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「我は竜神である。我のために酒宴を設けよ」

 突然現れた長身の男に、美和(みわ)たちは農作業の手を止め、ぽかんと口を開けた。

「下界では、神の為に宴を催すと聞いたぞ。ほれ、踊れ、酒をもて」

 貴族のような豪華な狩衣を着た男は、苛立たしげに繰り返す。

 美和と子供たちは顔を見合わせた。が、次の瞬間、子供たちが歓声を上げながら、男にまとわりついた。

「ばかっ、あんたたち、その手、泥だらけ……!」

 美和の悲鳴は遅かった。

 男の高価そうな着物には、べったりと子供の手形がついていた。



 紫剋(しこく)村は戦乱続く()の国の、どこにでもある小さな村だ。荘園領主が治める地には、いくつかの村があり、村長がその村の代表者を務める。村は領主に年貢を納めなければならず、領主同士の戦いがあれば村の男たちが駆り出される。

 季節はこれから少しずつ寒さを増す、秋。

 舞台は村はずれに建つ、鄙びた小屋だ。



「どうして我がかように粗末な物を着なければならぬのだ。人の営みは粗野だと聞いていたが、これほど覚悟のいるものとは聞いておらぬぞ」

 さっきからぷりぷり怒っているのは、簡素な麻の着物を身につけた、自称竜神だ。

 歳は二十代半ばほどだろうか。長身に見合う、がっしりとした体。背中まで届く黒髪。はっきりとした目鼻立ちは、この辺りでは見ないくらいに凛々しい。

「ごめんなさい。ここには来客が少ないから、子供たちが興奮しちゃったみたい。あなたは、どうしてこちらに?」

 室内に張った紐に洗った着物をかけていた少女は、笑いながら振り返った。

 黒髪をひとくくりにし、やせ気味の体を着古した着物で包んでいる。色白の顔は整っているが、その中でも際立って人の目を引くのが、和の国の者は持たない、鮮やかな緑色の瞳だ。

