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プロローグ

 それは、どんな光景なのだろう。

 何の前触れもない平穏に、空から巨大な「スプーン」が降りてくる。

 空の彼方からその先端が姿を現し、地上に向け、雲を割り、やがてすべてを覆いつくすかのように。


「スプーン」に掬われた史実は、人間が初めて文字を生み出した時代から記録として残っている。

 また、その痕跡は今もなお、世界中に点在している。見渡す限りの全てといった大規模なものから、一つの集落といった小規模なものまで。その痕跡の特徴は、断面が滑らかなことだ。大地を含むどんな物質も、まるで固めのプリンを掬った後の窪みように、物質から空間の一部がすっぽりと消失している。

 教科書で世界遺産となっている痕跡も見た。南アフリカの人類が農耕を始めた時代の大地に残された大きな楕円形の窪みの空中写真。植民地時代の中央アメリカでの大穴。中東方面だったと思うが、石の建物の一部が掬われた状態で現存し、断面図のように部屋の中が見える遺跡、が強く印象に残る。

 近代に入ってからも、建物の立ち並ぶ街の一画といった被害も出ている。他人ごとではなく、現在の我々にとっても深刻な天災の一つに挙げられる。


 空に掬い上げられた物質は、その後どうなるのか。古代から、その考察、議論、研究が行われているが、まだ結論に達していない。現代でも、「スプーン」は実体として目視で確認できない理由から、スプーン状であろう「何か」が、空と宇宙の狭間から出現している、という仮説で足踏みしたままだ。そして、「スプーン」で掬われた物質は、自然と浮遊するように空へと持ち上げられてゆき、また空と宇宙の狭間で、実体が現実世界から消え去るように、その姿が薄れていき、やがて透明になり消えてしまう。

 一部の宗教では、天上の楽園へ選ばれし者と呼ばれ、それとは逆に、地獄や、この世の果てへ運ばれるという説もある。

 ただ、間違いなく「スプーン」による地上の一部を掬い上げる人知を超えた現象はあり、それは何の法則性もなく、まるで神の気まぐれのように起こる。その圧倒的な力を前に、人類は抵抗する術なく、ただ呆然と立ち尽くす他ない。

 少なくても俺は今でも、そう感じる。


 ◆


 ヒビトの目の前に広がる、高架上の電車から見ている窓越しの光景は、異様だった。

 穏やかだった青空に浮かぶ雲が、突然「何か」に押しつぶされるように霧散する。町の上にゆるいカーブを描くように、巨大な「何か」が、大気の抵抗を切り裂き、ゆっくりと降りて来ている。その端では、巻き込まれるように大気が渦を起こしている。

 ガラス越しにも関わらず、耳をつんざく、雷鳴のような、地鳴りのような大きな低音が、町の上の空を発振地として辺りに響き渡る。思わず耳を塞ぐほどに。


 ◆


「ヒビトくん、起きて。」

 彼女が俺を揺り起こす。

「んん?」

「次、移動教室だよ。」

「ん。ああ、わかった。ありがと。」

 礼を言いながら寝ぼけ眼を擦る。丸めていた背筋を伸ばすように、天上に向かって片手をつかんで大きく上げた。頭の重さを支えていた腕が若干痺れている。

「んんーー。」

 そんな様子を見て彼女は、呆れるように笑いながら言う。

「もう、ちゃんとしてよね。」

 彼女の長くて艶やかな黒髪がそよ風に揺れる。少し乱れた前髪を直しながら、俺に向けられた笑みが眩しかった。

 そんな些細な光景が、今も、脳裏と心に焼き付いて離れない。


 ◆


 あの少し離れた場所に見える少し明るいグレーのマンションが、彼女の家らしい。無意識に盗み聞きした会話から知った。

 そのマンションが、その町が、天から降りてきた巨大な「何か」に暴力的で、無慈悲な力で掬われている。

 あれだけの規模で、大地が削り取られている様子なのに、その周辺は大気と違い、不気味な静けさに包まれている。あまりに滑らかなのだ。滑らかにスムーズに、大地に緩やかな直線状の亀裂が走り、その亀裂が深く、徐々に広がっていく。

「ああ……」

 小さな声が漏れると同時に、目の前の非日常が、自分の中に現実として形を成していくのがわかる。


 亀裂が、広範囲の楕円状に繋がると同時に、「何か」に立体的にむしり取られた町が、自ら浮遊するように少しずつ上昇していく。

「――っああああああ!」

 叫ぶ俺の声が、車内に渦巻く悲鳴や絶叫、緊急停止を繰り返し伝える車内アナウンスに吸い込まれていく。

 俺は、ただ、空に昇っていく大地を追って、声を枯らすことしかできなかった。


 ◆


 整然と並ぶ、被害者の名前の列の中を必死に射貫くように確認していく。その被害者は、生存すらわからない。

 自分が知る名前を通り過ぎるたび、心臓が握りつぶされるような痛みを感じる。背中に、脳に冷ややかなものを感じる。

 彼女の名前はあった。その名前に釘付けになるが、頭では決して受け入れることはできない。

 ただ、その瞬間、俺の小さな希望の結晶は粉々に砕け散った。その破片が心に刺さる。


 絶望に黒々と煮え立つ憎しみの中、天を睨みつけ、奥底から血を吐くように、言葉を絞り出す。

「スプーン」

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