真相編
郷原忠柾邸の青々と茂る庭を前に、朝美千代は僅かに顔を顰めた。殺人事件の現場に招かれたら、誰だって似たような反応をするだろう。立ち話の相手が現役の推理作家であればなおさらだ。
「あそこに、オリバーの墓石があります。笠井さんと春樹くんで埋葬したそうですよ。『Oliver, Rest In Peace Here』と刻まれています」
流暢な発音で述べながら、吾妻鑑は前方を示す。千代はそよ風になびく髪を片手で押さえながら、「そうですか」とだけ答えた。
「オリバーは、あなたのお宅で飼っているロビンと仲が良かったと春樹くんが証言しています。春樹くんもまた、オリバーによく懐かれていたようですね」
「ええ。あの子は不思議と動物に好かれるんです。優しいからかしら」
「きっと、そうなのでしょうね。オリバーが事件に巻き込まれたことも、彼は非常に悲しんでいました。オリバーのためにも、もちろん郷原氏のためにも一刻も早い真相解明を望んでいるようです」
「それは、私たちも同じ想いです。ですが、笠井さんからはまだ何の報告も受けていませんの。吾妻先生には調査を内密で頼まれていらしたようですけれど、何か進展があったのですか」
「ええ。今日は、その報告のためにあなたをここへ呼び出しました。折角なので、オリバーにも聞いてもらおうと思いましてね」
大股で墓石へと向かう推理作家の背中に、千代は鋭い眼差しを送る。郷原忠柾の愛犬が眠る御影石には木漏れ日が降り注ぎ、頭上を覆う木々の間を風が通り抜けた。
「事件のおよその概要は、あなたもご存知でしょうが、ここで一度時系列を簡単に整理してみます」
「時系列?」
「ええ。まず、郷原氏が強盗殺人犯と不運にも遭遇するきっかけとなってしまった、イギリス出張の話から始めましょうか。
去る三月十三日の日曜日、郷原氏は市内のペットサロン『ルポゼ』にオリバーを一週間の期限で預けました。当初の予定では、三月十九日土曜日の午前にオリバーを引き取りに行くつもりだったそうです。そして氏は、三月十四日の月曜日からイギリスへと飛んだ。
悲劇が起きたのは、帰国予定よりも一日早い、三月十八日金曜日のことです。氏は、イギリスで仕事をしていた宝石商の急な都合により帰国を一日早めざるを得なかった。そのために、土曜日の早朝だった帰国を金曜日の夜に変更したのです。これが、氏と殺人犯にとって最悪の巡り会わせとなってしまった。
犯人は、氏のイギリス出張を予め把握していたのでしょう。ですが、その予定が狂ってしまうことまでは予想できずに、金曜日の夜、氏の邸宅にて盗みを決行した。ちなみに、この時点でオリバーはまだ『ルポゼ』に預けられたままです。
医師の死亡診断書によると、郷原氏の死亡推定時刻は十八日の夜十時三十分前後だそうですが、幅をとって十時から十一時の間と仮定しましょう。犯行時刻も同様です。犯人が氏の別の場所で殺害してこの屋敷に運び込み、強盗犯の仕業と見せかける細工をした、という説も可能性としては考えられます。ですが、現場にそのような小細工を施した形跡は残っていませんでした。ここでは一旦、その仮説は横に置いておきましょう」
物体を両手で脇に置くような仕草をして、推理作家は咳払いをする。
「犯人は、一階のコレクションルームに庭と面している唯一の窓があることを知っていた。郷原氏が個人的に収集しているジュエリーの品々が収められている部屋ですね。そこから窓を割って部屋へと侵入したと考えられます。部屋には氏のコレクションが収納されたガラスケース棚の他に、仕事で取引を行っている品が金庫に保管されていました。さすがに金庫破りの手段は有していなかったのか、まあ理由はいいとして、犯人は手っ取りばやく手がつけられるガラスケースの品を盗みに入ります。意外ですが、郷原氏はガラスケースに何の防犯対策もしていなかったようですね。コレクションルームの出入り口には二重のロックが掛けられていましたが、まあこの辺りは人気も少ない閑静な住宅街ですからね。油断していたといえばそれまででしょう。
何にせよ、犯人は順調に目的の品を盗みとんずらできるはずだった。だが、帰国を一日早めて帰途に着いた氏と部屋で鉢合わせをしてしまう。犯人がとった行動は実にシンプルなものでした。このまま主が犯行を見逃してくれるはずもない。顔だって見られているし、何より犯人は郷原氏と面識のある人物だったのですね。手近にあったアフロディーテの像を手に、氏に襲いかかった。唯一の目撃者の口封じをした犯人は、ガラスケースから総額三百万円――これは笠井さんから伺った被害総額です――のダイヤモンドのジュエリーを頂戴し、窓から脱出した。
