開戦
闘技場のごとき広大な広間。
床や天井、側面の壁などの岩肌には、大小さまざまの緑のツタが蔓延っている。
その広間を、俺は聖斧ロンバルディアを手に、竜に向かって駆け出す。
ミィナ、エレン、セラフィーナ、オーレリアの四人もそれについてくる。
セラフィーナやオーレリアの魔法にも射程距離というものがあるから、戦場に影響を及ぼすためには、ある程度までは近付かなければいけない。
竜までの距離は、十秒も全力疾走をすれば届くほど。
斧使いである俺にとって、あらゆる戦闘で最初に行うべきことは、まずは相手との近接戦闘に持ち込むことだ。
俺は一秒でも早くグリーンドラゴンのもとにたどり着くため、素早く力強く地面を蹴っていく。
──俺が古竜に「多分勝てる」と思ったのには、いくつかの理由がある。
まずレッドドラゴンと戦ったときの経験則が前提だ。
当時の俺はそのレッドドラゴン──壮竜を相手に、平常状態でほぼ互角、【鬼神化】を使った後は圧倒するだけの戦力を見せた。
よって──古竜が壮竜と比べてどれほど強いのか分からないが、おそらく【鬼神化】状態ならば互角に戦えるのではないか、あわよくば凌駕できるのではないかと予想した。
ここに何の保証もないのが一番の不安要素だったが、古竜の体躯を見た感じでは、そう大きく外れていないのではないかと思う。
古竜と壮竜との間には大人と子供ほどの体格差があるが、【鬼神化】を使った俺と壮竜との間にも大人と子供ほどの力量差があったからだ。
そのうえで、こちらにはさらに有利な要素がいくつかある。
一つは俺が【毒耐性】を持っていること。
毒のブレスの威力がどれほどかは分からないが、その威力を大幅に減衰できることは間違いないだろう。
ドラゴンの最強の攻撃手段であるブレス攻撃の威力を削ぐことができれば、戦いはかなり有利になるはずだ。
さらに俺には、オーレリアに加え【守護乙女の祝福】を受けた三人の嫁たちという強力な味方がいる。
彼女らは古竜の迫力にいくらか気圧されてはいたようだが、それでも足手まといになるよりは、戦力になる割合のほうが大きいだろう……と思う。
加えて、闘技大会の決勝戦でティフェレトと戦ったあとに獲得した、隠し玉の新スキルもある。
これは仲間たちを守るのに役に立つはずだ。
そして最後の要因は、「老師」が隕石落下の魔法によって与えたダメージだ。
致命傷ではないが、決して軽いダメージでもない。
無傷の古竜を相手にするのと比べれば、遥かに有利に戦えるはずだ。
それを、見ず知らずの「老師」の遺志を継ぐことなのだと考えるのは、感傷的に過ぎるかもしれないが。
まあいずれにせよ、英雄風を吹かせるといったって、勝算の立たない戦いに身を投じているわけでもない。
必ず勝てるという保証などはどこにもないが、あとはもう出たとこ勝負だ。
──俺が竜に向かって駆け出して、数秒。
おそるべきグリーンドラゴンの巨大な姿が、ぐんぐんと現実感を増して迫ってくる。
竜は身を起こし、鎌首をもたげ、大きく口を開き──
『──グォオオオオオオオオオオッ!』
激しく咆哮をした。
それはもちろん無駄な動作などではなく、れっきとした「攻撃」だ。
竜を中心に、力を含んだ音の波動が広がり、俺たちを残らず舐めていく。
魔力を乗せた竜の咆哮は、それを間近で聞いた者の心を攻撃し、恐怖で圧し潰す力を持つと言われている。
レッドドラゴンと戦ったときも、俺はこの攻撃を受けた。
あのときは、竜の咆哮の力が俺の闘気を打ち破ることはなく、少し圧力を感じた程度で無視することができた。
だが──今回は、そうはいかなかった。
「がっ……!」
どくんっ……!
心臓を直接、握りつぶされるような圧力。
俺の意志を無視して足が止まり、つんのめって倒れてしまいそうになり、慌てて踏みとどまった。
竜を見る。
巨大な、おそろしく巨大な姿が与えてくるイメージは、ただ一つ。
──死。
死、死、死、死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死──!
