其は天下を廻り往く
金が、無い。
ストレイパルド戦士団団長は大きく天井を仰ぎ見た。
「…金が、無い。」
今度は口に出してはっきりと。机に広げている出納帳は何度計算しても戦士団内の赤字を告げている。
何がいけなかったか。
武器の研ぎ直しは今月三度。これは仕方無いし削減出来る部分でない。戦士団の資本は頑強な体と武器なのだ。この二つだけは何があろうと最高の状態にしておかねばなるまい。
しかしこれはどうだ。各町遠征時のスウィートルーム・ダブルベッド宿泊費。…やり過ぎではないか?普通のベッドがあれば体調をおかしくする事なんて無いのでは?これは団員に聞くので保留とした。
破損弁償代金、テーブルセット三組分。いったい何をした。これも団員に聞くものとする。
書店後払い分三万四千ゴルド。…団員に聞く。保留。
次に収益だが毎月二十個の依頼の達成を目標としている。今月は十六。少し少ない。他に団員達個人に来ている依頼については、勿論戦士団へ還元しなくて良いので今月は皆、そちらが多かったのかもしれない。
それにしても、今更ながらにどうにかならないものかと出納帳に再び向かったとき、部屋にノックの音が響いた。
「おはようございます、団長。」
入ってきたのはこの団の副団長であるイオン・アットルギナであった。イオンは成人女性でありながら、背が低く細身で少女の様に見える。この辺りでは珍しい黒い髪は腰より長く、毛先が少しうねる癖が付いていた。
「おはよう、イオン。」
団長はその精悍な身体に似つかわしいテノールの声で返事をする。オレンジに近い赤毛は一割ほどが白髪に変わっており、余程の苦労を重ねてきた事が窺い知れた。
「どうやらお困りの様子。…如何なさいました?」
イオンは悪戯そうに笑んでみせた。彼女の普段の笑い方だ。このせいで彼女の本心は誰にも理解出来ずにいる。
「…今月、やばいかもしれん。」
そう言って団長は薄く痛んだ胃を軽く押さえた。イオンは机の出納帳をひょいと覗いて興味無さげに「あぁ」と呟く。
「運営費ですね?…こりゃあ結構な赤字ですねぇ。」
「お前に聞きたいことがある。…書店の納品書だ。心当たりは。」
渡された紙をしげしげと確認し、机に置いてあったペンでチェックを付けていく。
「…これが私の注文分です。」
項目の八割程がチェックで埋まったがどちらかと言うと安めの本が多かったので計算的には二万と少しといったところか。
「これ、必要か?全部、この団の維持に必要な本か?」
「勿論です。」
イオンは笑みを崩さないまま即時返答した。
「ここら辺はこの建家の修繕に関する物。…団長、自分で直すと仰ってましたよねぇ?そして修繕に使う土魔法の魔導書。ヴァカの為の剣術の本。ヨハンナの暇つぶし。…残りの心当たりの無い物はマトビャクのではないですかねぇ。」
「…一つおかしいのが紛れていたがまぁ良い。本人に直接言う。…解った。本代は削れないな。」
イオンは出納帳をまじまじと読んでいる。
「他の皆は?」
出納帳をパラパラ捲りながらイオンは答えた。
「マトビャクとヴァカは個人の依頼をしてます。」
マトビャク六世。戦士団への入団は一番遅かったが、大陸でも五本の指に入る魔法の使い手で彼女で無いと出来ない仕事は多い。必然と戦士団を空ける事が多いものの、やる時はしっかりやってくれる人物だと団長は評価している。
ヴァカッラ・トゥ。戦士団の戦士の一人で直情家で力が強い。戦士団には自ら志願してやって来た。と、言うのもその直情的な性格で度々トラブルを起こしてしまっていて、巷の評判はあまり良くなく居場所がなくなってしまったからだ。しかしどうやら団長には一目を置いているらしく、今のところ戦士団内で問題を起こしてはいない。後述する二人に比べればまだ社交的であるので、今でも個人の依頼を受けることが稀にある。
「…ハルさんは妹の所でしょう。ヨハンナは解りません。どーせ、部屋に引き込もってんでしょうよ。」
ハルヴァリー・デモニア。腕利きの槍術士で元はこの町の名家であったファスプロイ家に仕えていた。ファスプロイ家が不正を働いていたとの事でストレイパルド戦士団へ調査が依頼される。家屋に強制侵入した際、交戦したのがこのハルヴァリーであった。その後、不正の証拠を掴みファスプロイ家は失墜。働き口を無くしたハルヴァリーを団に誘ったのが団長だった。しかし、不正を暴く調査が極秘の任務であった事から何も知らない回りの人間からはハルヴァリーが仕えた主人を売ったと言う噂がなされてしまう。故に裏切り者として認識されたハルヴァリーに個人の依頼がされることはない。尚、病気がちな妹がおり、その子の治療費の為に働いている
ヨハンナ・ハートアーチ。失われつつあるマシーナリーと言う技術で作られた狙撃銃の使い手。非常に内向的で自ら人に話しかける事は無く、受け身な人間である。一方で狙撃の腕は確か…なのだが、本番に弱い傾向にあり、感情から命令を拒否する事も多々。ある日いきなりハルヴァリーが連れてきたのでどこでどうやって知り合ったのかは謎。