ですが、犯人に二度目の不運が訪れる。庭先で、氏の忠実な名犬であるオリバーに見つかってしまったのです。賢い彼は、主に何らかの異常事態が発生したことを直感したのかもしれません。犯人に吠え付いたか、あるいは噛み付きでもしようとしたのか。とにかく、犯人はここで第二の犯行、いや、第三の犯行を重ねてしまう。盗みを働き、郷原氏を殺害し、そしてオリバーの命まで奪い去った。あまりに非情な行為です」
吐き捨てた吾妻に、千代は初めて「そうですわね」とだけ口を挟んだ。
「ここまでが、私が想像する一連の犯行の流れです。これだけを聞くと単純な強盗殺人事件と言えるのでしょうが、突き詰めていくと様々な疑問が残されていることに気がつきます」
「疑問?」
「ええ。順に説明しましょう。
まず、先ほども話したオリバーの一件。本来ならば、オリバーは事件の次の日、十九日に飼い主である郷原氏が引き取りに向かうはずだった。だが、氏は十八日に強盗に襲われ帰らぬ人となる。つまり、十九日に自宅へと戻るはずであったオリバーが、何故一日早い事件当夜にこの邸宅にいたのか。これが第一の疑問です。第二の疑問は、朝美家のロビンのこと」
「ロビン? ロビンが一体何か」
千代は怪訝そうに眉を顰めて、長身の吾妻を見上げる。
「春樹くんによるとですね、郷原邸の事件後からロビンの様子がおかしいというのです。妙に元気がない、散歩をあまり好まなくなったと」
「それは、オリバーの一件で落ち込んでいるのでは」
「ごく自然な発想です。ですが、通りすがりの推理作家の想像よりも、長年オリバーを近くで見ている彼の証言に信憑性があることは否めません」
「春樹は、何と?」
「彼は、ロビンの不調はオリバーの死と何らかの深い繋がりがあるのではないか、と推理しているようです」
「あなたの影響を受けたのかしらね。そういえば、家でもやたらに『吾妻さんが』と口にすることがありますわ」
皮肉めいた千代の言葉を、当人はどこ吹く風といった顔で「そうですか」とかわす。
「とはいえ、私も最初から鵜呑みにしていたわけではありません。推理の過程において、感情論で動いたり直感などというものを信用したりする行為は極めて危険です。誤った推理が、誤った事実を作り上げてしまうこともありますからね」
「推理作家さまが言うと重みがありますわね」
「それはどうも。最後に第三の疑問ですが、これまでの話をお聞きになって、あなたも感じられませんでしたか」
「何を、でしょうか」
「私もちらとお話しましたが、やはり郷原忠柾ともあろう敏腕宝石商にしては、屋敷のセキュリティが杜撰だとはお思いになりませんでしたか」
「確かに、それはそうですけれど。ですが、実際には強盗に入られているのですから何を言っても後の祭りではないかしら」
「おっしゃる通りですね。しかし、職業柄か私はどうにも納得がいかなかった。そして今日、やっと合理的な理由をこの謎につけることができるのです」
芝居がかった調子で両手を広げてみせた男を、千代はまじまじと見やる。
「何なんですの。その合理的な理由とは」
「そうですね。では次に、三つの疑問に対する解答編に移りましょう」
「最初に、こちらを見てください。あなた、この男をご存知ですよね」
吾妻がジャケットの内ポケットから取り出したのは、一枚の写真である。青髭を生やし、虚ろな目で正面を見つめる細面の男。
「五十嵐、剛さんですね。忠柾さんが殺された日の夜、私は彼と食事をしていました」
「ええ。あなたのアリバイを証明してくれた男です。実は、この五十嵐に逮捕状が出ていましてね」
「逮捕状――何故、彼に?」
驚いたように両目を見開く千代に、低い声が答える。
「罪状は、詐欺罪です。インターネットのショップサイトで、偽のダイヤモンド品を転売した疑いがあると」
「ダイヤモンド? まさか」
「ええ。この郷原邸から盗み出された、総額三百万円と推定されるダイヤモンドのジュエリーです」
「どうして、彼がそんなことを」
信じられないというように首を左右に振る女性に対し、推理作家は写真を懐に戻しながら平静な声で返す。
「もうひとつ、あなたに報告しなければならないことがあります」
「何ですの」
「直に、こちらの屋敷にも警察が到着します。県警の刑事たちが逮捕状を携えて」
「ここにも? 何故です」
