見慣れた風景
*見慣れた風景
偶然だった。家の近くの駅で好きな子に会った。
「秋人ー!」
名前を突然呼ばれ驚いて振り返るとその子は手を振っていた。
「学校帰り?」
「そーやで。そっちも?」
「うん。」
「じゃぁ、また~」
「バイバ~イ!」
こんななんでもないやり取りにもかかわらず秋人は舞い上がっていた。少し立ち話でもすればよかったと後悔しながら、相手にしてみればただ単にバイト先の知り合いに会ったというだけのことなのだろうと思うと少し寂しくなった。そんなことを考えながら、いつもどおりに歩く。両側に桜の木が連なっている駅前のこの道が、秋人は好きだ。少し上を向き、オレンジがかった空を背景に散りかかったピンクの花びらを見ながら家に向かった。
家に着き荷物をおろすなりテレビの電源を入れた。何を観るわけでもなくチャンネルをポチポチと変えていく。アメリカ軍がイラクを爆撃している映像が流れる。戦場では相手、人を殺すことは悪いことではない。戦場での殺人は正義と思い込んでしまう。丁度、生まれてきたばかりの鳥がはじめに見た人間を自分の親だと思い込んでしまうすりこみのように。戦争の実感がない。たくさんの死傷者が出ていると報道される。悲しくない。いつものように時間は流れる。戦争映画では涙を流すが、実際の映像にもかかわらず、上から眺めた空爆シーンだけでは涙が出ない自分がいた。
“どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が ふるえる程 大事件さ 僕にとっては♪”
“ブルーハーツ”の“NO NO NO”が頭の中にこびり付いて離れないでいた。
そうこうしているうちに母親が帰ってきた。
「早いな~今日は帰ってくるの。」
「そーか~。」秋人は生返事をする。
「今日は夕飯いるの?」
「いるよー。」
そんなことをしゃべりながら、母は夕食の支度をはじめた。駅で会ったのだろうか、しばらくして父親と弟が一緒に帰ってきた。
「なんだ全員そろうなら鍋にすればよかった、スキヤキとか。」とわけのわからないことを母が言っていた。
秋人は夕食を食べ、少しダラダラしてから風呂に向かった。下宿の人達は自分で料理して、皿洗いもして、自分で風呂にお湯をはらなくてはいけないなんて大変だなと、浴槽で顔をバシャバシャと洗いながら考えていた。風呂からあがり、ほてりを冷ましながら牛乳を一気に飲む。そしてすぐに寝る体勢にはいる。明日は一限目から授業で六時半起きなのだ。大学までは1時間50分と、下宿するほどでもないが、通うにはかなりつらい。
朝起きて味のわからないままパンを食べコーヒーを飲む。目が開いてるのだか閉じているのだかわからない状態で、歯磨きをした。七時には家を出て満員の地下鉄に乗り込み淀屋橋へ向かうのだ。淀屋橋で京阪電車の八時一分発出町柳行きK-特急に乗り換える。朝の電車は奇妙なほどに静かだ。そのおかげか、特急の中では有意義な時間をすごせる。学校の宿題をしたり、本を読んだり、居眠りをしたりとさまざまだ。
“空が曇ってきたからって~泣き言ばかり言ってんなよ~♪”
“くるり“の大好きな曲を聴きながらいろいろと考え事をしている日もある。
“僕たちはみんなー、いつでもそうです。女の子のことばかり考えている~♪”・・・。
普段は気にならないのだが、京都で飲み会があり、朝に大阪へ帰るときいつもとは違う感覚をおぼえたことがある。朝の電車の人の多さに驚き、またその静けさに強く奇妙さを感じた。どの人間の顔も死んでいた。誘導されているゾンビのように人間の集団がぞろぞろと移動していく。いつもとは違う生活リズムになって初めて気がついた。少しずれた場所に立ったり、自分がその場所から立ち去って初めて気がつくことはたくさんあるように。京阪から地下鉄への乗り換えの階段の途中で立ち止まり振り返ってみると、スーツ姿の怪訝そうな顔で歩いていた人がよけいに怪訝そうな顔で秋人をよけていった。
