王妃は鏡に「世界で一番強いのは誰?」と聞いてもいつも「王妃様です」と答えられてつまらないので、白雪姫を強くすることにしました
王妃は城で鍛錬していた。極限まで熱せられた片方100kgの鉄の靴を履き、武術の型をこなす。
なぜこんなことをしているのかというと、足を徹底的に鍛え抜くためである。
鍛錬を終えた王妃は、タオルで汗を拭きながら鏡に向かって話しかける。
「鏡よ鏡、世界で一番強いのは誰?」
『王妃様、つまりあなたです』
これを聞いて落胆する王妃。
王妃が最強の座に君臨してからずいぶん経つ。彼女は好敵手を欲していた。そう、己と対等以上に戦える好敵手を――
先日ある好戦的な国が一万の大軍で攻めてきた際、王妃は王に「私一人で戦わせて欲しい」と懇願し、一人でそれを迎え撃った。さすがにこの数なら私を苦しめてくれるだろうと思いきや、全く苦戦しなかった。あまりにも差がありすぎたので、敵軍全てを捕虜にして送り返す余裕があるほどの圧勝ぶりであった。
「もう私とまともに戦える相手はいないのかしら……」
ため息をつく彼女。
しかし、希望はあった。王妃と血の繋がりこそないが、常人離れした美貌と強靭さを兼ね備えた“白雪姫”であった。
白雪姫もまた、一歳にして王国騎士団長に一対一の戦いで勝利、三歳にして猟銃から放たれた弾丸を素手でキャッチ、五歳にして盗賊団を一つ叩き潰すという輝かしい武勇伝を誇っていた。
王妃には遠く及ばないものの、王妃は「彼女ならあるいは私を超えられるかも」と希望を持っていた。
そして、ついに決心する。
白雪姫に試練を与え、強くしよう――と!
***
ある日、王妃は白雪姫を自室に呼び出した。
白雪姫は12歳、その名の通りの雪のように白い肌と黒檀のように黒い髪を持ち、美しさもまた王国で屈指の美少女といえた。
「なんでしょう、お母様?」
二人は継母と娘という関係であるが、仲は良好だった。しかし、王妃はそんな関係を崩しかねない一言を告げる。
「あなた……地獄の森に挑戦してみる気はない?」
「地獄の森……ッ!」
地獄の森とは、王国の片隅に存在する広大な森林地帯であり、この世で最大の魔境である。
猛獣や毒蛇、果ては恐竜や魔獣まで闊歩しているとされ、入った者はまず一分以内に命を落とす。ただし森で暮らす生物の方から森の外に出てくることもないという不思議な領域であった。
この森を年単位で生き抜いたことがある人間は、修行時代の王妃のみ。
王妃もこの森の過酷さは承知している。白雪姫が断ることも十分考えられた。その場合無理強いはしないつもりでいた。
「もちろん、無理にとは言わないけれ……」
言い終わる前に王妃は白雪姫の内心を察していた。
白雪姫は笑っていたのだ。
「やります!」
白雪姫は大きな声で自分の意志を告げる。
「ぜひ地獄の森に挑戦させて下さいッ!」
白雪姫もまた、王妃がこう提案することをずっと待っていたのだろう。
王妃は「あなたも心の中に強さへの渇望を秘めた女なのね」と微笑んだ。
***
地獄の森の入り口までは王妃がついていった。
「入ったら、即座に猛獣が襲いかかってくると思いなさい」
「はい」
「それと、助けなんてもちろん期待しないこと。死んだらそれまでよ。骨も残らないし墓も建ててあげられない」
「分かっております」
王妃はこれ以上の忠告は無粋と判断し、森の中を指さす。
「行きなさい。地獄へ」
「はいっ!」
白雪姫は散歩に向かうような足取りで地獄の森に足を踏み入れた。
踏み入れて30秒後に、いきなり獰猛な虎とアナコンダと狼が同時に襲い掛かってきた。白雪姫は驚きつつも、裏拳で彼らを軽く気絶させる。
「すごい……“地獄の森”の名に相応しい魔境だわ!」
白雪姫は大いに歓喜した。こんな試練を待っていたのだ。
そして、次の敵となるティラノサウルスに雄叫びを上げながら挑みかかるのだった。
***
どれぐらい時が経っただろうか。
地獄の森を生き抜いた白雪姫は、現在の森の覇者である“七人の巨人”と対峙していた。
七人はいずれも身長2mを超え、それぞれムエタイ・相撲・空手・柔道・ボクシング・サンボ・レスリングを極めた達人集団である。
七人のうちの一人が言う。
「お嬢ちゃんが俺らに挑むってか。いいだろう。その勇気に敬意を表して、俺らのうち一人に傷でもつけられたら、手下にしてやるぜ。そうすりゃこの森で安全に暮らせる」