「問うまでもないでしょう。あなたに逮捕状が出ているからです。五十嵐剛に詐欺の罪を被せ、郷原邸に侵入し、そして郷原氏とオリバーを殺害した。すべては朝美千代さん、あなたの犯行だ」
断言する低音に、千代は双眸を大きく見開き絶句する。
「どういう意味です。私がすべての犯行を? 何故そんな」
「理解していただけないようですね。では、県警が押しかけてくる前に私が説明しましょうか。とはいっても、すべては私の推測にすぎませんがね。
まず、あなたは兼ねてより企てていた郷原邸での強盗計画の一端を、五十嵐に持ちかけたのではないですか。自分が実行犯で、お前はただ少し手伝ってくれたらいいと。あなたが五十嵐に命じたことは、自分のアリバイ作りを手伝うことだった。五十嵐は、自分が働いている居酒屋の裏口をあなたに教え、そこからこっそり抜け出すことが可能であることを知らせた。そして、あなたは三月十八日当夜のアリバイをいとも簡単に成立させたのです。五十嵐が勤務している店は客が入る個室や裏口には監視カメラを設置していなかったので、最初と最後に店へ出入りした姿をカメラに映し、五十嵐や他の従業員の証言さえあればさして怪しまれることもなかった。共犯である彼が口を割らない限りはね。
次に、まんまと店を後にしたあなたは、郷原邸へと訪れる。郷原氏の個人的なコレクションを収める保管室が一階にあることを知っていたあなたは、窓からやすやすと侵入に成功し、ガラスケースの中にあったダイヤのジュエリーに手をつけた。金庫破りの時間までは確保していなかったのか、あるいは技術不足だったのか、ともかくあなたはそのまま邸宅を退散すれば良かった。だが、幸運の女神はあなたを見放しました。郷原氏が予定を繰り上げて帰宅し、あなたを目撃してしまったのです。
さらに、先でもお話したように、氏を殺害後、今度はオリバーに足止めを食らってしまった。泣く泣く主の愛犬を手にかけたあなたでしたが、そこでとんでもない事実に気がついてしまう」
「とんでもない、事実」
「あなたが命を奪ったゴールデンレトリバーは、オリバーではなく朝美家の可愛い一員、ロビンだったのです」
「そんな――そんなこと、ありえません。ありえないわ」
力ない口調で囁いた千代に、吾妻は冷ややかな目を向ける。
「その事実を知ったとき、あなたはさぞや戸惑ったでしょうね。何故ロビンが郷原邸にいるのかと。しかし、真相は至って単純だった。あなたは、五十嵐と居酒屋に入店し、裏口から脱出した後、一度自宅へ戻ったのではないですか」
「何故、それを」
「そう仮定することで、ロビンが郷原邸にいたことの説明がつくからですよ。
あなたが一旦自宅へと戻った理由は定かではありませんが、犯行に使用する道具を忘れただとか、まあそんなところとしておきましょう。幸い、あなたが戻ったとき朝美一家は全員不在で誰に気付かれることもなかった。そしてあなたは、その後自宅から徒歩でも充分に移動可能な郷原邸へと向かう。だが、この行動こそが命取りとなってしまった。あなたにとっても、そしてロビンにとっても」
「どういうことです。まったく理解ができませんわ」
「簡単なことです。ロビンは、郷原邸へ犯行に向かうあなたの跡をついてきたのですよ。信じがたいことですがね」
罪を告発された千代は、ただ呆然と立ちすくむだけである。だだっ広い屋敷の庭で、推理作家の重たい声だけが事件の全容を淡々と述べていく。
「ロビンにリードがつながれるのは日中だけで、夜小屋の中で眠っているときは付いていないそうですね。その習慣も災いしました。郷原邸へと向かう主の跡をつけていたロビンは、唯一の犯行の目撃者となってしまったのです。
郷原氏がオリバーをサロンへ預けていることまでは、あなたもさすがに知らなかったようですね。庭で鉢合わせしたロビンを、オリバーと間違えてしまった。暗がりであるために、首輪での判別ができなかったのでしょう。そして、目撃者を亡き者にした後に知った。自分がとんでもない過ちを犯してしまったことを。
あなたは考えた。ロビンをこのままにしておくわけにはいかない。家族に当然怪しまれますからね。そこであなたは、ようやくペットサロンの存在を思い出したのでは? もしや、あそこにオリバーが預けられているのではないかと。そして、半ば強引な撹乱計画が始まった。