「そんちょうとやらの所に行ったら、ここを紹介された。きっと歓待してくれるから、と。あの男、我をたばかりおったな」

 男は麻の着物に慣れないのか、何度も襟を正している。その隣で、二人の少年が腕組みをし、頷き合った。

「なるほど。村長に厄介払いをされたのか」

「きっと、頭がおかしい男とでも思われたに違いないよ」

雄大(ゆうだい)()(じん)、失礼よ」

「はーい」

 美和が注意すると、少年たちは悪びれた様子もなく、元気に返事をする。もう、とため息をついた美和は、男の正面に腰を下ろした。

「私は美和といいます。十七です」

 男の返事は「ふん」という鼻音だった。感じが悪い。

 美和は笑顔を保ったまま、竜神の隣で胡坐をかいている少年たちを紹介する。少年たちは男に興味津々の態だ。

「右から順に」

「雄大ですっ」

「砂仁ですっ」

 力いっぱい自分の名を告げた少年たちは十歳前後。顔立ちは似ていないが、行動はそっくりだ。

 これまた男は「ふん」と鼻を鳴らした。美和よりも音が大きかったのは、着物を汚されたことを根に持っているからだろうか。

「それから、あっちに隠れているのが、最年少の翔宇(しょうう)。六つくらい」

 視線を向けた先には、古い機織り機。その陰に隠れて、こちらを窺っている小さな姿がある。

「人見知りが激しいからあまり姿を見せないけれど、気にしないでくださいね。我が家にいるのは、これで全員」

 美和が男に向き直ると、男は家の中を不躾に見回していた。

 狭い小屋の中で目立つのは、機織り機と梁くらいのものだ。細々としたものは、ほとんど外に出してある。

 戸口から差し込む夕日は、部屋の中を赤く染めていた。吹き込む隙間風は、涼しいというより冷たい。

「あなたはどこから来たのですか?」

 相手を刺激しないように、優しく問う。男は美和に視線を移すと、眉間に皺を寄せた。

「我は天から降りてきた。人間の酒宴というものに興味があり、わざわざ人間の皮をかぶって、やってきたのだ。さあ、我の為に舞い踊れ」

 顰め面で指を指されても、と美和は笑顔のまま戸惑う。その美和の代わりに、

「じゃあ、神様の力を見せてよ。竜神様だったら水の神様だから、雷を落とすとか、雨を降らせるとか、できるんじゃないの?」

 自称竜神の言うことなど完璧に流して、砂仁が身を乗り出した。男は哀れみのこもった視線を向ける。

「阿呆。人間の皮をかぶったと言ったろうが。神通力を使うには、この人の皮は邪魔なのだ。だいたい、我の素晴らしさを確認するのに、わざわざ力を使う必要もない。我という存在そのものが、貴重で、尊いものとしてその目に映るだろうが」