そんな優しき提案を白雪姫は鼻で笑った。
「何を言ってるの? 言っとくけど、私はあなたたち全員をブチのめすつもりでいるの。それぐらいしなきゃ到底お母様は超えられないもの」
「な、なんだと!?」
「というか面倒だわ。いっそ、七人同時にかかってきなさい」
この言葉にキレた“七人の巨人”は、殺気をむき出しにして白雪姫に飛び掛かる。
「ナメやがって!」
「ブッ殺してやらァ!」
「メスだからって容赦すんな!」
そして、一時間もの死闘の末、白雪姫は彼ら全てを打ち倒した。
「ぐは……! バカな……!」
「やったわ……! これで私が地獄の森の覇者よ!」
だが、白雪姫は満足していなかった。
「だけどこんなものではお母様は倒せない……。もっとこの森で修行しなくては……」
白雪姫は“七人の巨人”を修行仲間とし、彼らの技術を貪欲に吸収していった。
***
白雪姫が森に入ってから三年後、やはり熱せられた鉄靴を履いて鍛錬をしていた王妃が、鏡に向かって問いかける。
「鏡よ鏡、世界で一番強いのは誰?」
『白雪姫です』
いつもいつも自分の名前を答えていた鏡が、初めて違う名前を答えた。
この答えに喜びを隠し切れない王妃。
「えっ、本当なの!?」
『本当です。少なくとも私の基準ですと……今現在の彼女はあなたよりも強い』
「まあ……!」
まさかたった三年で私を超えてくれるとは。
『喜んでおられるのですか?』
「当然よ! 聞こえる!? この胸の高鳴り!」
『ええ、あなたの胸の中に一流のドラマーがいるかのようですよ』
「そうよ……ドキドキが止まらないってやつよ!」
心臓の演奏で、全身の血と肉と骨、そして細胞が沸き立っている。
我が子を千尋の谷へ突き落としたと思ったら、自分を超える実力を身につけてくれた。獅子としてこれほど喜ばしいことはない。
『どうするのです? 白雪姫を城に呼び寄せて戦うのですか?』
「いいえ……今の私は挑戦者、相手を呼ぶのは無礼というもの。私から出向くわ!」
自分より強い娘に会いに行く――
王妃はこれほど楽しい外出は初めてかもしれない、と感じていた。
***
「もっと一撃一撃を大切にするのよ! 一撃で相手を絶命させる精神を忘れないで!」
「オスッ!」
地獄の森にて、白雪姫は“七人の巨人”に稽古をつけていた。今や彼女が完全に師匠の立場である。
そして、森の中の異変に気付く。
「どうしました、姫さん?」
「……来るわ」
「え?」
「恐ろしく強い人が森に侵入し、私の元に向かってきている……」
心当たりなど一人しかいない。
「来たわね……お母様!」
王妃が白雪姫と巨人たちの前に姿を現す。
かつての森の覇者と現覇者が向き合った形となる。
“七人の巨人”は王妃と面識がなかったが、王妃が内包する戦闘力を察して冷や汗をかいている。
「久しぶりね、白雪姫……」
「ええ……三年ぶりでしょうか」
微笑み合う二人。
「ここまで来て下さったということは私を認めてくれたということでしょうか?」
「というより、挑戦しにきたの」
「挑戦?」
「鏡は答えたわ。今現在世界最強はあなただと。そんな愛娘にこの王妃、ぜひ全力をぶつけたいッ!」
「私が最強……実感はありませんが、そういうことでしたか」
さっそく王妃がリンゴを二つ取り出す。
「このリンゴには一滴あれば人類を死滅させるといわれるヒトコロリという猛毒が大量に含まれてるわ。食べる勇気はあって?」
「もちろんです」
白雪姫は毒リンゴを平然と食べた。
王妃も平然と食べた。
むろん、体に異常なし。
そう、これは儀式である。お互いが“人間を超越した者”であることを確認するための。
「すげえ……!」
巨人たちもうめく。
ついに二人の激突が始まろうとかというその時――
「ちょっと待ったァ!!!」
どこからともなく、金髪碧眼の美青年が現れた。白雪姫は知らなかったが、王妃は彼のことを知っていた。
「確かあなたは……隣国の王子」
「ええ、お久しぶりです」
王子がうなずく。地獄の森にたった一人で踏み込めるこの男も、白雪姫と王妃ほどではないとはいえ只者ではない。
「確か、あなたは戦いの観戦が趣味だったわね?」
「ええ……こんな最強vs最強を見逃す手はありませんよ!」
そう、王子は死体愛好家ならぬ“試合愛好家”だったのだ!