あれには絶対に勝てない。
死ぬ。近づいたら絶対に死ぬ。
さらに俺の耳には、心が折れた仲間たちの声が聞こえてくる。
「にゃううううっ……だ、ダグラス……無理にゃ……あんなやつに、勝てるわけ……にゃい……」
「あ……あ、あっ……こ、殺される……ボク……もう、死ぬ……ぐちゃぐちゃにされる……」
「はぁっ……はぁっ……だ、ダグラス、様……私、無理です……ごめんなさい……怖い……怖いんです……」
「あ、ぐぅっ……はぁっ、はぁっ……殺される……食われる……はぁっ、はぁっ……」
そして、咆哮を終えた竜が、悠然とこちらに向かって歩いてくる。
一歩、二歩、三歩……。
巨体ゆえに、一歩が大きい。
ゆっくりと歩み寄ってくるだけだというのに、あっという間に距離を詰めてくる。
『ぐはははははっ! 他愛もないな。──さて、予告通りにまずは貴様の全身の骨をバラバラに砕いてやろう。なに、ワシの尻尾で何度か打ちすえるだけだ、数秒もあれば終わる。それから雌どもを一人ずつ踊り食いにして、その苦痛の喘ぎを貴様に聞かせてやろう。いい声で泣くであろうなぁ』
ズシンッ、ズシンッ──
後ろ足で立つと俺の十倍ほども背丈のある巨大な竜が、地面を揺らしながら、今にも俺の前にやってこようとしている。
まずいぞ、逃げろ。
ここから少しでも遠くへ、今すぐ逃げなければ。
今すぐ逃げなければ、俺はすぐに死んでしまう。
今すぐ逃げなければ、今すぐ逃げなければ、今すぐ逃げなければ──
──違う。
そうじゃない。
「──ぉおおおおおおおおおおおっ!」
俺は力の限り叫んだ。
──バチンッ!
古竜の咆哮の魔力を打ち破る。
『なに……!? ワシの咆哮の圧に打ち勝っただと……?』
「──うぉおおおおおおおおおっ!」
俺はロンバルディアを振り上げ、巨大な竜に向かって駆けていく。
『ふん、無駄な足掻きを!』
竜がその太い尻尾を振り上げ、俺に向かって叩き潰そうと振り下ろしてくる。
俺は叫ぶ。
「──【絶対防御】!」
──ガギィイイイイイイインッ!
俺を打ち砕こうと振り下ろされた竜の尻尾は、不可視の障壁に阻まれ、俺にダメージを与えるどころか、衝撃を与えることすらも敵わない。
『なっ……!?』
「吹き飛びやがれ──【ホーリースマッシュ】!」
俺は竜の尻尾に向かって、輝かしい聖光を発するロンバルディアを振り下ろす。
──ガゴォオオオオオオオオオンッ!
轟音が鳴り響いたと同時、大木のように太い竜の尻尾が半ばから断ち切られ、血をまき散らしながら飛んでいった。
『──グォオオオオオオオッ!』
竜が初めて悲鳴を上げた。
切断され飛んで行った尻尾の先が地響き立てて地面に落下し、わずかだけびくびくと動き回ってから止まる。
それと同時に──
「はっ……! み、ミィナは何をやってたにゃ……!」
「やっば、呑まれてた……! ──ダグラス、ごめん、今行く!」
「くっ……! こんなことでは──ダグラス様、すぐにお手伝いします!」
「不覚……! よくもやってくれた、邪竜!」
仲間たちが精神状態を取り戻す。
俺がダメージを与えたことで、彼女たちを支配していた竜の魔力が断ち切られたのだろう。
なお同じ竜の咆哮を二度受けても、二度目以降は効力がないか、効果が大幅に薄れるという。
もう咆哮の魔力には、易々とは屈しないはずだ。
『おのれぇえええ……! ワシの尻尾をよくも……! いったい何者だ、貴様ぁああああっ!』
竜は前肢の鉤爪を振り回し、俺を叩き潰そうとしてくる。
巨大すぎて、鉤爪といっても斬るとか引き裂くとかいったものではないが──
「──【神速】!」
出し惜しみはなしだ。
およそ五秒間だけ速度を爆発的に高めるスキルを使い、古竜の嵐のような攻撃を瞬発的に回避する。
だがそれにしても、ギリギリの回避だ。
十倍の巨体による攻撃は、普通の速さで振るわれただけでも、絶対的には十倍の速度で襲い掛かってくるのだからタチが悪い。
しかし、それでも凌いだ。
ここから反撃を──
と思ったところで、竜が大きく息を吸い込む。
『もういい、戯れはやめだ。──まとめて死ね』
竜の口の奥に、邪悪な魔力が集まっていく。
それを見たオーレリアが叫ぶ。
「まずい、ブレス攻撃が来るぞ!」
毒霧のブレスを受ければ、【毒耐性】を持っている俺はともかく、ほかの仲間たちはただでは済まない。
だが今から散開して、間に合うとも思えない。
最も良くても、二、三人がまとめてブレスに巻き込まれるはずだ。
俺はロンバルディアを正眼に構え、仲間たちに向かって叫ぶ。
「全員、俺の後ろに隠れろ!」
邪竜のブレス攻撃が、俺たちに向かって放たれた。