 座っているのに上から目線、という器用な様相で、男は四人を見回した。

 その場にいた自称竜神と幼い翔宇以外の三人は、笑顔を取り繕いつつも心の中で「あ、これはダメだ」と思った。

 美和は少し間を置いて、口を開いた。

「とりあえず、その様子だと行くところがないのでしょう」

 竜神は腕組みをして、苦虫をかみつぶしたような表情になった。

「我は人間に酒宴を開かれるまでは、帰らぬと誓っている」

「それなら、ここに泊まりますか? これから寒くなるし、狭いけれど、眠れないことはないでしょう」

 雄大が首を傾げる。

「姉ちゃん、大丈夫なのか? 俺が言うのもなんだけど、この人の怪しさは普通じゃないと思うよ」

 すぐ目の前にいる客人に対して、不躾な発言だ。竜神は柳眉を逆立て、そっぽを向いた。

「我も、このような粗末な小屋に押し込められとうない。我のための宮を建てよ。そうだな、金銀の装飾は当然として、枕は真珠入りのものでなければ快眠が得られぬ」

 美和は男へ顔を向け、にこりと笑った。

「この小屋でいいと思います」



 結局、自称竜神は美和たちの小屋に寝泊まりすることになった。

 本当はどこから来たのか、本名は何なのか、聞いてもまともな答えが返ってくることはない。

 口を開けば文句、というくらいに文句が多かったが、中身の薄い粥を出されても、寝相の悪い砂仁と翔宇に夜中に蹴られても、狭い小屋から出ていく様子がない。


 美和は額を流れる汗をぬぐって、大きく伸びをした。日は高く、そろそろ昼だ。後ろを振り返る。

「竜神様、どうせそこに座ってるなら、作業を手伝ってくれませんか」

「なぜ我が、草の世話をせねばならぬ」

「働かざる者食うべからず、だからですよ」

「むう」

 強気に言うと、唸りながらも男は腰を上げ、耕したばかりの畑におっかなびっくり足を踏み入れた。途端。

「なんだこれは、柔らかい! 我の寝床よりも柔らかいぞ!」

「そうでしょう。食糧は私たちが生きていく源ですもの。柔らかい寝床に寝かせて、たくさん実をつけてくださいとお願いするのです」

「我にもこの寝床のような」

「竜神様は、今のところ私たちの役に立ってませんもの」

「……そうか」

 笑顔で遮られ、竜神はしょんぼりと俯いた。

 作業用に貸した、汚れた着物があまりにも似合っていない。

 こういう派手な顔立ちの人は、それなりの服を着る必要があるのだと、美和は半ば感心した思いで竜神を見つめた。その視線に気づいた竜神が、周囲を見回した。

「ガキ共はどこに行ったのだ」

「野菜を売りに行きました。寂しいですか?」

 からかう美和に、竜神は目をむいて反論した。

「そんなわけがあるか。静かでいい。あのガキ共ときたら、我のことをただ人と思っているのではないか。遊んで、遊んでと。我は子供のおもちゃではないわ!」

 美和から受け取った籠に乱暴に手を突っ込むと、竜神は腹立ちを表すかのように、種を畑に叩きつけた。その様子が子供っぽくて、美和は声を上げて笑った。

「慕われてて、良いことじゃないですか」

「慕われ……あれは良いことなのか? そうか……」

 途端に行動が大人しくなる。美和は笑みを残したまま、自分の籠の中の種をさっさと蒔き終えた。

 竜神がぐるりと周囲を見回した。長い黒髪が、ふわりと広がる。

「ここは静かだな。村の中は、もう少し音が聞こえてきていたが」

 美和は竜神の抱えていた籠を引き取ると、残りの種を蒔きながら「ええ」と頷いた。

「ここは少し、村から遠いですものね」

「人間は争う生き物だと聞いたが」

「他の荘園では、村の若い衆が戦いに駆り出されています。村の者を出すのが嫌で、はぐれ者を雇って差し出している所もあるとか。でも、うちの村は、領主様が頭を絞って争いを回避してくださるから、平穏無事に、こうして働けるのです」

「統率者など、統べる相手がいなければただの人よ。下々のことを考えるのは、当然だ」

「ふふ」

 腕組みをして、偉そうにふんぞり返る竜神を見上げ、美和は目を細めた。

 あちこちから鳥のさえずりが聞こえる。山から吹き降ろす風は爽やかで、日の光は穏やかだ。冬が来る前にやらなければならない仕事はたくさんある。その筆頭が、冬の食物を用意することだ。最低限の種蒔きは終わらせておかなければならない。

「このまま川に行って足と手を洗いましょう。水汲みをしなきゃいけないし」

 美和は畑から出て、近くに置いてあった桶を二つ手に取り、歩き出した。その後を竜神がついてくる。

 沢までは、雑草を踏み倒しながら歩く。足を怪我しないように、大きな石は取り除いてある。それなのに、たまに転がっている石を器用に踏んづけては「痛い!」と叫ぶ竜神は、自称神様なのに運が悪いのではなかろうか。

「お前はなぜ、野菜を売りに行かないのだ。売る、というのは金を稼ぐ、ということだろう。金は人を狂わせると同胞に聞いたことがある。子供だけで、大丈夫なのか」

 痛みに涙を浮かべながら、竜神が問う。

 美和は口ごもり、ちらりと後ろを振り返ったけれど、すぐに明るく笑った。

「野菜はね、子供の方が買ってくれるんです。売れ残るとかわいそうだからって。村じゃなく、領主様のいる町まで出かけてくるの。あの子たち、商売上手なんですよ」

 そういうものかと頷く竜神に、桶を一つ、押し付けた。竜神は驚いたように目を見開くが、気にしない。

「ほら、早く行きましょう。川の位置を覚えてもらって、次からは、竜神様にも手伝ってもらうんですから」

「これ以上、我に何をさせる気だ。我は」

「酒宴を楽しみにしてきたんでしょ。でも、酒宴なんかより、こっちの生活の方が絶対に楽しいと思いますよ」

「む、そうか?」

 桶を受け取った竜神が、首を傾げながらついてくる。

 美和は笑いをかみ殺した。言葉は悪いが、単純な男だ。

 沢まではそれほど遠くない。雑木林の中をしばらく進むと、緑が繁る木々の向こうから、涼やかな音が聞こえてきた。

「おお、同胞はいないくらい小さいが、確かに川だ」

 せせらぎを聞いただけなのに、竜神がよくわからない所で感心している。

 林を抜けると、小さな川が現れた。手前は大きな石がごろごろしている川原だが、反対側は急斜面の山にへばりつくように木々が密集している。

 美和は川に下り、手桶一杯に水を汲んだ。

「竜神様の住んでいたところは、どんなところなんですか?」

 美和は竜神を見上げた。

 そっと水面に足をつけた竜神は、すぐに喜色満面の笑顔になってから、美和を振り返る。

「ここよりも、すべてがでかいな。なにせ、我は今でこそ人の皮をかぶっているから小さいが、本体はこの比ではない。人の住む屋敷など、尾の一振りで壊れてしまうだろう。それに、天帝の住まう宮殿は豪華絢爛、贅沢の粋を極めた立派なものだ。我らの誰もあの宮殿ほど見事なものを見たことがない」

 美和は生暖かい笑みを浮かべて頷いた。

 やはり、語らせれば語らせるほど、胡散臭さが際立ってしまう。いや、ここまで想像力があれば、むしろ立派だと言うべきか。きっとこの想像力が邪魔をして、どこかの村から追放されたのだろう。美和は心の中で結論付け、別の質問をしてみた。