役者も揃ったところで今度こそ戦いが始まる。
構える二人。
白雪姫はちょうど子供が作った雪だるまのように両腕を広げる“雪達磨の構え”だ。
王妃は下半身に重点を置いた“鉄靴の構え”。足技とフットワークを最も活かすことができる。
「行くわよ!」
「はいっ!」
戦いが始まった。
王妃が右ストレートを放ち、白雪姫も右ストレートを放つ。互いの頬をかすめ、血が流れる。両者、笑っていた。
このやり取りだけで、王子も“七人の巨人”もこの戦いが世界最強決定戦であることに疑いの余地はないと確信した。
「た……たまらないッ!」興奮する王子。
まず、白雪姫が踏み込む。
拳による猛ラッシュ。白雪姫の名に相応しい吹雪のような連撃が、王妃の全身を打つ。
「ぐうう……ッ!」
巨人たちが汗を流す。
「なんてラッシュだ! 全然止まらねえ!」
「だが王妃もすげえぞ! 俺らならあのラッシュを10秒も受けたらミンチになってる!」
ブリザードが止まらない。
しかし――
「長年鉄靴を履いて鍛え上げた足……味わってみる?」
「え!?」
「アイアンキック!」
鉄以上の硬度を持つ足が鞭のようにしなり、強烈なハイキックが白雪姫の顔面に炸裂。
「ぐほ……ッ!」
たった一発の蹴りでラッシュを止めてしまった。よろめきながら白雪姫が褒める。
「すごい蹴りでした……お母様」
「あなたこそ、凍え死ぬようなラッシュだったわ」
ここからさらに二人の戦いは加速する。
白雪姫が氷柱のような貫き手を繰り出せば、王妃はかかと落としでお返しする。
王妃がミドルキックをお見舞いすれば、白雪姫は雪かきの要領で王妃を放り投げる。
二転三転する攻防に、観戦者たちは息をするのも忘れてしまう。危うく巨人の一人が窒息死するところだった。
「雪崩ドロップゥ!」
白雪姫が王妃を抱え上げ、雪崩を思わせるド迫力で頭から地面に叩きつける。
「なんの、ポイズンアップルボディブロー!」
白雪姫の腹部に、王妃の拳がめり込む。今や巨人たちのパンチにもビクともしない腹筋を備えているにもかかわらず、胃液を吐き散らす白雪姫。
「さすが……お母様! どんな毒リンゴよりも吐き気をもよおしますわ……」
両者の絶技と絶技がぶつかり合う。
若い白雪姫が勢いでは押しているが、経験豊富な王妃もそれを受け流し、決定打を許さない。
とここで、白雪姫が一瞬ではあるが隙を作ってしまう。白雪姫であるがゆえの凍結。
これを好機と見た王妃、すかさず跳び上がる。
「アイアンドロップキィーック!」
白雪姫の顔面に王妃の両足が突き刺さった。
毎日片足100kgの鉄靴を履いて鍛え上げた足が、それも二つ同時に直撃したのだ。たまらず白雪姫はダウンした。
起き上がろうとするも、力が入らない。立てない。
「ぐ、くくっ……!」
「私はね、幼い頃から積もったばかりの新雪をこうやって思い切り踏むのが……大好きだったの!」
王妃はその足で、倒れている白雪姫の顔面を全力で踏み抜いた。
凄まじい音がした。
これには誰もが決着を確信した。
王妃でさえガッツポーズをしようとする。
――しかし!