十八日の夜十時から十一時の間に忠柾氏を殺害し、ロビンの命を奪ったあなたは、まずその足でペットサロン『ルポゼ』へと向かった。もちろん、朝美千代とは分からないようにそれなりの変装をしてね。そして、偽名を使い『郷原氏に頼まれた』と偽りサロンからオリバーを引き取った。そのままオリバーを連れて屋敷に戻ると、ロビンとオリバーの首輪を付け替えたのではないですか。いわゆる、被害者交換というやつですね。推理小説では定番の手法だ。ロビンもオリバーも、首輪でしか見分けをつけられないくらいにそっくりのゴールデンレトリバーだったがゆえに成し得た作戦です。その後、一家が寝静まったタイミングを見て帰宅。オリバーをロビンとして犬小屋で寝かせた。あなた以外の家族は、まさか一夜で飼い犬が他の犬と入れ替わっているなどと想像もしないでしょうから、朝犬小屋にいたオリバーを見ても気付くことはなかった。彼が、ロビンではなく忠柾氏の愛犬だとはね。
だが、一見成功したかに思えた犯行を怪しむ人物がいた。あなたの弟である、優秀なワトソンくんです」
「ワトソン?」
「ああ、いえ。私と彼との綽名のようなものです。まさかロビンとオリバーが入れ替わっているとまでは見抜いてはいなかったようですが、春樹くんはしっかりと違和感を覚えていました。そこへ都合良く、推理作家が朝美家を訪問したわけです」
おどけたように両の肩を上げてみせた吾妻に、千代は恨みがましい視線を突き刺す。
「仮に、ロビンとオリバーが入れ替わっていたとして、それを私がやったという証拠はありますの? そもそも、二匹が入れ替わっているなんてどうやって分かるのですか」
「あなたは、万が一のことを想定してその証拠を処分しましたね。ですが、残念ながらワトソンくんがばっちりその証拠を手に入れてくれました」
「何のことです」
噛み付くように詰め寄る千代に、吾妻は一枚のコピー用紙を突きつける。紙の上部にはCERTIFIED PEDIGREEと印字され、すぐ下には「国際公認血統証明書」の文字。
「犬を購入したときには、飼い主の希望によって血統書を付けることができます。ただし、この血統書はどの犬にでも発行できるものではなく、いくつかの条件を満たしている必要がある。ロビンにも、血統書が付いていたはずですね。春樹くんが覚えていました。ですが、いくら自宅を探しても見つけることはできなかった」
「さあ。血統書なんていただいたかしら。私は覚えていませんわ」
「血統書を処分しさえすれば、そう言い訳できるとあなたは考えたのでしょうね。ですが、ロビンを購入したペットショップが、血統書のコピーを保管していることにまでは気が回らなかったようだ」
千代は小さく息を呑む。吾妻の骨ばった指が、血統書のコピーをトントンと叩いた。
「血統書には、DNA登録番号というものが記録されています。人間のDNA鑑定と同じですね。推理小説や刑事ドラマにおいて、DNA鑑定が事件解決の重要な証拠になることはご存知ですよね? このロビンの血統書に登録されているDNAと、今朝美家にいるゴールデンレトリバーのDNAを比較すれば結果は一目瞭然です。朝美家にいるゴールデンレトリバーがオリバーであると断定すれば、第二の疑問は解かれます。そもそも、彼はロビンではなかったのですからね」
「そう――そうかもしれません。ですが、それと私を結びつける決定的な証拠はあるのですか。私を犯人と決め付けるには、いささか証拠能力が弱くては?」
「ええ。勿論これは、あくまでひとつの根拠にすぎません。あなたが今回の事件に関わっていると証明するには、第三の疑問を紐解く必要があります」
「第三の、疑問」
「郷原邸のセキュリティ問題です。そもそも、保管室のセキュリティがあれほど甘くなければ、今回の事件は起きずに済んだのかもしれない。ですが、あれは本当に郷原氏が単にうっかりしていただけなのでしょうか」
「あなたは、その謎に合理的な理由をつけることができると、おっしゃっていましたわね」
「ええ。この謎には、三月二十四日に起きた件の詐欺事件が関係しています。五十嵐剛が、インターネットのショップサイトで偽のダイヤモンド品を売りさばこうとしていた、という事案ですね。
五十嵐を共犯者に選んでいたあなたは、ダイヤを強奪後、そのダイヤで一儲けを企んでいた。そして、その分け前を五十嵐にも与えようという計画だったのではないですか。しかし、何らかのきっかけでそのダイヤが実はまったくの偽物であることを知ってしまったのです。おおかた、買取専門の店で査定してもらった結果で判明したというところでしょうか。念には念を入れて、一品だけ持ち込んで確認したのかもしれません。ですが、まさか本当にダイヤが紛い物だとは思っていなかった。そして、この事実こそが郷原氏が保管室のセキュリティを疎かにしていた理由になるのです」