「…そうか、他の皆にも聞きたかったんだが。」
「ある程度なら私が解りますよ。どれについて聞きたいです?」
「…じゃあ、このテーブルセットって?」
「テーブルセットですねー。それは酒場に行った時にハルさんがいつもの様に蔑まれ、からかわれていた時にヴァカがぶちギレて暴れた時の物ですねー。」
「またか!…あぁ、もう、こんぐらい自分で…!」
「弁護する訳じゃありませんけどねぇ、ヴァカにしては耐えた方だと思いますよ?」
「お前もいたのか!壊しそうになる前に止めろ!」
「そしたら代わりに私が壊れるかもしれないじゃ無いですかぁ。嫌ですよ、そんなの。」
「ハルヴァリーは!?」
「楽しそうに笑ってましたねぇ。」
「…このテーブル代金は皆仲良く一組づつ支払え。次、宿泊費。」
「…ふむ。」
出納帳を眺めたままイオンが鼻をならす。
「宿泊費の件は私に任せて下さいませんか?」
「…どういう事だ?任せれば負かるのか。」
「そんなとこです。では、また昼頃参りますので。あ、これ、お借りします。」
そう言ってさっさとイオンは出ていってしまった。出納帳と共に。
「…あんまり外に出して欲しく無いんだけどなぁ。」
返事も聞かずに出ていったドアを見つめながら呟いた。
続きをしようとした団長だったが、出納帳はイオンに持ってかれている。仕方無く残りの団員へ会いに行く事にした。
はじめはヨハンナ。ヨハンナは容易に会える。何故なら戦士団事務所として使っている一軒家の二階にいるから。今さっきまで団長が事務仕事をしていた部屋を出て二階に上がるだけ。
部屋をノックしてドアを開けた。部屋に鍵は取り付けていない。ノックしても返事すらない事が茶飯事であるから、鍵など付けたらもう二度と出て来ない恐れがあるためだ。ヨハンナは机に座って非難めいた目を団長に向けていた。
ヨハンナは目を覚まし、諸々の朝支度をのろのろ終えた後机に向かった。それから、机に散らばるコインを縦に立てた。次はその上に更に立てる。更に一枚、もう一枚。四段に積み重なったコインを興味無さげに見下ろす。ここまではいつもの事だ。しかし、五段目が成功した事はない。一度溜め息を大きく吐くと偉業へ取り掛かった。
この際、息を止めてはならない。呼吸の上下で手元が狂うのを恐れて止めたくなってしまうがそれは正しい事でないのをヨハンナは理解していた。長く集中すべき時、大事なのは自然体であること。呼吸を止める事は自然で無い。この場合の自然とは呼吸をしている事など意識していない状態である。普段生活している時呼吸している事など考えているだろうか?集中とは自然体なのだ。
これはヨハンナにとって単なる暇潰しに過ぎない。しかし、事これに関しては射撃時の所作に多いに役立っているだろうとヨハンナは気付いている節はない。
ミリより短い単位でコインの釣り合う場所を探り当て、ついに五段の塔は完成した。普段は仏頂面から変化の無い顔も少し綻んだ時、ノックと扉を開けた震動で超均衡の牙城は音を立てて崩れ去った。ヨハンナは侵略者に非難の目を向けるのだった。
どうやら団長の見立てでは本日のヨハンナは機嫌が宜しくない様だ。挨拶も軽い取っ掛かりの世間話も貧乏揺すりで聞き流している。とっとと退散した方が良さそうだ、団長は本題に入ることにする。
「今月の本代に関する事なんだが、何冊かお前宛で買ってるな?」
「…うん、もう読んだよ。」
ベッドサイドチェストから数冊の本を持ってきて団長へ突き出した。
「はい。もう要らない。」
「そうじゃない、そうじゃない。お前の暇潰しが目的ならこれは部隊の経費では落とせん。お前が支払ってくれ。」
「マトビャクが平気だって言ってたのに…。いくら?」
ぶつぶつと小声で文句を垂れつつも支払う意思を見せた。
「五千三百十四ゴルドだから五千で良いぞ。」
言われた通りの金額を手渡し、さらにヨハンナは団長を邪険にして見せた。
「もう用事無いでしょ?さっさと出てって。」
「あぁ、すまん。邪魔したな。」
素直に部屋を出たものの、扉を閉めてからやけに大きな溜め息を吐いてしまった。
「若い子との付き合いは難しいなぁ。」
等と漏らしながら。
シガレア中央町、主に住宅が建ち並ぶクランベリー通りにハルヴァリーの生家がある。戦士団の事務所に宿舎がある事は先に述べた通りだが、ハルヴァリーとマトビャクに関しては他に家屋を所有している。ハルヴァリーはここを生活の拠点としていた。
母親は早い内に他界、父親は見たことが無い。必然に妹の世話をする役はハルヴァリーであったし、生活の為に金を稼ぐのも彼女の役割だった。ハルヴァリーが妹、フユリア・デモニアに弱音を吐いた事は無かった。が、弱音を吐かない事も重荷になっている人間には気後れするものだとハルヴァリーは気付いているだろうか。気付いていても、気付いていなくても。彼女のする事は何一つ変わらない。妹との生活の為に金を稼ぐ事だ。