白雪姫は立ち上がった。
「なんですって!?」驚く王妃。
ただし、意識はない。意識のないまま立ち上がったのだ。
「なんという闘争心……!」
そのファイティングスピリッツに感動すら覚える王妃。ならば全力で応じるのが戦士としての礼儀である。トドメを刺そうと近づくと――
白雪姫が意識のないまま近くにいた王子の唇を奪った。
「!?」
あまりに突然の出来事に、誰も反応できなかった。
白雪姫が王子の唇を堪能すると、その目に生気が宿っていく。
「ぷはぁっ!」
「ひ、姫……?」
「ありがとう王子様。おかげで復活できました」
王妃は白雪姫の一連の行動を冷静に分析する。
「なるほどね……。乙女にとってファーストキスとはあまりに刺激的だわ……。あなたは無意識ながらその刺激を求め、近くにいた王子にキスをした。そして、王子の唇を存分に味わい……ショック療法で復活を果たしたというわけね」
「そういうことです」
白雪姫も無意識で行った己の行為を自覚していた。
「ところで……ファーストキスの味はどうだった?」
「血の味がしました」
死闘の最中である。当然だった。レモンの味などするはずがない。
「さあ、決着をつけましょう、お母様!」
「来なさい!」
白雪姫は全身全霊を込めて、最後の拳を放つ。
その拳は雪玉のように美しく、周囲はもちろん、王妃でさえ見とれてしまうほどだった。
だが、その美しき拳は罠!
拳が王妃の頬にめり込む。雪のような外見に秘められた悪魔の殺意。雪合戦の際に雪玉に石を入れて投げるが如き凶悪な一撃が、王妃に炸裂した。
「ぐはぁっ!」
吹き飛ばされた王妃、背中から地面に墜落し、ついに起き上がることはなかった。
……
敗北した王妃に、白雪姫が話しかける。
「う……」
「お母様!」
「つ、強くなったわね……白雪姫……。あなたの……勝ちよ」
「いいえ、お母様……。私は一度意識を失いました。王子様がいなければこの勝負は……」
「勝負の世界に“もしも”はないわ」
「……はい!」
王妃は白雪姫の最強を認め、白雪姫は堂々とそれを受け入れた。
王子も巨人たちも彼女らに拍手する。
すると、白雪姫が赤ら顔で王子に近づいた。
「王子様……」
「な、なんだい?」
「あなたは意識のない状態だった私とキスをしました……その責任、取って下さい!」
確かに王子は無意識の白雪姫とキスをした。何も間違ったことは言っていない。
「へ……?」
「結婚して下さい!」
「は、はいっ!」
かくしてカップルが誕生した。
この強引な求婚劇に王妃は心当たりがあった。
「私も夫にあんな具合にプロポーズしたものだわ……」
血の繋がりはないが、自分にそっくりな娘の素行に微笑みを浮かべるのだった。
***
白雪姫は隣国に嫁ぎ、立派な王女となったが、それでも時折――というよりはしょっちゅう王妃の元に行っては、稽古を楽しむ。
「行きます、お母様!」
「来なさい!」
雪のように舞い、凍てつく拳を繰り出す白雪姫。
鉄靴で鍛え抜いた足で、華麗な足技を放つ王妃。
白雪姫の従者となった“七人の巨人”と夫である王子も、もちろん試合を観戦している。
「うおおおおーっ!」
「すげえ戦いだぜ!」
「どっちも頑張れ!」
王子はふと、近くにあった魔法の鏡に問いかけてみた。
「鏡よ鏡、世界で一番強いのは誰だい?」
『さあ……二人とももう私でも測定不可能な領域におりますゆえ』
~おわり~
読んで下さりありがとうございました。