『おーい!生きてるか?こんなんでえぇんか?こんなもんかぁ?』
と秋人は叫びたくなったが言えるはずもなく、何度も何度もその言葉を自分の中で繰り返した。そしてすぐに秋人も人ごみの流れにもどっていった。今日もまたその人ごみの一員になっているのだ。
丹波橋、特急から普通に乗り換えるこの駅で数人の友達に会う。
「おはよー!」
「おはよう、きついな朝一は、眠すぎるわ~。」
数日前も同じセリフを誰かに言ったような気がした。それぞれに特急の中でやることがあるのだろう、特急の中ではお互いに探したりはしない。
教室に着くと見慣れた顔がそろっている。秋人は二回生後期から英会話のコースに所属している。本来の学部の授業とはかなり違い、少人数のクラスで外国人の先生から英語を学ぶ。学ぶというより英語で遊んでいるといった感じだが、学部での授業よりはずっと良い。大教室でやる学部の授業はいつもざわついている。話を聞かずに喋っているのなら教室から出るか、帰ればいいのにと腹を立てていたが、秋人自身、話し込でいた授業があるのを思い出した。恐ろしいことに自分のことは気がつかないものだ。大学に行ったことのない子が「大学生って聞いただけで頭いいんやぁって思う」と言っていたが、こんな光景を見たら度肝を抜くだろうなと思った。
少人数で毎日同じメンバーで授業をやっていると自然と名前も覚えるし、仲良くもなる。そうなると大学に着いてしまえば苦ではない。それに大学に行かなければ、バイト以外特にこれといってすることもない。お金が必要というのが大前提のはずだが、やることがないからバイトする人が多い。それでいて時間がないとわめき、いざバイトをやめてしまうと暇だと言い出す。ないものねだりの極致だ。
「“大富豪”やろやー!」
「おー、トランプ持ってきた?」
「持ってきたで、いくら賭ける?」
「いつもどおり、100円で!他にやる奴は~?」
こんな風に誰からというわけでなく昼休みの空いた時間はトランプがはじまる。そして、いつの間にか昼が過ぎ、午後の授業もいつの間にかすぎていく。授業が終われば、大阪に戻りバイトがあり、なければ昼寝か、地元の友達とフラフラしている。好きな子がバイト先にいる秋人にとってはバイトに行くことは一大事で、今日はあの子は来ているのだろうか?と、それは少しオーバーでやっぱりフラフラと遊んでいたい。こんな風に今日もまた大切な一日がだらだらとあっという間に過ぎていった。
朝からイライラしている。何があったというわけでもなく、しんどいという訳でもないのだが。学校へ行く電車の中、本を読む気もしない。活字を追うことが疲れる、理由もなくイライラする。1時間50分、何をするわけでも、何を考えるわけでもなく過ごす。秋人自身は何も考えていないつもりだろうし、普通に振舞っているつもりだろうが、周りから見ればおかしな子丸出しだ。眉間にしわを寄せ、たまに苦笑する。そしてまたより深いしわを寄せる。
いつもの場所で友達に出会い、元気よく挨拶を交わす。そしていつもの様に昼休みになるとご飯を食べ、トランプをし、午後の授業もサボることなく受けた。帰りの電車で、いつもどおりの自分を振舞えていただろうかと少し不安になった。口数が少なかったのは明らかだったが、周りにイライラまで伝えてはいなかっただろうか。“人間失格”の登場人物、“葉蔵”の言葉を借りると道化だ。あそこまで思い悩んではいないが、葉蔵に共感できるというのか、理解できるというのか、分かるところが秋人にはあった。あれこれ考え、朝以上に眉間にしわを寄せた。イライラする。イライラという言葉はふさわしくないかもしれない。歯がゆいというのか、かゆいところがわからない状態。自分の体なのにわからない、見えないところ?内臓だろうか?漠然とした何かに焦っているような、漠然とした何かに悩んでいる。こんな日は決まって地元の友達を集めて遊ぶ。遊ぶといっても何をするというわけでなく、どうでもいいような何かを話しているだけだが、秋人は地元の友達と集まると、気分が晴れ、また孤独感のようなものが薄らぐ。秋人は何かを誰かに直接的に相談することはせず、自分ひとりで考え込むところがあった。
