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「こんにちは、美和」

 家の中で機織りをしていた美和は、聞き慣れた声に顔を上げた。

 午前中、子供たちは遊びに出かけた。昨夜の「恋とは」云々を蒸し返されなくてよかったと、こっそりほっとしていた美和だ。

 戸口に立っていたのは、美和の親友だった。美和と同じほどの背丈に、たれ目の甘い容貌。村でも可愛いと評判の娘だ。

那津(なつ)。いらっしゃい」

「これ、おすそわけ」

 那津が差し出した籠の中には、柿が六つも入っている。美和は瞳を輝かせた。

「こんなに、いいの?」

「いいのよ。今年はたくさん実がついたから。干し柿にしたら、きっとおいしいと思うわ」

 そう言って、那津は美和に籠を押し付けた。ありがたい差し入れだ。干し柿は、子供たちの大好物なのだ。

 礼を言って柿の実を土間に置くと、那津は心配そうに眉根を寄せた。

「それより、変な人が来たって聞いたわ。大丈夫なの?」

 唐突な質問に、美和は噴き出した。

「変わっているけど、悪い人じゃないと思うから、大丈夫」

 事実、危害を加えられたことはないし、こちらが心配してしまうほどにものを知らない。その割には偉そうで、すれたところがない。

 もしかしたら京の都にいるという殿上人が、何らかの理由で都落ちしてきたのでは、と思い始めているところだ。

 那津は困ったようにため息をついた。

「怪我した山賊をかくまってた美和に、大丈夫って言われてもねえ。あの時は、本当に胆が冷えたわ。よく村の人に知られなかったわよねえ」

「ここはほら、外れにあるから。それにあの山賊さん、顔は怖かったけど、根は悪くなかったもの」

 肩を竦める美和に、那津はその背を強くたたいた。

「痛い」

「子供たちといい、通りすがりの人といい。あんたがすぐに人を拾ってしまうのは、境遇もあるから仕方ないとは思うけど。少しは警戒心を持ちなさいよ」

「……うん、わかってる」

「私と同い年なのに、毎日躍起になって働いて。どこの誰とも知らない子供たちの面倒を見るの、大変だと思うのよ。でもね、あんたはまだ」

 いつもの那津のお説教が始まりそうだ。美和は慌てて話を遮った。

「私のことより、那津のことを聞かせてよ。弟とは、ちゃんとうまくいってる? 村長にはもう言ったの?」

 途端に、那津は両手で頬を挟んで、はにかんだ。

「まだ秘密。稲刈りがひと段落したら、挨拶に来てくれるって約束してるの。太郎さん、稲刈りの時期はあちこちで頼りにされるから、自分のことは二の次だって。希旺(きおう)さんと張り合ってるみたい」