団長はここに来る際、少しの緊張感を得る。何か清浄な物を汚してしまう畏れがここにはある。実際にその通りなのだ。フユリアに姉が人を殺める事がある仕事をしているとは伝えていない。隠し通してくれ、と入団の時ハルヴァリーは全員に向かい平に頭を下げたのだった。団長の事はシガレア中央町の防衛団の団長だと説明されている。そして、腕の良いハルヴァリーはその防衛団に所属している、とも。一つ息を吐くとその玄関を叩いた。
「…はい、どなたでしょう。」
細い糸を張った様な緊張と一匙の殺気を感じる。団長であることを告げると空気は一気に軟化した。
「あぁ、団長、いらっしゃい。」
柔和そうな笑みで団長を迎える。綺麗にしていれば誰もが、老若男女構わず振り向く様な美貌を持ちながらも若干の陰が射している。それがまた何か目の離せない言い様の無い怪しい魅力があった。彼女と相対した時、背の高さがまず目につく。しかし、彼女の真価はその手足の長さにある。足による踏み込み、手による伸びによって彼女の槍術は同じ体格の者と比べ明らかに間合いが長い。戦い慣れている者ほど彼女の術中に嵌まってしまう。
「少し良いかな。」
「えぇ。どうぞ、お入り下さい。」
玄関口で構わない旨を伝えるも、是非妹の話し相手になって欲しいと言われれば嫌とは言えまい。団長は話すつもりだったテーブルセットの件を深く呑み込んだ。
「あ、団長さんだ。こんにちは。」
明朗な挨拶をするも、どこか触れただけで手折れてしまいそうな儚さを浮かべている。フユリア・デモニア。ハルヴァリーとはやや年の離れた妹である。フユリアとハルヴァリーは血の繋がりを疑う余地も無く、良く似ていた。それを指摘するとお互いに喜んでいる様だった。
「でも、団長さんも格好良いよ!」
世辞の返しに団長は苦く笑って答えた。紅茶を配膳してきたハルヴァリーはそのままカップに注ぐ行程へ移る。その所作はどこぞの高級喫茶店のベテラン給仕か高貴な屋敷のセルヴーズ・メイドの様だった。これは以前ハルヴァリーが勤めていたファスプロイ家で教育されたもので、結果としてハルヴァリーはそれを感謝していた。
「はい、団長。どうぞ。」
「ありがとう。…やはりハルヴァリーが入れた紅茶は格が違うな。」
「ふふ…。ありがとうございます。…でもですよ?」ちょっと考える様な仕草をした後、真剣に団長を見詰め、言うのだった。「それ、イオンちゃんの前では絶対に言ってはなりませんよ?」
普段団長に紅茶を給仕しているのはイオン・アットルギナだ。ハルヴァリーはイオンが紅茶を入れる練習を散々にしている所も見ているし、美味しく淹れるコツなんかも聞かれた事がある。腕は確かにまだまだである様だが、だからこそ朴念仁が余計な事を言わないよう釘を刺したくなったのだ。
「あ…そうだ。団長?」思い出した物に芋づるで付いてきた事を団長にぶつけた。「最初あんまりな物を飲まされた事は聞いてます。それがあったとしても"最近はまぁ、マシになってきたな"って何です?何故"美味しいよ、いつもありがとう"と言えないのですか?」
ハルヴァリーは笑顔のままだ。しかし纏う空気は氷の様。"いや"だの"あの"だの言い淀む団長にフユリアが更に追い討ちをかける。
「…団長さん、甲斐性無しなんだね。カッコ悪い。」
ついさっき言ったセリフなどまるで忘れたかの様な物言いだ。
「…解った。これからはあいつを労ろう。これで良いな?…俺は他にも行く所があってな。…失礼するぞ。」
早口で言いながら逃げるようにハルヴァリー家から飛び出した。実際、逃げた。
「うわ、逃げたよ!団長、だっさい!最低!」
「そんな汚い言葉を使ってはなりません。」
冷静にハルヴァリーはフユリアを嗜めた。
「団長は優しさと強さ位しか取り柄が無いからしょうがないのよ。」
汚い言葉では無かったが姉の言ってる事の方がよっぽどだ、とフユリアは思った。
ヴァカッラとマトビャクの行き先についてはとりあえず酒場に行くしか無かった。教えてくれるかどうかは依頼人に依るのだろうが。
大衆酒場・シーティーユー。西地区最大の酒場である。他に東地区にも大きな酒場があるが、東地区が工業地区であるので客もそっちの人が多い。わざわざ工業地区の人が西地区に来る必要は無いし、逆もまた然り。住み分けはきっちり出来ていた。こちら、シーティーユーの方は冒険者が多い。まだ昼にもなってないと言うのに、少なくない人間が屯していた。団長はカウンターへ一直線に向かう。
「シリウス、こんにちは。」
「あら、こんにちは。早いわね。」
この酒場の昼時間を司る主人・シリウスだ。ブラッドロップ・シリウスと言えば数年から十数年前にかけて活躍していた冒険者だ。一旦剣を抜けば血を見ない事はない、一時期は目すら合わせてはならないとまで言われていた剛毅は人の良さそうな笑みで団長を見ていた。
「うちの…あ、そうだ。」団員二人の行方を聞こうとしたが、テーブルについての事を思い出していた。「うちの者が粗相をしたそうだな。申し訳無い。」
