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 到着した新築マンションは十三階建てで、その外観は、完成したてを誇っているような汚れのない白だった。現場は、正面エントランス側ではなく裏側。専用通用口から出入りできる屋外駐車場の奥、マンション自体の外壁とその影で死角となった場所だった。


 建物に穴が開けられる事件。その近頃頻発する事件は、少し前からヒビトの耳に入っていた。

 目的不明、方法不明、規則性もない。当初は悪質な悪戯とも考えられたが、その線はすぐに消えた。開けた壁の材質や厚みが、単なる悪戯の範疇を越えていたからだ。

 そして実際の壁に空いたソレは、穴と一言で表現するには、いささか奇妙だった。


「こりゃ、ひどいな。穴と呼ぶには雑すぎる」

 遠目で見たカタオカはそう呟いて壁に近付く。

 ヒビトにも、それがドリルやホールソーといった工具の類で開けたものではないと判った。


 ◆


 室長に、「特殊現象捜査二課」の手伝いを指示されたヒビトは、そのバディ、カタオカと二人で現場のマンションへ向かうこととなった。


 ヒビトが自己紹介すると、その相手の反応は大体二パターンに分かれる。

 一つが、複雑な表情を浮かべ、さりげなく関係の距離を取る。

 そして二つ目が、少しニヤけるだ。

 カタオカの反応は後者だった。


 ヒビトが自己紹介を済ませると、

「お前が、例の――」

 とカタオカは顔の筋肉をほころばせ、ヒビトの背中をバンバンと叩いた。

「俺は、嫌いじゃないぜ!」

 その様子に

(悪い人ではなさそうだ)

 と内心ホッとしたヒビトだったが、同時に思う。

(力入れすぎだろ! メチャクチャ痛え)

「カタオカさん、ちょっと痛いです」

 そんなヒビトの訴えに、カタオカは手を止めることなく、

「そうか? 軟弱だな!

 俺に取っちゃあこれくらい、労わってるつもりだぜ!」

 と、ガハハと大きな声で笑った。


(熱量が高すぎる。心配だ)

 

 夜、鏡に映ったヒビトの背中には、クッキリとした満開の赤モミジが浮かんでいた。

 

 ◆


 穴の開いた壁の上には、屋外に面した廊下が通っており、その高さまで一階分くらいある。壁には大小無数の穴が開いているが、丸ではなく、縦長の楕円形のような形をしているものが多い。そして、その輪郭はスベスベで所々盛り上がり、まるで冷え固まったロウソクのようだった。力によって破壊されたのではなく、何らかの方法で溶かされたように。


 カタオカは、その歪な輪郭のフチを確かめた。

「スベスベしてやがる」

 ヒビトも近くで見るが、それはまるで磨き上げたように滑らかだった。空いた穴からは、壁の中の空間に走る配管や配線が見えるが、そこに破損は見られない。

(ほんとに、壁だけなんだな)


 現場まで案内してくれた小柄なマンション管理人は、観察する二人の傍で、

「どうしてこんなことになったんでしょう。できたばかりなのに。困りました」

とずっと一人愚痴をこぼしている。


「壁の破片が見当たらないですけど、掃除しましたか?」

 ヒビトが聞くと、管理人は、

「いいえ、そのままです。触りたくも、近づきたくもありませんよ。まったく」

 と愚痴を続ける。


「カタオカさん、これやっぱり、溶かしてますね。

 しかも、一旦穴を開けた後は、その壁の断面に溶解液を少しずつ塗るようなやり方で」

「そんな愉快犯いるのかよ。手間かけて、分厚い壁に穴開けてよ。

 いたとしたらそいつ、よっぽどの暇人だぜ」

 カタオカは、鼻で笑った。


(暇人か。確かに時間もかかるし、第一、時間をかけるにしても、壁を溶かすほどの強力な薬品なんてそもそも存在するのか? それとも高温か? それこそ馬鹿げている)

 そう考えながら、ヒビトは壁から離れて、全体を見渡す。

 無数に空いた穴は、中には花びらの丸い花模様のような形もあるが、大抵は開けられたあと、下に向けて広がる縦長だった。穴の幅は、肩幅くらい。そして、一階分の高さがあるにもかかわらず、並んだ穴は一定の高さの範囲に限られており、極端な高低の箇所には見られなかった。その高さは、おおよそ上半身、腰から頭くらいの範囲。