 美和は微笑した。

「へえ。あの太郎がねえ」

「太郎さん、人気があるのよ。でも、お義母さんが厳しい方だから、釣り合わないって言われるんじゃないかと不安なの。私、美和のようになんでも器用にこなせないから……」

 美和は俯く親友の肩を、優しく抱きしめた。

「私が何でもできるのは、ここには頼れる人がいないから。でも、那津には太郎がいるわ。助け合って生きていけばいいのよ」

「親友がお義姉さんになったら、変な感じね」

「びしばし小言を言ってあげるから」

 美和と那津は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

 そこに。

「よう」

 低い声が聞こえてきた。

 顔を上げると、畑の向こうから背の高い青年がこちらに近づいてくるところだった。

 歳は十八。意志の強そうな眉に切れ長の目、引きしまった体にまとうのは、狩猟用の毛皮だ。村一番の人気者は、美和の小屋に訪れる数少ない村人の一人だ。

「希旺、こんにちは」

 美和が挨拶をすると、軽く手を上げて応えた。そして、二人の少女の目の前に立つと、

「猟の日だったから」

 青年が腕を突き出す。その手には、二羽のウサギがぶら下がっていた。

 美和はウサギを受け取りながら、那津と希旺を見比べた。

「ありがたいけど……勝手に持ってきたのではない? 前回、那津に聞いたわ。村長に怒られたんでしょ。獲物は村の人間で分けるべきだって」

 那津は気まずげに希旺から目を逸らした。希旺は一瞬だけ那津に視線を走らせた後、

「それを言うなら、美和たちも村の一員だ。ちゃんと年貢を納めている」

 無表情の中にも憮然としているのが伝わってきて、美和は眉尻を下げた。

 曲がったことが嫌いな彼が、美和たちのことを心配しているのは、十分承知している。だが、それで彼が怒られたり、悪口を言われたりするのは本意ではないのだ。

 それだけはわかってもらおうと、美和が口を開いた時。

「その者らは何者か」

 建物の陰から竜神が姿を現した。

 壊れた櫃の修理を頼んでいたのだが、しばらく音が聞こえなかったので忘れていた。

 竜神はどことなく不機嫌そうだった。那津は突然現れた美丈夫に、おびえたように体をこわばらせる。一方、希旺は警戒心もあらわに相手を睨みつけた。

「あんたこそ、誰だ」

「我はりゅう」

「この人は、一昨日からうちに来てるの。村には引き取り手がなかったみたいで」

 竜神の言葉を遮って、美和は説明した。彼に話をさせたら、いつまでたっても相互理解が図れないだろうと思ったのだ。

 希旺はため息をついた。

「例の変人か。またお前は、面倒事をしょいこんで……」

「何を言う。我は面倒事などではないわ」

 憮然とした口調の竜神に、希旺は舌打ちをした。粗末な服を着た偉そうな態度の男、としか彼の目には映っていないのだろう。事実だが。

 美和は慌てて言葉を付け加えた。

「希旺、大丈夫よ。この人、悪い人じゃなさそうだから」

「悪人が悪人ですって言って歩くと思うのか」

「そ、そうは思わないけど」

 希旺はこめかみに手をやると、自分より頭一つ分低い美和をじろりと見下ろした。

「そうやってなんでもかんでも拾えばいいってもんじゃないだろう。お前ら自身を養うのにぎりぎりの畑しかないだろうに。もうちょっと考えろ」

「う」

「ただでさえ村長は、奥方に遠慮して、娘のお前を顧みない。太郎も村長にそっくりだ。自分を守れるのは、自分だけなんだぞ。頼むから、心配をかけるな」

 希旺は呆れた口調で美和を諭す。

「……心配、かけてごめんなさい」

 何とも応えようがなく、上目遣いになった美和に、希旺はぐっと息を詰まらせた。

「いや、別に、心配するのが迷惑ってわけではないから……」

 ぶつぶつと呟く希旺に、美和が首を傾げたとき。

「美和、そなた、我の発言を遮るとは何事だ。無礼であるぞ。竜神である我が本来の姿になれば、そこの川を暴れさせることなど造作もないのだ。もっと丁重に扱え」

 竜神が鼻息も荒く、ふんぞり返る。

 ただでさえよそ者と見て警戒している那津がいるのに、なかなかこの竜神様は大人しくしていてくれない。案の定、那津は見てはいけない物を見たように、顔をひきつらせた。美和は額に手を当てる。

