闘技大会前日、そして当日
その翌日──すなわち大会前日は、盛況な街の様子を見て回った。
闘技大会は祭りのメインイベントではあるが、別の言い方をすれば、祭りのメインイベントにすぎないという見方もできる。
観光客向けの店を出す商人たちの本番は、大会前からすでに始まっている。
屋台の軽食からちょっと珍しい日用品やアクセサリーまで、雑多なものがあちこちで売られていて、祭り気分で財布のひもが緩くなった旅行客がたくさんの銀貨や金貨をこの商業都市に落としていく。
俺もまた、その旅行客の群れの一部となって、嫁たちと一緒に街をぶらつきながら様々な買い物を楽しんだ。
そうしてその日は就寝すると、翌日は大会当日だ。
俺は宿で朝食をとってから、嫁たちと一緒に大会会場である闘技場へと向かった。
闘技場の前には、たくさんの人々が集まっていた。
試合に参加する者もいるだろうが、大部分は観客だろう。
闘技場の入り口前には案内板があり、そのかたわらにはこの闘技場に関する解説のボードが用意されていた。
それによると、この商業都市ベルフォードの円形闘技場は、長径百二十四メートル、短径百六メートル、高さ二十五メートルからなるすり鉢状をした楕円形の形状をしていて、その最大観客収容人数は八千人にも及ぶという。
闘技場の目の前に立つと、そのそびえたつ巨大さに圧倒される。
高さ二十五メートルというと、丘巨人を縦に五体分積んだ高さであり、どんな城郭都市の城壁でもこれほど高いものはないだろう。
しかしこれでも、世界中にある闘技場の中ではさほど大きくないほうだというのだから驚きだ。
さても人類の建築技術の恐ろしさである。
と、俺がそんな風に闘技場を見上げ、圧倒されていたときだ。
闘技場の前の仮設テントから、こんな声が聞こえてきた。
「さあ張った張った! Aランク冒険者に賭けて手堅く儲けるもよし! Bランク冒険者に賭けて大穴狙いもよし! 冒険者以外のダークホースに賭けるのも熱いよ! しかも一口たったのたったの銀貨一枚からだ! 一口でも買っておけば、興味のない試合だって手に汗握る大興奮試合に! こりゃもう賭けない手はないね! ささっ、そこの旦那、一つどうだい!?」
この大会の主催者が仕切っている賭博のようだ。
大型の黒板に、この闘技大会の参加者の名前や冒険者ランクなどの情報とともに、オッズが記されている。
闘技大会観覧のために集まっていた人々が、ちらほらとテントの前に集まり始めた。
それを見たうちの嫁たちが、感想を口にする。
「賭博もやるんにゃね。さすが商業都市ベルフォード。主催者も抜け目ないにゃ」
「この闘技大会は、ベルフォードの豪商たちによる協賛で行われているようですからね。この数日で相当な額のお金が動くらしいですよ」
「ねぇねぇ、ボクたちも賭けよっか? もちろん、ダグラスに有り金全部♪」
「有り金全部賭けるかどうかはさておき、俺に賭けるってのはありかもな。ギャンブルはあまり好きじゃないが──」
俺は黒板の前まで歩み寄って、オッズを見てみる。
闘技大会の参加選手の数は、全部で三十二人のようだ。
Bランク冒険者が十七人。
Aランク冒険者が俺とオーレリア、ギルラムの三人。
それ以外の参加者が十二人という内訳だ。
トーナメント形式で試合が進んで、賭けは一試合ごとに行われるらしい。
黒板に記されているオッズの数字が、人々が賭け札を購入するたびに消され、新たな数字に修正されていく。
その選手の賭け札の購入金額が大きいほど、オッズの倍率が小さくなっていく仕組みのようだ。
オッズの動きをしばらく眺めていたところ、選手ごとの倍率の差が徐々に明確になっていく。
一番人気はギルラムのようだ。
対戦相手のBランク冒険者と差があっという間に開いていく。
ギルラムと比べるとやや勢いはないが、オーレリアもやはり人気がある様子。
こちらも対戦相手との差がぐいぐいと開いていく。
一方、もう一人のAランク冒険者である「ダグラス」という選手のオッズは、対戦相手のBランク冒険者との差がある程度開いたところで均衡してしまった。
それを見ていたエレンが、むーっと唸る。
「ねぇあれ、ダグラスのこと侮られてるよね? オーレリアやあっちのギルラムっていうAランク冒険者より、ダグラスのほうが弱いと思われてるってことだよね?」
「仕方ありませんよ、エレン。ダグラス様の真の偉大さを知っている者は、この街には私たちのほかにいないのでしょうから」
そう言うセラフィーナの見解が妥当なのだと思う。
どこの馬の骨とも知れないAランクという肩書きだけを持った冒険者が現れたとして、あまりに倍率の低い賭け札を買おうとは思う者は少ないだろう。
「でもやっぱりちょっと悔しいにゃよね。──ダグラス、うちの財布から、金貨百枚ぐらいダグラスに賭けてきてもいいにゃ?」
ミィナがそう聞いてくる。
ちなみに金貨百枚というのは、一般市民の月収三ヶ月分に相当する結構な額の大金だ。
