八
「酒宴とは、たくさんの人たちが舞い踊って、お酒を飲む場のことです」
「だから、さっきのあの場には女も酒も用意してあっただろう」
「でも、楽しくありませんでした。楽しいのが酒宴なんです」
「あの領主は楽しげであったぞ」
「楽しそうと、楽しい、は違います。本物の宴は、私たちが帰るときに始まったものの方です」
「本物と偽物があるのか。宴とは複雑なものよ」
馬の背に揺られながら、二人は長々とくだらない言い合いをしている。
空には満天の星が煌めいていた。
木々の間を通り抜ける風は冷たく、前後に寄り添っているのがちょうどいい。
「言うのが遅くなりましたが、来てくださって、ありがとうございました」
「我が美和にしてもらったことを考えれば、これくらい」
なんでもない、と後ろから抱く腕に力を籠められる。美和は、心臓が焚火の中に入れた竹のように爆ぜた、かと思った。
「迷惑料に美和用の着物をくれるとは、あの男、なかなかもののどおりをわかっておる。星明りの下でも、そなたが輝いて見えるぞ」
至近距離で微笑まれ、美和の頬に血が上る。今まで、人の顔の美醜にこだわりはなかったはずだ。が、竜神こそとても綺麗に見える。
「わ、私は、いつも通りの私です」
頭がうまく回らなくて、いつものようにうまく切り返せない美和に、「そうか?」と首を傾げる竜神は、とても優しい声だ。
「……竜神様……」
「なんだ」
虫の合唱。土を踏む蹄の音。背中に感じる鼓動。耳元に聞こえる竜神の呼吸。わざわざ村から駆け付けて、美和を守ってくれた人。
今まで、そんな人はどこにもいなかった。いるとも、思わなかった。
竜神はたった一人。美和に恋心を寄せてくれた人。好ましいと、言ってくれた人。
「名を呼ばれた気がしたが。気のせいか」
竜神の声がする。視線をさまよわせた美和は、ぽつりと呟いた。
「まだ、お帰りになりませんよね……?」
この気持ちの正体が、あと少しでわかりそうな気がする。引き留める力が、美和にあるとは思えないけれど。まだ、竜神にそばにいてほしい。
「我はまだ、酒宴というものがわかっていないそうだからな。美和がそれを開いてくれるまで、我はあの家に住むぞ。いいな」
いいな、と決めつけておきながら、見上げると、その瞳は不安げに揺れている。
美和は思わず吹き出した。
竜神が人でないのは明らかだ。本当は、崇め奉った方がいいのかとも思ったけれど、あまりにも竜神がいつもと同じなので、美和は態度を改めるに至らない。
「そうだ。贈り物もまだしておらぬ。どうだ、その目の色を変えて見せるか? 領主の館では、散々な目にあったのだろう。嫌なものになっているのではないか?」
竜神の心配そうな声に、美和は微笑んだ。
「私の目は、このままが良いです。目の色ひとつ変わったところで、今さら村に帰りたいとは思いませんし、何より、竜神様の鱗と同じ色でしょう? お揃いですね」
途端に、竜神がこれ以上ないほどの上機嫌になった。ぎゅうぎゅう美和を抱きしめて、「揃いとは、嬉しいものだな」と囁いてくる。
喜んでくれる相手がいる。子供たちに対するのとは違うその嬉しさに、美和はおずおずとその大きな手に、自分の手を重ねた。
そこに。
「おい、後ろの二人。俺がいるのを忘れるな。聞いていて耳がかゆくなる」
とげとげしい声に、美和と竜神は目を瞬かせた。
目の前の馬に揺られるのは、希旺だ。領主宅まで竜神を案内し、事が済むまで待っていてくれた。
正直、忘れていた美和は顔を真っ赤にし、竜神は甘い空気を壊されたと立腹した。希旺と竜神の言い争いが始まる。
美和は首をすくめて、しょうもないやりとりを聞いていた。その間も、宝物を扱うように、竜神が美和を抱きかかえてくれていることが、何より嬉しい。
やがて、明かりの灯った小屋が見えてきた。
子供たちの影が、遠くで手を振っている。
美和は振り返ると、希旺に対して目を吊り上げている竜神の手を、そっと引いた。竜神は美和を見下ろす。美和は微笑んだ。そして、少年たちを指差す。竜神は目を細めた。
「ただいま、だな」
「はい」
答えた美和の声に呼応するかのように、風が二人の髪を揺らした。
愛しい我が家まで、あともう少し―――。
【了】
≪おまけ≫
「美和、美和」
「なんですか」
「美和、こっちを向け。縫物をする手を止めよ。我が話しかけているのだぞ」
「よし、できた。はい? 何か用ですか?」
「うむ。これを見よ」
「……蛇の抜け殻ですね」
「そうだ! 我も、人の皮を脱いだら、このように干からびた殻が残るのだろうな!」
「……竜神様の干からびた姿など怖くて見たくありません」
「美和ならそう言うと思っておったぞ。我はこうして身の詰まった、生きのいい姿が最良と言いたいのであろう。我も美和のことがわかるようになってきた。旦那の鑑だな。うむ」
「私たち、いつ婚儀を上げましたっけ……?」
「そういうわけで、これを美和に進呈する」
「は」
「我の脱皮したものをやるわけにはいかんからな。本来の姿では今のように、美和に触れ、話をすることができぬ。まだしばらくは、我は美和と、こうして膝を並べて一緒にいたいのだ」
「竜神様……ありがとう、ございます」
「美和の照れた顔は、可愛いな。困った顔が秀逸と思っていたが、それ以上だ」
「そんなこと考えてたんですか」
「美和、顔が怖いがどうした?」
「……いえ。あの、竜神様」
「なんだ」
「珍しくもな、いえ、使い道のない、いえ、そうじゃなくて、えーと」
「なんだ、歯切れが悪いな。そんなに蛇の抜け殻に感動したのか」
「興味深いものをいただいたお礼に、こちらを差し上げます。贈り物交換です」
「ん? 今できあがったばかりの縫物か?」
「私の涙の真珠を領主様が返して下さったので、それを売ったお金で生地を買ったんです。竜神様、うちにある着物は着心地が悪そうにしていらっしゃるから」
「……この布、今着ているものよりずっと、手触りがいい」
「はい。絹とまではいきませんが、丁寧に仕事されたものです。ちくちくしないでしょう?」
「ああ……似合うか」
「お似合いです。着心地はどうですか」
「良い。……美和」
「きゃっ、りゅ、竜神様? どうされました?」
「我は美和に優しくされると、胸が苦しくなる。我は美和の優しさに触れるたび、おのれの器の小ささを思い知るのだ。美和は常に相手のことを考えているのに、我は自分のことばかりだ。嫌になる」
「そこまで大げさに考えなくても……」
「考えさせてくれ。我が、美和に優しくできるように」
「……はい」
頬を染めた美和は、力強い腕に抱きしめられたまま、その胸に顔をうずめた。
「俺たち、いつ出ていけばいいと思う? 腹減った、翔宇」
「みちゃ、だめ。ごはん、つくろ? 砂仁」
「わーったよ。あーあ、雄大、元気かな」
【了】
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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