆した時期もあった。だけど、働くからには責任があるし、途中で投げ出すのも嫌だ。それに努力して特殊事件対策庁に入ったのだ。当然、もったいないという気持ちもある。

 うじうじと悩む自分と決別し、改めて仕事に対する気持ちを奮い立たせた。

 私はどちらかといえば、ポジティブなのだ。


 そうして、日々の業務自体に問題はなかったが、別の大きな問題に直面することとなる。

 総務部のお局様から、嫌われてしまっていたのだ。

 はっきりとした理由も、きっかけも分からない。ただ、気付くと親しい同僚から忠告を受ける状況に陥ってしまっていた。

「あんた、目付けられてるよ。」

 今、思い返してみても理由が分からない。

 仕事も頑張ったし、職場の雰囲気が良くなるよう振舞ったし、自分のアピールもしたが悪目立ちしないよう注意を払った。落ち度はなかったはずだ。

 あと、私自身の融通の利かなさも、多少は理解しているつもりだった。


 お局様の周囲を巻き込んだ小さな嫌がらせは多々あった。

 一人では処理しきれない量の仕事を回してきたり、間違ったフリして書類の一部を紛失されたり、連絡事項を伝えなかったり。決して陽気とは言えない手段で。

 しかし、私は挫けなかった。そんな卑劣な嫌がらせに屈するのは嫌だと、ガムシャラに仕事に取組み、どれだけ自分を犠牲にしてでも、それを完遂させた。

 連絡事項については、味方の同僚がこっそり教えてくれたので助かった。

(私は、負けない)

 そう心に誓っていた。


 だけど、神様はそういう頑張りに、目もくれないらしい。


 管理職である上司との面談の際、何気なくした相談が、運の尽きだった。

 後から知ったのだが、その上司は、お局様と通じていたらしい。どのような関係だったのか、知る気もないし、知りたくもない。

 ただ、結果として、人事異動が内示され、今後の昇進が見込めない部署へ送り込まれた。

 それが、今いるスプーン対策特別室、というわけだ。


 お局様の勝ち誇った表情と、同僚の私に向けられた哀憐の目が記憶に残っている。


 ◆


 束にまとめた書類をトントンと整え、奥にある金属製の扉に向かい、軽くノックする。

「室長! 書類、外のデスクに置いときますね」

「おおー。ありがとー」

 間延びした返事が扉の向こうから返ってくる。


 配属された当初は、

(室長は、いつも奥の部屋で何をやってるんだろう? もともと設備室だった場所を改造までして)

 と疑念を抱いていたが、今では日常となった。

 それに、触らぬ神に祟りなし、だ。


 そんな室長に初めて挨拶した時を思い出す。


 ◆


「来週から、よろしくお願いします」

「聞いてるよ。よろしくね」


(なんだか軽そうな人)