「大人げねぇなぁ……。まあいいけどな、負けるとも思えねぇし」
「じゃあ行ってくるにゃ」
俺が金貨の詰まった小袋をミィナに渡すと、獣人の少女はテント前の行列に並び始める。
だが、そのとき──
「おうおう、今年も賭けが盛り上がってんじゃねぇか。いいねぇ、祭りってのはこうじゃなきゃいけねぇ」
そんな不躾な大声とともに、一人の獣人──狼牙族の男がずかずかと歩いてきた。
誰あろう、狼牙族のAランク冒険者、ギルラムご当人である。
ギルラムは賭け札を買おうとしている人々の行列を無視して、無法者然とした態度でテント前まで歩み寄る。
そして懐から、硬貨が詰まっていると思しき巾着を取り出し、それを賭け札購入受付のテーブルの上にどんと置いた。
「俺に金貨五百枚だ。問題ねぇな?」
その言葉に、賭け札を買おうと並んでいた人々の間から、おおーっと声が上がる。
列を無視して割り込まれたことより、その金額の衝撃のほうが大きかったようだ。
しかもそれが採用されて、黒板の数字が修正される。
運営がラフすぎる──というより、賭けの場の盛り上がりを優先してのことだろう。
修正されたのちのギルラムの対戦相手のオッズは、百倍をゆうに超えた数字になった。
再び驚きの声が上がり、場の盛り上がりは最高潮となる。
ギルラムは賭け札を手に、仲間たちのもとへと戻っていく。
というのは、彼もこの場に一人で来たわけではなく、冒険者仲間らしき三人と一緒に来ていたのだ。
ギルラムが仲間たちのもとに戻ると、その中の一人である人間の女性冒険者から「ちゃんと並びなさいよ、行儀が悪いわね」と苦言を向けられ、「細けぇことは気にすんなよ。こういうのは盛り上がりが大事なんだって」などと笑って返していた。
一方で、その様子を見てムッとした様子を見せたのが、行儀よく行列に並んでいたミィナだ。
ミィナは俺のほうに、何かを言いたげな目を向けてくる。
俺は苦笑しつつ、首を縦に振ってみせた。
それを見たミィナが、口元をにぃっと吊り上げる。
祭りだから盛り上がりが大事だというのも分かるしな。
それなら俺たちも、それに一役買ってやろう。
行列が進んでミィナの番になると、獣人の少女は俺が渡した小袋を、ギルラムの真似をするようにテーブルの上にどんと置いた。
そして小袋の中身を、じゃらりと机の上に出してみせる。
「ダグラスに、これ全部にゃ。数えてほしいにゃ」
そのミィナの声に、再びどよっとあたりが騒めいた。
どう見ても、数百枚はくだらない金貨の量である。
ちなみにだが、あれが俺たちの所持金の全部というわけではない。
所持金はあれのほかにも、いくつかの袋に分けて持っているし、宝石や財宝の形でもそれなりの価値のものを所持している。
やがて机の上に積まれた金貨を数え終わった係の人が、その枚数を口に出した。
「き、金貨、六百八十三枚です……」
「じゃあ、それ全部ダグラスに賭けるにゃ。問題ないにゃよね?」
ギルラムが金貨五百枚を賭けたときよりも、さらに大きな歓声があがった。
新たに書き換えられる、黒板の数字。
俺の対戦相手の倍率は、ギルラムの対戦相手の数字をわずかに上回った。
ちなみにこうなると、俺の賭け札の倍率は、ほとんど一倍と変わらない数字になる。
戦いに勝ったとしても、さほど大きな額が手に入るわけでもない。
これで賭けが盛り上がって、ここから購入者が増えれば、その限りでもないのだろうが。
賭け札を購入したミィナが、俺のもとに戻ってくる。
あたりの人々がざわめき、俺たちのほうに注目していた。
俺が戻ってきたミィナの頭をなで、ミィナが猫のように気持ちよさそうにしていると、そこにギルラムが歩み寄ってくる。
「よう、おっさん。なかなか面白れぇことしてくれるじゃねぇか」
「いや、お前さんの言っていることも一理あると思ってな。祭りを盛り上げるのに協力させてもらったまでだが、何か問題でもあったかな」
「いいや、最高だ。──あんたと当たるとすりゃあ、準決勝か。楽しみにしてるぜ」
そう言ってギルラムは仲間たちのもとへと戻り、そのまま全員で闘技場の中へと入っていった。
一方、そこに一歩遅れてやってきたのは、もう一人のAランク冒険者だ。
俺の前まで来たエルフの剣姫は、呆れた顔で言う。
「ずいぶんとギルラムに好かれたようだな。私はあいつのノリが合わないから、なんとも奇妙な気分だよ」
「よう、二日ぶり。オーレリアは自分に賭けたりはしないのか?」
「私はそういうのはいい。この大会にも、自らを磨くために参加しているまでだ。必要以上の金儲けにも、祭りを盛り上げるというのにも興味はないよ」
「クールだねぇ、オーレリア。ボクとの猥談になると、あんなに鼻息を荒くして熱く乱れるのに」
「ば、バカ、エレン……! こんなところで、そういう話をするな!」
真っ赤になったエルフの剣姫は、エレンの口をふさぎにかかる。
俺たちはそんな二人の様子を笑顔で見ながら、ギルラムたちのあとを追って、闘技場の中へと入っていった。