「粗相?…あぁ、粗相、ねぇ。」
シリウスは口をへの字に曲げた。
「いえ、私からも謝らせてもらうわ。普段は私の近くの机に座ってもらっているんだけど、あの日は丁度混んでてね。ハルちゃん、嫌な思いしていないかしら。」
ファスプロイ家調査の依頼はここで受け取った訳だから、当然シリウスはその経過も知っているし、噂が根も葉も無い事を知っている。しかし、団長もシリウスもハルヴァリーを庇い立てる事は出来ない。ファスプロイ家調査の依頼はシガレア中央町の町長からの依頼で守秘契約を結んでいる。下手人が捕まった今、この契約を破棄してくれても良いものだがそうはなっていない。だから、ハルヴァリーはいつまで経っても裏切り者と言われ続けていた。せめてもの思いからシリウスにしろ団長にしろ最大限、彼女の耳に変な噂話を入れないよう配慮するしか無いのだった。
「ハルヴァリーはああ見えて強い娘だ。確たる目的があるから、たかが噂程度で心を揺らがせたりはしないさ。」
それに、噂に一喜一憂する歳でもない、とは呑み込んだ。団長が戦士団の最年長で、一番近いのがハルヴァリーだ。二十代を半分回っている。しっかりと自分を持っていることだろう。
「…本当にごめんなさいね。」
「……と言っても弁償代金を負ける気は無いのだろう?」
神妙そうに俯かせていた顔は一瞬で真顔になる。
「それはそれ。これはこれ。」
「…解ってるよ。だが、三セットって何だ?椅子は一セット何脚付いてる?ヴァカッラが律儀に椅子まで一個一個壊していった訳は無いよなぁ?」
「…。全部では、無かった、かな。」
「だよな。」
「…。あ!ほら、迷惑料込みで!?怪我人の介抱とかうちでやった訳だし!?」
「…そう言われると責め辛いな。世話にもなっているし…今回は支払ってやる。」
支払うのは団長でも無いし、運営費でも無いからその点は団長にはもうどうでも良かった。
「で、本題なんだが、ヴァカッラとマトビャクが今日個人の依頼を受けている筈なんだが、行き先は解るか?」
「…ん〜。ヴァカッラは東地区の家屋解体の依頼ね。鍛冶屋の斜向かいの。」
「解体だぁ?…何でヴァカッラがそんなことやってんだ。」
「…人間何か一つ才能があるとして」いきなり言い出したシリウスに団長は余計怪訝な顔を見せる。「あの子にあるとしたら、物を壊す才能ね。」
団長にも思い当たる節が無い訳でも無い。複雑そうに頷いた。
「で、マトビャクは?」
「マトビャクは…ん。」
シリウスは口の前にバツを作った。守秘契約。行き先は教えられない、とのことだ。
「じゃ、報告しに来たら事務所に寄ってくれる様に伝言頼む。」
「了解。」
挨拶を交わすと、団長は東地区に向かった。
…と思ったら、店から出た瞬間に店内に戻ってきた。
「…どうかした?」
「いや、どうせなら差し入れしてやるかと思って。…ハーネカィン、二本。」
ハーネカィンはこの地方のスタンダードな麦芽酒だ。
「あら、随分気が利くじゃない。どういう風の吹き回し?」
「…そう言う事、今日もう言われたからだよ。」
この団長は文字通り団の長に相応しい能力を持ち合わせているが、唯一必要ないのはこの繊細さであろう。
シリウスに教えてもらった建屋にはその通りヴァカッラが汗を流していた。
「ヴァカ、お疲れ様。」
「あ、団長!お疲れ様ッス!!」
その場にいた全員が振り向くほどの大声でヴァカッラは返した。深く頭を下げている所を見るに、これが彼女の性分なのだろう。
「東地区になんかご用ですか!?」
「いや、お前に会いに。これ、差し入れだ。」
そう言って緑色の瓶を手渡す。ここに来るまでで、少し温度が上がってしまっていた。
「ありがとうございます、団長!」ただ、あまりヴァカッラは気にしていない様だ。「お頭ー!ちょっと休憩しても良いッスかー!?」
ヴァカッラに負けない大声でお頭と呼ばれた人は休憩の許可を出す。同時に周りで作業している人にも休むよう声をかけていく。
「…っかー!うめぇ!労働の後のハーネカィン、効くー!!」
ここの辺りの人間は水代わりに毎日酒を呑んでいる。いくら労働の後とは言え、一本で酔いが回りはしないだろう。
「…家屋を潰す、ってもっと大雑把にやっているのかと思ってた。結構綺麗に解体するんだな。」
昔団長が見た家屋の解体は下からハンマーでどーんと崩した後、瓦礫を片付けるみたいなやり方だった。今日は屋根部分から垂木一本一本、壁一枚一枚丁寧に剥がしている。
「普通はぶっ潰すだけなんスけどここのはまだしっかりしてるから再利用するそうなんス。」
「ほぅ。そうなのか。」
そんなにしっかりしているならそのままの形で再利用する事は出来なかったのだろうか?それとも全く別の何かをここに建てるのだろうか。いずれにせよ、そこまで深く聞くほど団長に興味は無かった。
「で、だな。お前に用があってきた。」
「お?何スか、何スか?」
興味深そうに団長へ接近したが、何かに気付きまた元の場所へ戻った。