「秋人、最近どうなん?好き言うてた子とは?」と和也。
「別にー。相変わらずやで。」
「ホンマ、へたれやなお前は!はよ動かなすぐに彼氏できてまうぞ。」
たぶん経営学の授業だっただろうか、誰に言われたのかはっきりとは覚えていないが「地球から見れば、人類が誕生して今までの歴史なんてほんの一瞬。まして一人の人間の行動なんて小さな事にすぎない、思い切って行動しよう!」と言われたのをなぜか思い出した。いい言葉だとは思ったが、そんなに大きな目で見れるわけないやろ!とも思った。
「そやなー、確かに。別れるて言うてた彼女との喧嘩はどうなったん?和也。」と秋人は話題を自分のことからそらす。
「ん?仲直りしたで。」
「やっぱな~!毎回やもんな!英明のとこは喧嘩せえへんな。」
「うん!仲良くやってるよ~。秋人も漱ちゃんもええ加減、夢ばっかりみてんと、彼女つくりや!合コン開いたんで!」と英明。
「うん・・・。」いらんお世話だと言わんばかりの返事を漱ちゃんがかえした。
「うん。分かってはおるねんけどな・・・。」
秋人は英明の言うことは正しいようにも思えた。いくら誰かのことを好きだとしても、無理なものは無理なのだ。妥協と言うと少し言葉は悪いが、自分自身も漱ちゃんも視野を広げる必要がある。視野の狭い自分を純粋なのだと言い聞かすことで満足しているのかもしれないとも思った。しかし、やっぱり、この人と決めた人意外と付き合う気にもなれないし、合コンに行く気にもなれなかった。でも彼女はほしいという感情のハザマに秋人は低回した。
「はなし変わるけど、達也とか陽ちゃんとかにも言って、また何か大きい思い出に残ることやろうや!三年前は・・・・・・」
最近こんな風に過去の思い出に話しが行くことがよくある。秋人みたいに学生だけでなく、社会人やフリーターもいることから、なかなか時間があわなくなってきていた。秋人はみんな忙しいことは分かってはいながら、なにかしっくりこないでいた。とは言っても、突然呼び出しても集まってくれる友達がいることは幸せなことだった。帰るころには今日イライラしていたという事を忘れ元気にもどっていた。
今日は二限目から授業だ。週末ということもあって朝はだいぶつらいが、明日、明後日と休みと思うと幾分足取りが軽くなった。
特急から眺める景色はいつもと少しも変わらなかった。家がたくさん目に入り、通学している小学生、中学生、高校生がいる。また通勤している人がいる。それぞれにそれぞれの生活がある。当たり前だが、秋人の知らない町に住み、秋人が歩いたことのない道を歩いている。そして、それらの場所にそこに住む人たちの思い出が散りばめられている。突然、電車を降りたい衝動に駆られた。知らない町を歩いてみたい、特に目的もなく。日本の隅から隅まで歩いてみたくなった。ロールプレーイングゲームでダンジョンのなかを隅々まで歩きたくなるように。
「あれ?えらい人が少ないな。」
教室に着いた、秋人は隣にいた友達に言った。
「ほんまやな~。」
「休講らしいで!」
そう叫びながら、ほかの友達が教室に入ってきた。
「まじでか。そんなんやったら、家で寝とけばよかった!」
家で休講と分かればうれしいが、家が遠い秋人にとっては学校に来てしまってから休講だと知らされても手放しで喜べないところがあった。
