地獄の王ハデス
曽祖父が悪魔に魂を売ったことから、私の家系は地獄の王ハデスに仕えてきました。物質的には人並み以上の生活をしてきましたが、一度悪魔に魂を売れば、二度と抜け出すことはできません。
私は、二十歳でハデスの直属部隊に入隊しました。直属とは言っても、常時数万人いる部隊ですから、誇りや名誉は特にありません。地上の人々に対して悪逆非道の限りを尽くしてはきましたが、ハデスの命令によって動かされており、毎日が死の恐怖に晒されていますから、幸せという感じはありません。
大人になるということは、自分が何も悪くないと思っていても、平身低頭、平気で謝罪できるようになることなのかもしれません。
ハデスの思うことは、狂っています。正論の対極にあって、理不尽の連続です。しかし、強いのですから、逆らえば殺されます。まるっきり自分勝手な理不尽を、誰かれ構わず強制することができる立場こそが、力を意味するのかもしれません。
どんなに飛び抜けて優秀で従順な人であっても、単なる不運によって、ハデスの時々の気分によって殺されます。私達はみな、ハデスの毎日の気分に怯えて生きています。一秒一秒の気分にまで怯えています。
恐怖に背中を押されて、悪逆非道な命令を実行します。人間をたくさん殺します。残念ながら、良心の呵責などまったくないというのが実情です。
殴られて育った人が、人や子供を殴るのではないでしょうか。
罵られて育った人が、人や子供を平気で罵るのではないでしょうか。
馬鹿にされて育った人は、大人になっても人を馬鹿にせずにいられないのでしょう。
痛みというものは、記憶され、決して消えないのです。
味わった心の痛みを、なるべく感じないように我慢したとして、我慢しつづけた先に、必ず無理が現れます。
私達は、仲間達をゴミのように簡単に殺されてきましたし、自分自身の毎日も理不尽な死の恐怖に晒されていました。
だから、平気で殺せるようになってしまったのだと思います。
それを、自分勝手な言い訳だと蔑む人もいるでしょうが、客観的な現実だと思います。
私達は、理不尽な権力に晒され、理不尽な侮辱と苦しみに晒されつづけ、平気で謝罪しつづけてきました。
だから、私達は、人に権力を強いることもできるようになりました。
たくさん嘘をつかれ、たくさん騙されて、陥れられて生きてきましたから、嘘をつき、騙し、陥れることにためらいを感じなくなりました。
泣いて命乞いをする女子供に平気で剣を振り下ろせるようになりました。
すべての悪人がかつては善人だったとは言いません。しかし、過酷な環境は、それなりにまっとうな人をも悪魔のようにはしてしまいます。
私達は、権力の論理に溺れ、一人一人の他者の尊厳を重んじる目を失いました。
私は、全裸で土下座をしたとして、少しも恥ずかしいとは感じません。
平気で靴の裏を舐めることもできます。
ハデスのもとで暮らすということは、魂やプライドをすべて権力に売るということです。
死ほど理不尽なものはありません。
生ほど理不尽なものはありません。
生まれることを選んだつもりなどなくとも、生きる苦しみはもたらされ、ゆえに死を恐れていつか死ぬまで努力しつづけねばなりません。
私は、少しも自分が悪くなくても、平気で謝れるようになりました。
しかし、心にもない反省や自己否定を述べさせられた分だけ、憎悪は蓄積しつづけています。
強いられた理不尽については、びた一文まけずに復讐を果たしたいという願望が、強くなることはあっても弱くなることがありません。
一言で言えば、ハデスの死を望みつづけているし、願わくば自らの手によってハデスを殺してみたくてたまりません。
しかしハデスは強者ですから、そんな日が来るわけのないことは、理性ではわかっています。
しかし、ハデスは狂っているのです。
正しさの欠片もない考えや命令を正しいものとして自覚しているし、何も知性的ではない判断を誰よりも合理的なものだとして強いてきます。
つまり、私達が口先で反省を述べる時、彼は少し安心している気がします。
私達の内にたまりたまった憎悪を、彼は絶対に過小評価しています。
そこに隙があるのではないかと感じます。
いや、そんなことを考えるだけが、私に残された幸せなのかもしれません。
権力の論理は、自然界そのものの論理なのかもしれません。
しかし、命は幸せに値するはずだというのが、私達生命の信念ではないでしょうか。
私達は、恐怖するために生まれてきたのではない。
生きることを楽しむのであってこそ、生きる甲斐がある。
そして、それを侵害する者を殺したいとすら思う。
残虐非道に生きてきた私達であっても、友情や恋愛感情というのは、なくはないです。身の回りの慣れ親しんだ所有物などへの愛着もあります。
ですから、愛するものを叩き潰されれば、心の痛みは記憶として残ります。
愛するものを自らの手で叩き潰すことを強いられて従えば、後悔のような煩悶が残ります。
ましてや、自分自身が恫喝や侮辱や嘲笑を浴びたり、自分自身の身体を痛めつけられて怪我や病が残ったりして、理不尽への憎悪は蓄積しています。
自分自身が、権力の論理には満足しきれないことを、自覚せずにはいられません。
ハデス、偉大なる地獄の王。
私は、彼の最も従順な部下の一人です。
彼に命令されれば、どんな非道も行います。
逆らえば、私は殺され、別の者が同じことをするだけですから、仕方ないでしょう。
つまらない理想論や説教は、私の耳には響きません。
私は、この世の理不尽を誰よりも知っている者の一人だと自覚しています。
世界は平等ではないし、人々は善良ではありません。
しかし、自分よりも弱い者をいくら痛めつけたところで、恨みは消えないのです。
それが、私が本当にしたいこととはまったく違うからでしょう。
私は、ハデスが痛みに悲鳴を上げ、恐怖に震える表情こそを見たい。
全裸で土下座をして命乞いをする彼の頭を踏み抜きたくてたまらない。
そのためだけに生きているようなものです。
地獄の王ハデス、私はあなたに帰依します。
あなたが教えてくれた権力の論理を、いつかあなたに行使するためです。
私はあなたがずっと昔に犯した罪を決して許しません。
あなたは忘れたでしょうが、十数年前のあの日、私に好意した奴隷の少女をあなたは無残に殺しましたね。
あんなに美しいものを、あんなに醜くした。
彼女は、私達とは違って心の底までが穢れなく善良で、何の罪も決してなかった。
そして、この世の穢れでしかない私を初めて肯定してくれた。
弱い者を平気で殺す者を、私は平気で殺します。
手にした力や地位や金を平然と行使した者達は皆殺しにしなければ、この世の真の平衡は決してとれない。
私は、理不尽な世界を変えたいと思う。
そう思わせてくれた憎悪、そして憎悪させてくれた痛みには感謝しているのです。
感謝するどころか、愛してすらいます。
ハデスよ、私はあなたを愛している。
あなたが死ぬ時、私の人生は達成され、私の意味は終わります。
この愛を、受け取ってください。いや、いつか必ず、受け取っていただきます。
曽祖父が悪魔に魂を売ったことから、私の家系は地獄の王ハデスに仕えてきました。
私がそれを誇りに思えるようになったのは、ごく最近のことです。
地獄を生きる者なりに、プライドある生き様があります。
道化のように謝罪しながら、私の心は燃えている。
ハデスよ、私はあなたを愛している。