正義と邪悪(2)
「ああもう、いまいましいわ~」
“竜神器十将”鞭使いのイェソドは、街中を歩いていた。
人間の街の往来を歩いていても、誰も彼女が竜人族だとは気付かない。
竜人族の人化の術は完璧だ。
肉体と精神の両方を同時に深くえぐられでもしなければ、そうそう解けることもない。
特に“竜神器十将”は、いずれも人化した状態で日常生活を送る訓練を積んでいる。
来たる人間族襲撃のときに備えて、そうしてきたのだ。
そのときは今、やってきた。
イェソドだけでなく、十人の“竜神器十将”すべてが、現在三国に分かれて人間たちを攻撃しているはずだ。
だが──
「どうして人間ごときに、私の計画が破られるのかしら。……許せないわぁ」
イェソドは上流階級の住宅街に足を踏み入れながら、不愉快そうに表情を歪める。
聖騎士ルーナを使い、聖剣使いを捕らえようと目論んだイェソドの計画は、痛恨の大失敗に終わった。
聖剣使いを手に入れられなかったばかりか、大事なペットの聖騎士ルーナまで失った。
厄介な聖剣使いをどうにかするために手を組んだ、もう一人の“竜神器十将”短剣使いのホッドとも連絡が取れない。
危険を感じたイェソドは、これまでに使っていた拠点を捨てて、動かざるを得なかった。
イェソドはやがて、一つの邸宅の前で立ち止まる。
立派な門構えの大邸宅だ。
この聖王国でこれだけの住居を持つのは、豪商か貴族か上位の聖職者だけである。
門の前には、二人の門番が立っている。
そのうちの一人が、イェソドの姿を見てこう声をかけた。
「おい女。ここは司教ジルド様の住居だ。用のない平民はさっさと立ち去れ」
それを聞いたイェソドは、つまらなさそうな顔になる。
「今は私、機嫌が悪いのよ~? そういうふざけたことを言うおバカさんは、どうしてあげようかって思ってしまうわねぇ」
「何を言っている、女! 腕の一本も切り落とされたいか!」
そう言って剣を抜こうとする門番の一人。
だがもう一人の門番が、何かに気付いた様子で慌てて相方を止めた。
「ま、待て、このお方は……! し、失礼いたしました! 今、ジルド様にお伝えしてまいります!」
「……あらそう。危なかったわね~。もう少しで手が滑るところだったわぁ」
門番の一人が慌てて中に引っ込んでいくと、しばらくしてイェソドは邸宅の中へと通される。
屋敷前の広い中庭を進んでいくと、彼女を迎えたのは老年に差し掛かったぐらいの一人の男だった。
ゆったりとした司教のローブに身を包んだ彼は、イェソドを歓迎する。
「これはこれはイェソド様、お久しぶりでございます」
「久しぶりね~、ジルド司教。でも門番の調教は、ちゃんとやっておかないとダメよ~?」
「申し訳ありません、イェソド様。……ささ、どうぞ中へ」
イェソドは司教ジルドの案内で、彼の屋敷へと入っていく。
通されたのは、一階の物置部屋だ。
司教ジルドはそこの床の一角を開き、地下への階段を出現させた。
司教ジルドと鞭使いイェソドは、地下室への階段を下りていく。
地下室は極めて広い。
屋敷の一階と比べても遜色がないほどだ。
司教ジルドと鞭使いイェソドの二人は、地下一階の長い廊下を歩いていく。
「あんっ、あぁんっ……ダメ、やめてぇっ……んぁあああっ……」
「や、やめろよぉっ……あひぃっ……もう、許してよぉっ……」
廊下の左右には扉がいくつもあって、その奥からは女性や少年の嬌声や悲鳴が、かすかに聞こえてくる。
扉の奥の部屋では、ぐふぐふと笑う国の有力聖職者の男たちが、表向きにできない歪んだ欲望をあらわにしているのだろう。
イェソドはそれらの声を耳にしながら、司教ジルドに呆れた声を向ける。
「またお盛んなようだけど~。今度はどこから獲物を仕入れてきたのかしら~?」
「ダークエルフの集落が見つかったので、綺麗どころを回収して焼き滅ぼしたのですよ。本当はダークエルフが殺したという村人は、私の手の者に殺されたのですがね。くくくっ……ダークエルフへの偏見と正義に酔ったバカどもは、疑いもしません」
「そのバカどもは、敬虔なミリシア教の司教の家の地下でこぉんなことが行われているなんてことも、思いもしないんでしょうね~」
「はははっ、何をおっしゃいますイェソド様。私は敬虔な竜神教徒ですよ。私が信じるのは竜族の力です。ミリシア教の司教などという地位は、表向きの姿にすぎません」
「はぁ、人間ってこれだから。ま、いいけれどね~」
そんな話をしながら二人は廊下を進み、立派な文様の施された大扉の前へと到着する。
司教ジルドが、その扉を開いていく。
扉の向こうにあったのは、神殿を模した広間であった。
部屋の柱などのあちこちに、竜をモチーフにした簡素な彫刻が施されている。
五十人ほどを収容できる広間では、収容人数の半分ほどの数の人々が祈りを捧げている。
奥の祭壇では、祭事用のローブをまとった体格のいい男が、祈りを捧げる人々を導いていた。
男がまとっているローブは、司教ジルドが身に着けているミリシア教のものとは異なる。
竜の炎を連想させる模様が施された、赤色のローブだ。
男は立派な戦槌を力強く掲げ、半ば神々しい演出とともに祭壇に立っていた。
戦槌を手にした男は、神殿の扉が開かれたこととそこにいる人物を見て、厳かな表情を動かして親しみの笑みを浮かべる。
「おおイェソド、久しいな。──お前がここに来たということは、首尾は順調ではないのかな?」
「いまいましいけど、その通りよ~。ペットに欲しい子がたくさん現れたのに、強くて手出しができないんですもの。こんなに癪なことはないわぁ。だから“竜神器十将”でも三本の指に入る戦闘力を持ったあなたに、お願いをしにきたの」
「ほうほう、それは面白い。では奥で、詳しい話を聞こうか」
司教ジルドは一礼をして立ち去り、二人の武器使いは奥の部屋へと入っていく。
三人の役者が立ち去ったあと、熱心に祈りを捧げる人々だけが、そこに残っていた。