「映画行こや、秋人。三限さぼって。」
「次の授業の出席足りてるし、いいか。行こ!行こ!」
映画館に着いて時間表を見ると、開演まで一時間ほどあったので、チケットを買ってからマクドナルドで昼食にすることにした。
「てりやきのセットで。」
人間は味覚に対しては保守的というのは本当のようで、秋人は毎回てりやきバーガーだ。食べ終わるとまた映画館に向かった。そして大好きなコーラを買って自分の席へと向かう。すでに大勢の人がそれぞれの席に着いていた。薄暗い中、スクリーンの光を遮った黒い数十個もの後頭部が目の前をチラツク。こんな人の群れを見ると秋人はいつも人の出会いの不思議さを思う。こんなにも人間はいるのだが、知っているのは一緒にきている友達だけなのだ。不思議なことなど何一つないのだが、残念さのような不思議な感覚がわきあがってくる。秋人には出会いが必然なのか、偶然なのかなど分からないが、どちらにせよ、つながった人脈は大切にしていこうと強く思った。
一人で来ても孤独を感じない、数人で来ていても一人になれる不思議な二時間はあっという間に過ぎていった。映画館を出ると変な感覚が秋人を包んだ。まるで別世界に来たような、さっきまで別世界にいたような感覚だ。ふわふわとした感覚のまま秋人は歩き出した。
今日は土曜日なのにもかかわらず、朝早くに起きていた。朝一でバイトがあるのだ。秋人にしては珍しく一年以上続いている。同年代ぐらいのバイトの人間が多いし、歳は離れているが店長が子供みたいなところが理由だろう。もちろん好きな子がバイト先にいるというのも理由のひとつではあるが、何よりもこのバイト先には嫌な奴がいないことが最も大きな理由だった。
「夜暇やったら、TSUTAYAに本買いに行くの付いてきてくれん?」
ビデオ、DVD、CDの品揃えが良いそこに行くには10分ほど車を走らせなければならなかった。秋人は本を買いに行くぐらい一人で行くのだがドライブに誘う口実にそう言った。たまたまバイトの終わりが一緒だった好きな子を誘ったのだ。相手にしてみればバイト先からの帰り道に思いたって誘ってきたと思うかもしれないが、秋人はバイトが終わる一時間ぐらい前から誘うかどうか悩んでいた。もし日本ヘタレ選手権があれば秋人は間違いなく上位に入賞するだろう。
ただTSUTAYAに行くだけなのに秋人は夜になるのが楽しみで仕方なかった。いつもそんなに時間にきっちりしたほうではないが、待ちきれずに今日は待ち合わせの時間より早めに家を出た。ほとんどバイト先の制服姿しか見たことがないが、私服だといつもよりいっそう可愛く見えた。そんなことは口にできなかったが。
ブレーキを踏む足が、ハンドル操作がいつもより上手くいかない。慣れているはずの親の車で、慣れている道にもかかわらず緊張していた。
“ジョゼと虎と魚たち”を最近読み終えたばかりだったせいだろう、もしこの子の足が不自由になったとしても、自分は子のこのことを好きでいるのだろうかと馬鹿げた縁起でもないことを考えていた。そんなことを考えながら運転していることも、その子の今日の服装も、TSUTAYAまでの道でその子が笑ったその場所、その日かけていた音楽も秋人は一生忘れないであろうこともその子は知らない。
せっかく車を出したのにこのまま帰るのはもったいないということで、ドライブがてら遠回りで帰ることになった。少し道はそれるが海が見える場所によった。自動販売機でジュースを買って、少し歩いてから腰を下ろした。潮の香りが漂うそこで、なんでもない話をした。すごく好きな相手がいるらしい・・・。だが、その相手には彼女がいる。もやもやした、明らかにプラスではない感情が腹の中でうずまいていた。もうすでにしまっている近くの水族館の中からオットセイの悲しそうな鳴き声が響いていた。