「まさか、最初から盗まれることを前提に――」
瞠目する千代に、推理作家は悠然と首を縦に動かす。
「では、何故彼はそのようなことをしていたのか。散々思考した末、私はある考えに至った。そして、その考えを立証するために、警察に応援を頼みました」
「ある考え?」
「巡り合せとは、実に数奇なものですね。彼の一見奇妙にも思える行動は、二年前に私が彼と出逢ったときから既に計画されていたことだったのです」
「二年前?」
「そう。二年前、郷原氏が経営するとあるジュエリーショップに強盗が押し入った事件、ご存知ですよね」
「そのようなことを、聞いた気もするわ」
「随分と曖昧な発言ですが、あなたははっきり記憶しているはずです。あの強盗事件の犯人は、『朝美千代に入れ知恵をされた』と告白したのですからね」
「二年前の強盗事件を、私が?」
千代は吾妻の発言をせせら笑い、栗毛の頭をゆるゆると振った。
「まったく可笑しな話ですね。何故、私がそんなことを」
「郷原氏が館のセキュリティをわざと手抜きにしていたのは、あなたを館におびき寄せ、真相を糾問するためだったのです」
「おびき寄せる? 何のために」
「二年前の事件に、あなたが関わっているのではないかと睨んでいたためですよ。残念ですが、関係者からも証言が得られている」
「関係者って、その強盗事件の犯人が?」
「ええ、その犯人は勿論ですが、あなたの旦那からも貴重な情報を入手しました」
「夏彦さんから?」
疑義の色を浮かべた千代の両目を、吾妻の鋭い眼差しが見据える。
「正確には、まず笠井秘書の証言がきっかけでした。彼は、生前の郷原氏が夏彦さんらしき人物と電話で話をしているところを聞いていたのです。会話の中には、『せいぜい朝美家の名に泥を塗らぬように』というような言葉も出てきたと、笠井秘書は覚えていました。
夏彦さんに確認したところ、渋々ながらも認めてくれましたよ。彼が郷原氏と交わした話の中身は、『朝美家の中に泥棒猫が潜んでいるかもしれない。せいぜい、朝美家に汚名を注がぬようにすることだな』。郷原氏は、朝美家の中に盗人がいることを示唆していたのですよ。夏彦さんも、随分と頭を悩まされたみたいですね。よもや、自分の嫁がその泥棒猫などとは、信じたくもなかったでしょうから」
「すべて憶測ですわ」
「二年前の強盗犯も、そして今回の五十嵐剛も、あなたに唆されて手を貸したと自供しています。言い逃れをするには、ちょいと厳しいところがありますがね」
「彼らが、私を嵌めようとしているのかもしれませんわ。その二人が共通して知っている人間で、なおかつ忠柾さまに関係している私を利用して、罪を逃れようとしているのかも」
「――それは違うよ、姉さん!」
栗色の髪を乱し、千代は勢いよく背後を振り返った。息を切らし膝に両手をつく弟の姿を、当惑の面持ちで凝視している。少年は息苦しそうに「それは違う」と繰り返した。
「もう、言い訳なんてしないでよ。忠柾さんも、ロビンもこのままじゃ可哀想だ。夏彦さんだって、こんな姉さんは見たくないはずだよ」
「春樹、あなたどうして」
「県警の人に、パトカーでここまで乗せてきてもらったんだ。車の中で、盗聴器を聴いていた。吾妻さんがジャケットの中に仕掛けてくれていたんだよ」
黒いジャケットの内側をちらと捲り、肩を竦めてみせる推理作家。千代は長い息を吐き出すと、無言で髪を掻きあげる。
「最後にもうひとつ、証拠を挙げましょうか」
「何ですか」
苛立たしそうにくってかかる千代に、吾妻は血統書のコピーに続きメモ用紙程度の小さな紙を顔の横に掲げた。
「これは、『ルポゼ』に残されている、引き取り確認書です。預けていたペットを飼い主が引き取る際、署名をすることになっているそうです。そしてこれは、郷原氏の知人と称した女性が、オリバーを引き取ったときに残した署名――お分かりですよね。あなたの筆跡と照合すれば、動かぬ物証になるとは思いませんか」
決定打だった。八方塞となった罪人は、音もなく芝生の上に崩れ落ちる。肩を震わせ静かに咽ぶ犯人を、ホームズとワトソンは黙って見下ろしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
拝啓 吾妻鑑さま
ご無沙汰しています。朝美春樹です。吾妻さん、お元気ですか?