 最初の印象はそう感じた。


「で、ミサキさんは、何をしてここに飛ばされたの?」

 ド直球の質問だった。

 そして、急な質問にまごつく私の様子を尻目に、室長は続ける。

「どうせ、あそこのお局に目を付けられたんだろ。そして鈍感な君は、上司との関係も知らなかった」

 私の気持ちを削るような追撃。それに私はまた動揺する。


「まあ、そんなところです」

 やっと絞り出した返事だった。


「健気だね。涙が出ちゃう。頑張り屋さんなのにね。」

 その挑発するような言葉に、私自身の胸の奥に押し込まれていた、悔しさ、やり切れなさを強く感じる。

 無意識に我慢していた気持ちが溢れそうになる。


「わたしの……私の何を知ってるんですか。」

 私の声は、少し震えていたと思う。


「なんでも。」

 室長の顔は変わらず柔和だった。だけど、その目には、その言葉には、力があった。


「ずっとダンスを続け、部長にもなった君には責任感がある。そして、真面目で熱心だ。

 その性根は真っすぐで、挫けない。例え、自分の希望した業務に携われなくても。どんな困難に対しても。

 それは、誰もが手に入れられる性質では決してない。自分の生きるの中で培われた人生の軸、魂そのものだと私は思う。

 そして、その魂を、くだらない私欲で無下にすることを、私は決して許さない。

 ……

 まあ、あいつ等をどうこうするつもりはないけどね。面倒くさいし。近付きたくないし」


 すべてお見通しのようだった。この人にはかなわない。


「何で知ってるんですか。」

 いたずらな笑みを浮かべた室長は「ヒミツ」とだけ言い残すと、

「じゃあ、よろしくー」

 上げた片手をヒラヒラさせながら、去って行った。



 室長に関して、噂を耳にしたことがある。

 入庁した当初はエリートで、組織内政治を乗りこなすやり手で、出世コースを邁進する野心家だったと。

 今の姿からは、全く想像できない。なぜスプ室なんかに、甘んじているのだろう。

 頭をぶつけた。もしくは落雷にでも打たれたのだろうか。


 ただ稀に、その当時の片鱗を感じる瞬間はある。


 ◆


 定時になり、退勤のため立ち上がる。相変わらず扉の向こうにいるであろう室長に挨拶をする。

「お先に失礼します!」

「おつかれー」

 また間延びした声が返ってくる。


「時間無制限の仕事をするヤツは、バカだ。」

 これが室長の口癖だった。そのため、仕事があれば残ればいいし、なければ帰る、それがスプ室の暗黙のルールだった。

 加えて、窓際の部署ということもあり、スプ室の残業代は一切出ない。だから出勤管理表もなく、私が定時退社で報告をまとめ、月末に総務へ上げている。



 めずらしく自分の席に戻っていた、モロさんにも挨拶を済ます。

「うん。お疲れさま。気を付けてね。」


 モロさんは元々、開発管理部にいたそうだ。

 功績を上げていたらしいが、それを上司がすべて自分の手柄とし、口封じのためにモロさんをスプ室へ飛ばしたとか。本人に聞いたことはない。

 ただ、所属とか、昇進に関心がないようだ。

 勤務中は、いろんな部署のコンピューターの件で呼び出されたり、機械の修理に駆り出されたり、庁内の便利屋のようだった。

 たまに自分の席にいるときは、デスクの上に乱雑に置かれたよくわからない機械を弄っている。大きな体形に似合わず、背中を丸めて作業するその手先の動きは、繊細そのものだ。



 私はというと、スプ室の事務、アシスタントをこなしつつ、空いた時間はジャージに着替えて、倉庫としての旧庁舎の掃除、整理整頓に励んでいる。今では、他部署の人から、倉庫管理人とか、番人と呼ばれる。光栄なことだ、そう思うようにしている。


 ◆


 旧庁舎の外は、まだ少し明るかった。


 帰り道、無意識のため息が出る。

(このままでいいのだろうか。)


 総務部と比べて、今のスプ室は正直、居心地がいい。

 以前の私自身を思い返すと、意地を張って、すべてがガチガチに凝り固まっていたようにも感じる。それだけ、余計な肩の力が抜けたのだろう。


(だけど、何も変わらない。)

 スプ室が、組織内の厄介者の集まり、窓際の部署という事実は変わらない。

 いざスプ室が別部署に吸収消滅という際には、あの室長が何とかしてくれる安心感はあるが。


(どうしよう。)

 資格勉強、転職活動、セミナー、趣味、いろいろな選択肢が頭の中をグルグル回る。最近、私の周りでの結婚も増えた。


「はぁ」

 また、ため息が出る。祖母が言っていた。幸せが逃げるらしい。

 最近の私自身を振り返ると、プライベートは、すっかりインドア派のままだ。総務部での激務の後遺症からまだ抜け出せていないのか。何をするにも億劫と思うことが習慣となってしまっている。

(とりあえず、ジム、会員登録しようかな。)

 目に留まった登録料無料の広告が、今後の優先順位に加えられた。


 ◆


 住宅に囲まれた道を歩くミサキの前に、少年が角から飛び出す。

 慌てた様子で息を切らしている。


「おねえちゃん、助けて!」

 ミサキの姿を確認すると、少年は腕を掴み、急いで元来た角の先へ引っ張って行く。

「どうしたの!」

「いいから!」


 何度か角を曲がった細い路地の先には、塀に囲まれた空き地があった。


「で、何があったの?」

 息を整えながらミサキは、少年に改めて問いかける。

 背を向けた少年は答えず、黙ったままだ。


 そこで違和感に気付いた。

(呼吸が全く乱れていない)


 振り返った少年は言う。

「はじめまして。ミサキさん。」

 その様子には、子供らしさはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