「竜神様は、今まであまり働いたことはないのですか」

 竜神ほどの立派な体躯をしていれば、男手が必要な田や畑の作業は頼りにされたに違いない。しかし。

「馬鹿者。我のこの白魚のような手が、傷つき、汚れるのを想像できるか。だいたい、神である我らが、人間のようにちまちまと働く意味がわからん」

 もう一つの桶を美和に差し出した竜神に、胸を張って言われた。

 ……今まで、どうやって生きてきたのか、本当に不思議だ。

「そうだ、美和、我はそなたに提案したいことがある」

 ふと表情をあらためた竜神に、美和はろくでもない予感がして、にっこりと笑いかけた。

「はいはい。それじゃ、そろそろ行きますよ。のんびりしてる暇はないんです。川の場所は覚えましたね。この川の水を、一日十回ほど汲んできてほしいんです」

「何っ! 我に働けと申すのか!」

「じゃあ、五回に減らします」

「……回数を減らされては、仕方がないな」

 むう、と唸った竜神の背を押し、美和は見えないところで舌を出した。



 その晩。粗末な夕餉が終わった後、唐突に竜神が「そうだった」と呟いた。両脇には雄大と砂仁が陣取り、竜神の長い髪を三つ編みにして遊んでいる。翔宇は部屋の隅で、どんぐりを並べていた。

 小屋に差し込む光は、橙色に染まっている。もうじき暗くなれば、満天の星が拝めるけれど、手作業はできなくなる。

 竜神は翔宇の着物の裾上げをしている美和を、まっすぐに見つめた。

「美和、恋をしようぞ」

「……はあ?」

 一拍の間を置いた後、その場にいた全員が竜神の顔を見つめた。

「……いかなる理由で、そんなことを言い出したのですか」

 顔を上げた美和は一応、聞いてみる。

 三つ編み頭の竜神は、腕を組み、目を閉じて一人、満足そうだ。

「下界は素晴らしいと、我に教えてくれた同胞が言っていたのだ。こちらの醍醐味は、人との恋だと。下界に来たからには、我も同じ楽しみを味わってみたい。この家のおなごは美和と翔宇しかおらぬが、翔宇はちと、歳が若いからな」

 名を呼ばれた翔宇は、びくりと体をすくめて美和の体の陰に隠れた。その幼い顔は、恐怖で引きつっている。

「……姉ちゃん……恋って、恋って……なんだっけ?」

 雄大がおそるおそる年長者に聞く。美和は「こ、恋ねえ」と呟いて、歯で糸を切った。

 村から外れたこの場所で、人と出会うことは珍しい。ましてや同年代の男など、ここに顔を出すのは一人くらい。だが、村で人気者の彼には、好きな人がいるという噂だ。

 恋をしたことなど一度もない。恋する相手より、農作業を手伝ってくれる男の方が、絶対にありがたいと思う。

 でも。それを堂々と言うのも負けた気がして、美和は精一杯の虚勢を張った。

「竜神様、恋とは相手のことを愛しく思う気持ちからなるものです。心の臓がどきどきして、相手を見ると嬉しくなる。しようと思ってできるものではありません」

「では、どうすればいいのか」

「どうすれば、って……恋とは」

「恋とは?」

 低い囁き声に、美和は顔を真っ赤にした。

 何がこんなに恥ずかしいのかわからないが、とにかく恥ずかしい。子供たちの熱い視線を感じるのが、余計にいたたまれない。

「……落ちるもの、です」

 たぶん、という蚊の鳴くような声が、聞こえたかどうか。

 竜神は腕組みをして、難しい顔で頷いている。雄大と砂仁は顔を見合わせ、翔宇は首を傾げている。美和は逃げ出したい気持ちのまま、両手を叩いた。

「さ、もう寝ましょう! 明日、起きられなくなると困るから!」

 気恥ずかしい空気は、雄大と砂仁が竜神の寝場所の隣を確保する騒動で、あっという間に消えてしまった。



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