「…どうした?」
「い、いや。自分、今汗だくだったんで…。で!自分に用って何スか!?」
「あぁ、酒場のテーブルの件なんだが…。」
聞いた途端、ヴァカッラはショボクレた顔をした。
「あ、あ〜…。申し訳無いッス…。自分、血が昇るとどうも…。弁償は自分がするんでちょっと待って下さい。」
「いや、その場にいた三人全員で負担させるよ。」
「いや、ほんと良いんス!…実は今日、この解体した廃材分けて貰う事になってるんス。それで自分が作ろうと思って。」
「テーブルをか?お前が作るのか?」
「はい!お頭に教えて貰いながらッスけど。」
「…凄く立派な話だが…ヴァカッラ、聞いてくれ。」
「…何スか?」
非常に躊躇いながら、団長は無情な現実を告げた。
「…シリウス、もう新しいの買ってたぞ。」
「…新しいのって?…テーブルッスか?」
「今日ここに来る前に酒場に寄ったが、テーブルが抜けてる様な所は無かった。」
「マジッスか。」
「…あぁ。」
ヴァカッラは膝を抱えて丸くなった。
「…世の中、シビアッスね。」
「…今度からはちゃんと先方にも確認しような?」
項垂れる頭をそっと撫でてやった。
そろそろ昼になる。一方的ながらもイオンとの待ち合わせがある。工事現場から去ろうとした。休憩も終わり作業に戻ると思われたが、下に無造作に転がった廃材を一度隣の空き地に纏める様だった。
「ヴァカ!」
団長は気になった事をヴァカッラに問うてみた。
「空き地にそれ、纏めるんだな?」
「そッス。」
どれも大きく、二人一組で担ぎ持っている。団長が気付いたのは作業員が奇数であること。現にヴァカッラのペアはいない。
「どれ、手伝うよ。」
「え、いや、悪いッスよ!」
「じゃあ、お前が一人で持つのか?良いから端持て。」
ヴァカッラは恐縮しながらももう一方の端を持つ。木材は思ったより軽かった。団長とヴァカッラには結構な身長差がある。だから重く感じるのは低い側であるヴァカッラだろう。多分だが、団長は一人で担いでいるレベルでこれを持っているらしかった。
一つ目を空き地に置いた所でヴァカッラが非難の声をあげる。
「団長!ほぼ一人で持ってるじゃ無いスかぁ!悪いッスよ、駄目ッスよぉ!!」
「おら、ごちゃごちゃ喋ってる暇あったら次行くぞ。」
団長はさらりと流して次を担ぎにいく。
「あ、ちょっ…!待ってくださいよぉ!」
「さて、これで全部だな。じゃ、俺は行くよ。」
「マジで何もんなんスか団長…。」
本職の職人達でさえ、二〜三本に一度は少し休憩したのだが、団長とヴァカッラは休み無しにひょいひょいと片付けたのだった。
「団長さんよぉ、俺ぁ今まで冒険者の連中を馬鹿にしてたけどよぉ、あんたぁ中々やるじゃねぇか。見直したぜ。」
東地区に居座る職人達と西地区に居座る冒険者達。互いが互いを蔑みあい、両者は中々に相容れない。故にお頭のこの台詞に、その場にいた全員は度肝を抜かれていた。
「どうも。…うちのヴァカッラをよろしく頼みます。」
「おう!その嬢ちゃんも良い根性してやがる!あんたん所の団てのぁ、良い団みてぇだな!」
「えぇ、自慢の団員達ですよ。…失礼、井戸をお借りしても?流石に少し汗を掻いてしまいまして。」
「おぉ、好きに使いな!」
空き地の角に井戸はある。元はこの空き地も建物が建っていたのだろう。井戸から桶を汲み上げると、着衣のまま頭から被った。そして、上着を脱ぎ放った。
「団長さんよ、団の名前は何てんだい?俺らが困った時ぁあんたらに…頼…ぉぉお!?」
今職人達は先程抜かれた度肝を、再び抜かれていた。
「ストレイパルド戦士団と申します。ご用命は西地区の酒場、シーティーユーにお願いします。」
「なっ!ばっ!団長!!マジで!マジで勘弁して下さいよ!!」
ヴァカッラが慌てて職人と団長の間に割って入った。
「マジで!マジで何考えてんスか!マジスか!慎んで下さいよ!!団長、女でしょうが!!」
つまり、女性が公共の場で上半身裸になった事になる。
「…一番そーゆーの考えて無さそうなお前に言われるとはなぁ。」
「何言ってんスか、自分は女ッスよ!良いから隠して下さいよ!うおぉ…、マジっ…!何スかこの団長!マジで恥ずかしいんスけど!!」
「俺の事女だと思ってる奴なんていないって。」
「いますよ、女なら!体が女なら!あなたは女ッスからぁ!!」
「…はっはっは!何だ、ヴァカが今日は面白いなぁ。」
「いや、もう、ホント!何スか、この人ぉ!!」
団長が再び上着を羽織るまでの五分間。ヴァカッラは今日一番の疲労を味わったのだった。
「お帰りなさい、団長。」
事務所に帰ると、イオンが出迎えた。形の悪いサンドイッチもテーブルの上で出迎えている。
「良かった、軽いものにして。」
帰る道すがら、露天のローストビーフを買って来ていた。
「あ、それ。靴屋通りの奴ですか?噴水前のやつより私、こっちの方が好きなんですよ。」
「あぁ。そう聞いてたからな。そっちで買ってきた。」
「…は。」
