集落前での押し問答
時刻は夕刻前で、空を見れば少しずつ景色が赤らんできた頃合い。
ついに目的地が目視できる場所まで来た俺たちは、ティフェレトを先頭に、竜人族たちが暮らしている集落へと向かっていく。
集落の入り口近くにいる竜人族たち──“竜神器十将”のように人化はしておらず、ツノや翼、尻尾が生えた半竜半人の姿だ──は俺たちの存在に気付くと、こちらを遠目に観察してきた。
だがそのうちの一人が、嬉しそうな様子でこちらに駆け寄ってきた。
人間で例えるなら十歳を下回るぐらいの、少年姿の竜人族だ。
「ティフェレト姉ちゃん! 今年はしばらく来ないかと思ってたのに!」
竜人族の少年は、走ってきた勢いでティフェレトに抱きついた。
ティフェレトはそれを受け止め、朗らかに笑う。
「よ、元気にしてたか? ちょいと用事があってね。長老いるかい?」
「長老? 家にいると思うけど……そっちの人たちは? 見たことないけど、よその集落の人たち? 姉ちゃんみたいに人化ができるの?」
不思議そうな眼差しを俺たちに向けてくる竜人族の少年。
ティフェレトはそれに、さらりと答える。
「あー、違う違う。こいつらは人化のできる竜人族じゃなくて、人間だよ」
「へぇーっ、人間なんだ。俺、人間に会うの初めて……って、人間!? なんで!?」
少年のその叫び声を聞いて、集落の方からも、にわかにどよめきの声が上がる。
こちらを遠巻きに注目していた竜人族たちだ。
その中の最も年かさに見える者が、近くの竜神族の若者に何か指示を出してから、こちらに向かって声を張り上げてくる。
「ティフェレト様、どういうことですか。なぜこの里に人間を連れてきたのです。ティフェレト様とて、人間たちが過去に我々竜人族に対して何をしたか、知らぬわけではないでしょう」
その間に集落の奥へと駆けていく、竜人族の若者。
残る十人ほどの竜人族たちは、俺たちに警戒と怯えの目を向けていた。
……だよなぁ。
こんな感じになるんじゃないかと思っていたんだ。
一方でティフェレトは、それに対して暢気な返事をする。
「だからこの人間たちは、そのあたりのことを詳しく聞きたいんだと。人間たちの歴史には残っていないらしくてさ。あとこいつらを相手に、武力でどうこうしようって考えは捨てたほうがいいよ。何しろこの斧使いは、あたしを打ち負かした男だからね」
その言葉に、再びどよっと巻き起こる動揺の声。
特にティフェレトに抱きついた少年は、激しくうろたえていた。
「そ、そんな……ティフェレト姉ちゃんが、人間に負けた……? うそだ……」
「嘘じゃないさ。でもってあたしはこいつに女にされて、奴隷にされたんだ。あんな風にあんあん喘いだのは生まれて初めてだったけど、なかなかいいもんだったよ」
「そん、な……」
放心したような顔で、ぺたんと座り込んでしまう竜人族の少年。
なんかすまん、少年。
あとティフェレトは、あまり話が拗れるようなことを平気で言わないでほしい。
ちなみにティフェレトの言葉を聞いて、驚いた様子を見せた人物がもう一人いた。
俺の背から下りて隣にいた、リーゼである。
学者の少女は「えっ? ……えっ?」と言ってティフェレトと俺とを見比べ、さらにエレンたちの方も見て、そのまま思考停止したように硬直してしまっていた。
女にしたとか奴隷にしたとか、何ならティフェレトがたくさんの人間を殺しているだろうというあたりのことも、リーゼには話してないんだよなぁ……。
今リーゼには、俺のことがとんでもないやりちんクソ野郎に見えているかもしれない。
いや、実際にもそんなに間違っていない気もするが。
そんなリーゼには、ミィナが「そのあたりのことはあとで説明するにゃよ」と言って、肩にぽんぽんと手を置いていた。
頼むミィナ、うまいこと話してやってくれ。
さて、ともあれ。
このままティフェレトに任せておくと、どんどん面倒なことになりかねない。
俺は集落の竜人族たちに向けて、害意がないことを示す目的で、両手を上げてみせる。
「ティフェレトが言ったとおりだ。俺たちは確かに人間だが、この里の竜人族たちに危害を加える意思はないし、この場所をみだりにほかの人間に口外するつもりもない。里の長老から話を聞きたくてここまで来たんだ」
ひとまずそう言ってはみたが、あまり芳しい反応は返ってこなかった。
だろうなぁ……。
俺がどうしたものかと悩んでいると──
ティフェレトは気にした様子もなく、集落へと向かって歩みを進めていく。
「長老の家は、集落の奥にあるよ。ついといで」
「いや待て。そういうわけにもいかないだろ。まだ俺たちは、集落の中に入っていいと許可をもらったわけじゃない」
俺がそう切り返すと、ティフェレトは眉を寄せ、何言ってんだこいつはという顔を俺に向けてきた。
「許可ぁ……? そんなもん取ってどうすんだよ。言っとくけど、あんたのほうがこの里の全員を束にしたよりも全然強いよ。あいつらが許可しなかったところで、誰もあんたを止められないって」
「いや、それはそうかもしれないが……」
ダメだ、わりと普通だと思ったが、前言撤回。
やっぱりこいつ、常識がない。
確かに竜神器十将でも最強クラスのティフェレトを倒せる俺に、並の竜人族が束になってかかったところで勝てる道理はないのかもしれない。
だがそれと、俺がこの里の竜人族の意志を踏みにじっていいかどうかは話が別だ。
ティフェレトは口をへの字にして、腰に手を当ててあきれたように言ってくる。
「なんだい、不満そうだねぇ。じゃあ何かい? あいつらが里に入るのを許可しないって言ったら、あんた了解してここで帰るのかい? せっかく二日もかけてここまで来たってのにさ」
「いや、それも嫌だから何とかしたいが、どう交渉しても通らなかったらそうせざるを得ないだろ。ティフェレト、お前さんを信用してここまで来た俺たちがバカだったってことになる」
「んー、分かんないねぇ。あんたほどの力を持っていて、何が怖いんだか」
「だから、怖いとかじゃなくてだな……」
ダメだ。価値観が違いすぎて、根本的に会話がかみ合わない。
今思えば出立前にきちんと確認しておくべきだったのだが、もはや後の祭りだ。
さてどうしたものかと俺が再び悩んでいると──そのとき。
集落の奥から、一人の見知った竜人族がこちらへと向かってきた。
さっき集落の奥に駆けていった竜人族の若者も一緒なので、彼が呼んできたのだろう。
なお見知った竜人族といっても、ツノや翼や尻尾が生えた半竜半人姿の彼女には、それほど馴染みがあるわけではない。
俺がこの世で初めて【奴隷化】を使ったときをはじめとして、二度ほどお目にかかった限りの姿だ。
彼女は近くまでやってくると、驚いた顔で俺たちに声をかけてくる。
「ティフェレトちゃんが人間を連れてきたっていうから誰かと思えば、ダグラスさんたちじゃないですか。お久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」
俺たちの前に現れたのは、アイスブルーの髪と瞳を持った竜人族の少女。
その背には弓矢を携えている。
少女の首にはティフェレトと同様、俺が行使した【奴隷化】の証である黄金の首輪が嵌まっていた。
「ああ。久しぶりだな、ビナー。元気そうで何よりだよ」
俺は集落の奥から現れた竜人族に笑顔を向けて、そう返事をする。
その竜人族とは、過去に俺が打倒した“竜神器十将”の一人、弓使いのビナーであった。