「カタオカさん、被害の建物って、新築ばかりですか?」

「いや、新築だけじゃない。比較的新しい建造物が多いが、郊外の中古の空き家の被害もある。そこは、ここよりも被害が大きいけどな。躯体を残して穴だらけだ」

「マンション。一戸建て。ビル。商業施設。工場。これらが、被害の確認されている建物ですけど、それ以外のものへの被害はないですか? 例えば、車、とか」

「いや、今のところ、その報告は来てないな。人の出入りがあるような建物だけだ」


 その会話を手掛かりに再びヒビトは考えるが、明確な糸口は浮かばない。

 頭を捻るヒビトにカタオカが、思い出したように付け加えた。

「でもよ、不思議なことに、古い廃屋の被害はないんだ」


(これまで物質が溶けるような事件はあったけど、こんなに特定の物に限定して頻発する事例は初めてだ。

 仮説は立てられるけど、断定はできない。あとその仮説は、どれも非現実的で、馬鹿げている)

「どうだ?」

思考を巡らせるヒビトの顔を、カタオカが覗き込む。

「カタオカさん、ちょっと近いです」

「なんだよ、神経質だな」

「人か、人ぐらいの大きさの何かの犯行だとは思うんですけど、それ以外に関しては正直わかりません」

「まあ、そんなとこだろうな。訳が分かんねえ」


 カタオカは、一息つき、気持ちを切り替えた様子で言った。

「よし、気を取り直して、次の現場に行くか」

「そうですね」


「あの、どうでしょうか? 犯人捕まえていただけそうでしょうか?」

 管理人が不安そうに尋ねてくる。

「大丈夫だって! 心配するな。悪事を働いた奴は捕まる。世の中そういうもんだ」

 カタオカは、ガハハと笑いながら、管理人の背中を励ますように叩いた。

「痛いな、アンタ!」


 前を歩く、能天気なカタオカと、文句を続ける管理人の後姿にため息をつき、腑に落ちない様子でヒビトはその現場を後にした。

 

 ◆


 ノセは、高架上の電車の外を流れる風景を眺めていた。飲食店でのバイト帰りで、空は少し夕方に染まり始めていた。

 数えきれないほどの建物が通り過ぎていく。一戸建て、瓦屋根の一戸建て、住宅地の新築、レンガのレトロな雰囲気のマンション、新しいモザイク模様のマンション、決まった型の二階建てのアパート、団地、何をつくっているのかわからない工場。

 幼い頃から、電車に乗っているとき、ただ風景を眺めるのが好きだった。



 風景に目をやりながら、不意に少し前の出来事が頭の中で再生される。


 その日もバイトの帰り道、駅から自宅アパートまで歩いている途中だった。突然プッツリと途絶えた記憶。その直前に心当たりもなく、気を失うような経験は人生で一度もなかった。

 気が付くと、アパートの自分の部屋のベッドの上に、昨日の服装そのままで仰向けになっていた。ショルダーバッグを置くどころか、靴すらも脱いでいない。

 しばらくボーっとしていたが、頭が徐々に冴えてくると、ハッとし枕元にある置時計を確認した。

 昼過ぎ。とっくにランチタイムは始まっている。

(ヤバい!)

 そう思い慌てて店に連絡するも、急遽の代わりが見つかったらしく、問題ないそうだった。

 その子に「ありがとう」の伝言を頼み、「忙しい時にゴメン」の謝罪とともに電話を切り、一旦、店長へメールを送る。

 ノセにとって、バイトの遅刻もこれまで経験にないことだった。


 後日、代わりシフトへ急遽入ってくれた子へ、お礼の意味を込めて、デパ地下でお菓子の詰め合わせを買った。一人だけにでは角が立つなと、結局みんなの分も合わせて休憩スペースに置いておくことにしたのだ。

(別に、スーパーとか、コンビニで買っても良かったのにな)

 と、こういうとき変に見栄を張る自分が少し可笑しくなる。代わりに今月は少し切り詰めないと。



 回想から、風景へと意識が戻る。


 ただ、最近、少し変わったなと感じることがある。


(チョコレート味。モカ。チーズ風味。少し固そうだな。カラフルで口の中が弾けて楽しそうだ。あの長いのサクサクしてそう。

 あれはダメだ、埃っぽくて嫌な風味が広がりそうだ)


 以前は、風景を眺めているだけだったのが、今は無意識に想像してしまう。

 目に留まる一つ一つの建物を食べたら、どんな味なのだろうと想像してしまう。


(あっ、あの白くて真新しいマンション、新鮮な生クリームみたいで、美味しそうだな)


 想像するだけで、子供の頃に戻ったような愉快な気持ちになってしまう。

 緩みそうになる顔を必死に抑えながらそう思った。

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