イオンは動きを一瞬止めた。
「はーん、そうですか。どういう風の吹き回しでしょうねぇ。」
再び動き始めると、無駄な動きが三割ほど増した。隠さず言えば、浮かれていた。
食事が揃い、二人合わせてお辞儀をする。団長は形の悪いサンドイッチを手に取った。
「で、どうにかなったのか?」
「あ、出納帳、事務室にお返ししましたからね。」
イオンはローストビーフをゆっくり咀嚼した。靴屋通りの店の方が厚めに切ってくれる。この歯応えが良いのだ。
「何とかなりましたよ。マトビャクが戦士団で働いた分を渡し忘れていたようで。本も本人が全て払ってくれますし、ホテル代も払わせます。次からはやりませんごめんなさい、だそうですよ。」
「…何だ、じゃ、ほとんどマトビャクのせいじゃないか。」
「ほとんどは、ね。」
団長は交差したイオンの瞳に何か一瞬寒気を感じた。?
「サンドイッチ、どうです?ベーコンじゃなくて卵なのでELTサンドですが。」
「あ、あぁ。美味しいよ。いつもありがとう。」
「あらぁ、今日はホントにどうしたんでしょうね。ちょっと躊躇っちゃいますねぇ。」
「…何、が?」
「そうですか。私の作ったサンドイッチは美味しいですか。団長、一番団長に近いサンドイッチにはね」感情の籠らない瞳が団長を射抜いた。「愛情たっぷり痺れ薬が入ってるんです。」
…確かに団長は先程から指先に痺れを感じていた。
「…何でこんな。」
「…団長。これは何でしょう?」
テーブルをついーっと滑らしたのは武器屋の領収書。聖剣・リスカンダルレプリカ、五万八千ゴルド。
「出納帳にですねぇ、町長より頂いている補助金二万六千ゴルド分。それと今月の出納帳上の依頼達成数十六件の全てが二千ゴルドづつ計三万二千ゴルド分が計上されていない様なのですが…。団長、ご存知?」
団長はピクリとも動けない。痺れ薬のせいでない。迂闊に動こうものなら、食い殺される。
「あらら、偶然。丁度この領収書の金額と一緒ですね。どういう事なのでしょう、ねぇ団長?」
団長が答えないものだから、部屋の中はイオンの踵を鳴らす音だけが響く。
「団長?…麻痺してても口は開けるでしょう?」
しかし、団長は答えない。
「…解りましたこちらから質問します。…こういう小細工してまで欲しかった物なのか、これがぁ!!」
床に突き立てられたのは聖剣・リスカンダルレプリカ。団長の部屋にこっそり隠しておいてあった物だ。
「あっ…。げ、限定品だから…。優しく…。」
「あぁ!?」
そんなイオンにとって心底どうでも良い情報など神経の逆撫でに過ぎなかった。
「…おい、次無駄遣いしたらどうするって私言いましたっけ?」
「…ごめんなさい、許して下さい。」
「ハズレです。そんな事言ってません。正解は…」
『次やったら殺す。』
イオンは今日、最高の笑顔を見せた。
「何だ、覚えているじゃありませんか。」
床に突き立てた剣を引き抜く。上段に構えるもイオンには少し重くてややふらついた。
「ちょっ…!待って…!ごめん…ごめんなさい!!」
「言い訳は地獄でどうぞ。」
ありったけの力を使って団長は椅子ごとひっくり返る。空を切った聖剣・リスカンダル・レプリカは再び床に収まった。実際、斬ってしまっても構わないと思って降り下ろしたイオンは軽く舌打ちして自分の席に戻り、ローストビーフを頬張った。
「次は無いですからね。」
後頭部の鈍痛と全身に脂汗がにじむ団長は静かに生きている喜びを噛み締めていた。
この件は団員に伝わり、団長の権威は地に沈んだ。ハルヴァリーのお小言曰く、
「何故、イオンちゃんが怒っているかお解りですか、団長。二つ。たった二つを行った故の事です。一つは正直に申さなかった事。団長が給金を貰っていないことは知っています。とても立派な事です。しかしそれは団の資金を私用に使える事では無いでしょう。何故相談をなさらなかったのか。わたくし達が頭ごなしに団長の欲しい物を否定するとお思いですか?相談をされないと言うことは我々を信用されていらっしゃらないとわたくしたちは受け取ります。もう一つは小細工なさった事です。これをされたらお手上げなのですよ。今回はイオンちゃんが気付いてくれたから良かったものの、このまま通っていたら来月も同じ事をするのですか?あなたを信じて働いて、戦っているわたくし達に何を思われますか?人は清廉潔白ではない、わたくし達はそれを知っています。それを知ってしまったからこそあなたに付いて来たのです。信じさせて下さい、あなたを。尊敬させて下さい、あなたを。…後はイオンちゃんにもう一度謝る事。以上でわたくしの話はお仕舞いです。では、お仕事へ行って参ります。」
…お小言の最中、団長が泣いてたのは秘密だ。
platoon's guardian
団長に有無を言わせる前に、出納帳を持ち去ったイオンはある種の確信を持っていた。ホテルにしろ、本代にしろ。やけに少なく計上されている依頼達成数にしろ。全てはマトビャクのせいだ。団長はマトビャクを信頼しているようだから敢えてイオンから言うことは無いが、マトビャク六世は紛れもなく人間のクズだ。イオンはマトビャクを一ミリたりとも信用していない。