 希旺は夢から覚めたように目を瞬かせた後、

「……なるほど、村長が村の中に入れたくなかった気持ちもわかるな」

 竜神は眉間に皺を寄せ、地団太を踏んだ。

「何がわかるというのだ、何が。ここの連中はそろいもそろって無礼者ばかりだ。いかに懐の広い我だとて」

「まあまあ、竜神様。懐の深い男というものは、軽々しく怒ったりしないものです。希旺、ありがとうね。村長には礼を言いに行った方がいいかしら」

 さっさと話題の転換を図った美和に、希旺が決まり悪げに口ごもる。

「いや。あっちはイノシシやシカが獲れて浮かれてるから。水を差すのはよくない」

 やはり、村の人々には黙って持ってきたのだ。自分で獲った獲物を、こっそり隠して持ってきてくれたのだろう。美和はもう一度、「ありがとう」と言った。

 その間に、竜神が美和の隣に立った。

「なぜ、美和が礼に行ったら水を差すのだ。美和は村長の娘なのか。そういえば、人の子は親類縁者と生活を共にする、と聞き及んできたが、美和たちは何故、一人者なのだ」

 美和の隣とはすなわち希旺の目の前ということ。希旺も体格がいいので、二人が並ぶと璧のようだ。

「あの、私は」

「答えることはない、美和。どうせ、すぐに出ていくんだろう?」

 美和の言葉を希旺が鋭い声で遮った。

 竜神がむっとしたように希旺を睨む。それに負けじと、希旺も真正面からその視線を受け止めた。

 言いようのない沈黙が落ちる。

 那津が美和に戸惑う視線を向けてくるが、美和だってこの状況を歓迎しているわけではない。なんとか状況を打開しようと、必死に口を開いた。

「そういえば、竜神様のお仕事は終わったのですか?」

 簡素な作業着姿の竜神は、ふん、と希旺をもうひと睨みして、美和に向き直った。

「終わった。そしたらガキ共が、お前を連れて来いと言うのでな。なんだかよくわからんが、伏して願い奉られたので、仕方がないから呼びに来てやった。行くぞ」

「ど、どこに?」

「知らん」

 短く言うと、竜神は美和の手首を掴んで歩き出した。その力は強く、美和はたたらを踏んで一歩を踏み出す。

「み、美和」

「ごめん、那津。柿、ありがとう。希旺も、ありがとう。またね!」

 戸惑う声の親友と、不機嫌そうな幼馴染に手を振り、美和は歩調を緩める気配のない竜神を睨んだ。

「竜神様、ちょっと強引ですよ」

 低木に遮られ、美和の小屋と二人の姿が、あっという間に見えなくなる。残ったのは、草を踏む音だけ。

「美和は我の世話をしておけばよいのだ」

 憮然とした声に、美和はため息をついた。

「いつから私は竜神様のお世話係になったのですか。第一、こんな村はずれの小屋では、もてなしも何も出来ていないでしょうに」

 見上げる竜神の表情は、いつも通りに男前だ。竜神は横目で美和を見下ろした。

「確かに、もてなしも何も、期待した通りにはならなかった。でもまあ日々、面白い……ような気もする。我の住んでいた場所では到底味わえぬ生活ではあるし」

 珍しく言葉を濁した竜神を、不思議な気持ちで美和は見つめた。こんな貧乏生活に、多少は満足してくれているということだろうか。やっぱり変わり者だと思うが、少し嬉しい。

 しかし、妙な感動を覚えた美和などおかまいなしに、竜神は不満げに声を荒げる。

「だいたい、美和は我と恋をする、と約束したであろう。なんだ、あの男は。我以外の男と恋をするつもりか!」

「約束してませんっ!」

「……そうだったか?」

 真剣に首を傾げた相手に、美和は脱力した。単純なんだか、面倒くさいんだか、わからなくなってきた。

「おーい、美和ねーちゃん!」

 遠くから声がする。畑のあぜ道をまっすぐ行った場所で、雄大と砂仁が大きく手を振っていた。そういえば、二人が美和を呼んでいる、という話だった。

「何か用? どうしたの?」

 右の手は竜神に捕まれているので、左手を口に当てて、大声を上げる。少年たちは、

「こっちに珍しいものがあるんだ! ちょっと来て!」

 そう言いながら、足元を指差している。

 美和は竜神を見上げた。

「行くしかあるまい」

 竜神は当然のように言うと、手を繋いだまま、歩き出した。何かを言う暇もない。

 そして。

 悲劇は、訪れる。

 青々とした雑草が生えるあぜ道を、二人の少年目指して進んでいたところ、美和は突然、手首を強くひかれた。

 尋常ではない力の強さ。砂のにおい。そして、大きな音。

 美和はとっさに足を踏ん張った。しかし、踏ん張りきれずに地面に倒れる。声を上げる暇もなかった。

 ぱらぱら、と土が落ちる音と雑草がこすれる音がする。

 とっさに隣を見ると、草と土にまみれ、美和より一段下で目を丸くしている竜神がいた。美丈夫が台無しだ。

 地面には半畳ほどの、膝丈ほどの深さの窪みがあった。それに竜神が足を取られたのだ。だが、周囲に散らばる草を見てもわかるように、窪みは巧妙に隠されていた。完全に、作為的なものだ。

 不気味なほど静かな空間に、カラスの声がひどく響いた。

『落とし穴作戦、大成功!』

 唐突に、少年たちがはしゃぐ声が聞こえる。

 美和は瞬時に起き上がり、腹の底から大声を出した。

「あんたたち、後で説教っ!」

 雄大と砂仁は顔を見合わせ、げらげらと笑いだす。しかし、怒りの形相の美和が一歩踏み出すと、慌てたように走り去っていった。

 追いかけようとしたものの、手首は竜神に捕まれたままだ。これがなければ、本気で一発殴りに行っていたものを。

「竜神様、立てますか? あの子たちには、後できつく叱っておきます。怪我してないといいんですが」

 怒りのせいで早口になった美和は、何とか深呼吸して冷静さを取り戻す。竜神は無反応だ。どこか打ったか、と不安になり、美和は竜神の顔を覗き込んだ。

 呆然としたままの竜神は、ゆっくりと美和に焦点を合わせる。

 しばらくの沈黙が二人の間に落ちた。

 目が細められているのは、逆光で美和の表情が読み取り辛かったからだろうか。

「り、竜神様?」

 穴が開くほど見つめられ、さすがに本気で心配になった時、ようやく竜神が口を開いた。

「なるほど」

「何が、なるほどなんです?」

 美和が竜神の肩についた草をはらう。竜神は立ち上がった。しっかりと土を踏みしめる足や体は、どこも悪くなさそうだ。そのことにほっとしつつ、美和は自分の体についた汚れを叩き落とす。

「我は穴に落ちた。心の臓が激しく脈打っており、目の前には美和がいる」

 低い声は、嬉しそうだ。

「……それで?」

 なんとなく、嫌な予感がしながらも、美和は先を促した。

「我は美和に恋をした。恋とは落ちるものだろう?」

 空色を閉じ込めた青い瞳は、きらきらと輝いている。まるで、この世の真理でも見つけたような顔。

 美和は顔をひきつらせ、思い切り空気を吸った。そして。

「ちっがーう!」

 今日一番の怒鳴り声を上げてしまった。

 


 その部屋は薄暗く、強い酒の匂いがした。

「惟久様、あまり酒をすごされますと、体にさわりがありあますぞ」

 差し出された杯に酒を注ぐのをためらいながら、従者が控えめに声をかけた。

「さわりなど、いくらでも」

 かすれた声が、男の唇からもれた。酔った体がゆらゆらと揺れる。そのことに、本人は気づいているのかどうか。

 男は杯を見つめたまま、涙を流し始めた。

「わしの子を、返してくれ。それだけが、わしを正気に返らせることができる、唯一の薬じゃ」

 誰にともなく呟かれた声に、返す言葉を見つけられず、従者は黙って再び杯に酒を満たした。

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