忠柾さんの事件に関して、姉はすべてを警察に自白しました。二年前に起きた、忠柾さんが経営するジュエリーショップでの強盗事件も、姉が大学時代の同級生をそそのかして実行させたのだそうです。
正直、まだ僕の中で上手く整理ができていません。それは僕に限らず、両親も、夏彦さんも同じです。特に、母は相当なショックを受けています。精神的に不安定で、時々精神科の病院に夏彦さんの付き添いで通っています。父は、姉に対してどのように接すればいいのか分からないみたいで、未だに姉との面会ができていない状態です。
僕は、姉が逮捕されてからもう一度、ロビンのお墓に行ってきました。笠井さんに頼んで、墓石の文字をロビンの名前に替えてもらいました。そのときは、オリバーを一緒に連れて行きました。
お墓に手を合わせながら、とても複雑な気持ちでした。真実が明らかになって、忠柾さんもロビンも、報われたんじゃないかと思います。けれど、もし姉が逮捕されないままだったら、両親や夏彦さんがあんなに苦しむ姿を見ることも、もしかするとなかったんじゃないかって。僕が吾妻さんに頼んだことは、本当に正しいことだったのか。今でも、その疑問に答えを出すことはできていません。
けれど、僕の家で捜査会議をしたとき、吾妻さんはおっしゃっていましたよね。一度事件を調べると決めたら、最後の真相まで見届けることが、事件を追う者の責任だと。
姉は、これから自分が犯したことに対する責任をとっていくことになります。決して、社会的にも道徳的にも、許されることではありません。そして、姉の責務は間違いなく、僕がきっかけとなって発生したことなのです。僕が望んだ「事件の解決」は、つまり姉が自身の罪を償うということです。
だから、僕は真相を受け止めなければいけない。現実から、目を逸らしちゃいけないんですよね。
僕は、これから僕にできることを、精一杯行っていきます。母を、父を、夏彦さんを、僕がしっかり支えます。僕が姉の代わりになるの、それはちょっと不安だけれど。
そして、唯一の家族を失ってしまったオリバーを、第二の家族として朝美家に迎えることになりました。オリバーも、きっとまだ辛いだろうと思います。オリバーが少しでも朝美家に慣れてくれるように、ロビンと同じように可愛がっていくつもりです。
最後に――僕は、今でも姉のことを嫌いにはなれません。確かに姉は間違ったことをしてしまったけれど、それでも、僕にとっては大切な家族です。今まで朝美家に光を注ぎ込んでくれていた、僕の自慢の姉です。
だから、僕は信じています。いつか、罪を償って更生した姉が、朝美家に戻ってくることを。前のような生活が、いつかできるようになることを。姉の笑顔が、再び目にできることを。
吾妻さん。
吾妻さんが事件を解決してくれて、良かったです。事件のことを調べているとき、正直ちょっとわくわくしていました。不謹慎かもしれないけれど、吾妻さんが本当に小説に出てくる探偵みたいで、かっこよかったです。
僕、吾妻さんが書いた本をこの前初めて買ってみました。この本の中にも、吾妻さんのような名探偵が出てくるのでしょうか。楽しみに読んでみますね。
姉の件では、本当にお世話になりました。ありがとうございます。
そして、これからも、吾妻さんのご活躍を心より応援しております。
敬具 朝美春樹