マトビャクは本日個人宛の依頼を行っている所だ。ただ、それしか解らない。どこに行ったのかは見当付かない。だが欠片だけでも集める事が出来たなら、どうにかなるかも知れない。
イオンは西地区の大広場、噴水前に来ていた。大小様々な露天が立ち並び、煩雑として鬱陶しい。地面に布を引き、後は日除けのみと言う簡素な露天商の前にイオンはしゃがみこんだ。露天商の男は何も言わず、ただキセルを燻らせるだけだった。
「…すいません、これ。」
一本の短剣を掴み、代わりに表示された金額をあった場所に置く。
「今日、どんな仕事してます?」
イオンの言葉にガラガラ声で露天商は答えた。
「…守備隊は森林開拓のための伐採作業。先鋒隊は半分待機、半分は近くのエーデル湖の調査。突撃隊は十六番坑道の発掘。魔法隊は半分待機、半分はエーデル湖の水質調査。」
シガレア中央町に仕える兵士の動向だ。何だかんだ言って守秘任務なぞ振ってくるのは大体役人で、今となっては守秘任務があると言った時点で町からの依頼であろうなと予想が出来てしまう。つまり、今日マトビャクが守秘任務で動いているのなら、このどこかに同行している可能性は高い。
礼を言い、護身用具の露店から離れた。近くの適当な露店で串焼き肉を買い、噴水前のベンチに座って思考を巡らせた。
マトビャクは腕の良い魔術師である。故に依頼があったとすれば、魔法隊に同行する可能性が一番高そうだ。しかし、マトビャクのもう一つの特性と本日の兵士の動きを事前に彼女が知ることが出来たとしたら、を考えると別の解が浮かび上がってくる。
「…坑道。」
イオンは答え合わせのため、腰を上げた。
十六号坑道の前には気怠げに兵士が二人、突っ立っていた。イオンが近寄っても警戒する素振りも見せない。目の前で相対して初めて口を開いた。
「お嬢ちゃん、今日ここ作業中だからねー。危ないから近付かないでねー。」
気の抜けたやる気の無い口調だ。イオンは聞かぬ振りをして、質問を投げ掛ける。
「私、ストレイパルド戦士団の者です。マトビャク六世は今ここにいますね?」
問うた兵士は明らかに視線を泳がせた。
「そう言う質問には答えられないな。」
兵士にも勿論、守秘義務が与えられている。素直に答える筈がない。
「少し話があるだけです。通して貰うか、彼女をここに呼んで…」地下から爆音と振動が伝わり、イオンは少しよろけてしまった。しかし、それは正にマトビャクがいる証左。「…彼女、いますね?」
兵士達は顔を見合わせ、苦虫を噛み潰していた。
マトビャクの特性、いや性癖と言っても良いかもしれない。爆発フェティシズム。物の爆発する様が良いのか、爆発した際の音や光が良いのか、爆発で崩れ行く物が良いのか。詳しく聞いた人間はいないので定かでないがマトビャク六世は確かに爆発により発情するのだと言う。ただ、爆発なぞ場所的な問題でおいそれと出来るもので無い。故に爆発させられるチャンスがあればどうやってでもマトビャクは食い付くだろうとイオンは考えたのだった。
「…正直、」見張りの兵士は大きく天を仰いだ。「どうにかして欲しいよ、アイツ。」
「…おい。」
「良いよ、もう。同じ戦士団の奴なら今のでバレただろ?」
もう一人の兵士の静止も聞かず、更に続ける。
「もう同じ仕事場になりたくねーよ。今日だって発掘作業であって削岩作業じゃねぇんだよ。なのにバカスカ崩しやがって。立場が上の奴ほどアイツに弱味握られてんだか何だか、奴の言いなりだしよ。」
イオンにはしかめっ面を浮かべる事しか出来ない。うちの団員が申し訳無い、と謝罪する気にはなれない。あれが自分勝手でどうしようもない狂人なのは性分なのだ。山羊が草を食むのと、蛙が蝿を絡み食うのと一緒。マトビャク六世は人に迷惑を被せて生きる性分。
「では、私が連れ出しますよ。ここへ連れてきて頂けませんか?私、イオン・アットルギナと申しますので。」
「それは助かるが、守秘義務的にどうなんだ?」
「…誰もばらした訳ではあるまい。大丈夫じゃ無いか?」
諌めた方の兵士がそう言うとはイオンは思わなかった。内々ではこの兵士もマトビャクには迷惑しているという事か。
「お願いします。」
イオンが頭を下げると一人の兵士が軽い熟しで坑道の奥へ入っていった。
しばらくして先程の兵士が連れてきたのは紛れもなくマトビャク六世だった。
野暮ったい猫背。ぼさぼさの紫髪はくるぶしまで届きそうな長さ、膝程の高さで一度似合わぬリボンで縛り飾っている。やけに大きな目に反し、瞳孔が小さく、薄ら笑いと相まって蛙みたいな奴だなとイオンは見る度に思う。
「おやぁ、イオンさん、ご機嫌よう。このマトビャク六世に何か御用がおありですか?」
「こんにちは、マトビャク。ご機嫌よう、は別れの挨拶ですよ。」
「キヒッ!勿論ワザとですぅ。」?
イカれた爆発女が坑道から消え失せ、やっと平和になると思った兵士達だったが、突如始まった冷たい戦に身を凍らせた。
「…マトビャク。今日はもう上がれませんか。」
「えぇ、構いませんよぉ。粗方気は済みましたから。」
マトビャク六世は与えられた仕事をこなしたからでは無く、気が済んだら依頼を終えるらしい。イオンは眉間に皺を寄せた。
「では、あなたの家へ。」
「あらあらあらあら、ワタシ、どうされてしまうのかしら?…キヒッ!」
「…ち、うっぜぇ。…兵士のお二人、どうもお騒がせ致しました。」
恭しく頭を垂れるイオンに、兵士達はぎこちなく手を上げる事しか出来なかった。
「どうぞいらっしゃい、イオンさん?今お茶をご用意致しましょう。」
「いいえ、結構。本題に入らせて頂きます。」
イオンは室内にずかずかと侵入し、許可もなくソファーに腰を据えた。
「あらぁ、せっかちですねぇ。せっかちは…死にやすいですよぉ?」
「…まず、こちらです。」
イオンはマトビャクの戯言に耳を貸さず、自分の言い分を続ける。
「あなたが購入したこの魔導書、団に必要な本ですか?」
本屋の納品書をマトビャクの前に突き出した。
「…どれどれぇ?…おっと、いけない。」
マトビャクが手にした瞬間、納品書は灰に変わった。魔法を行使し、燃やしたのだ。イオンの眉が釣り上がる。
「いやいや、申し訳無い〜。つい、うっかり。で、何でしたっけぇ?」
これは自分の不注意だったと戒め、イオンは息を整えた。
「…そちらはまぁいい。…次に私と団長以外の者と遠征依頼に行った際、宿をスウィートルームのダブルベッドで取っている様だが…理由は。」
「遠征行ったとき位、羽伸ばしたいでしょーう。ただでさえ遠征は歩き詰めで疲れるんですし、このくらい必要経費ですよぉ。」
「そう思うのなら自分で支払いなさい。今月分も全額。」
「えぇ〜?全額ってワタシ以外の人の分もですかぁ?」
「どうせあなたが唆したのでしょう?」
「キヒッ!まぁ、良いですけど、その程度の端金。」
先に言った通りマトビャク六世にしか出来ない事は多い。故に彼女への依頼は常に高額である。現在、彼女の資産はこの町の誰よりも多い。
イオンは鼓動が早くなるのを感じていた。どうしてこいつはこんなにもイオンの心を掻き乱すのか。先程の様に深く息をして、再度マトビャクへ直る。
「…最後です。今月のあなたが私と団長以外の者と行った依頼、五件分。報酬はどうしました?」
「渡したかと存じますよぉ?帳簿の付け間違いでは?」
「手渡しましたか?報酬金と依頼書半券は?五件分全て半券まで無いなんておかしいです。」
依頼書は三つに分ける事ができる。大元を依頼書、残りの二つを半券と呼ぶ。半券は依頼書の端に切り取れる部分があって、依頼を行う者はそれを持って依頼をこなす。依頼を達成し、報酬を受け取るときこの半券が無いと受け取る事が出来ない。報酬を受け取ってしまえば個人でやってる冒険者にとってはただのゴミとなるが、大人数で組んでる団であったり隊であったりする所はもう一つの半券を長なり管理者が所有する。二枚揃っていない半券はまだ達成できてないか、報酬を団もしくは隊に預けていない事になる。半券に依頼を受けた人の名前でも入れておけばちょろまかしている事などバレバレと言う寸法である。
「いぃえぇ?ちゃんと渡しておりますよぉ?そちらの落ち度なのでは?ただでさえ団長殿は少し」マトビャクが嗤う。「抜けていらっしゃるから。キヒッ!あひゃひゃひゃ!!」
下品に、鬱陶しく。マトビャクは嗤う。
「…いい加減にしろよ、クズ野郎。」
イオンは胸ぐらを掴み、壁に叩き付けた。イオンもいささか非力ではあるが、マトビャクはその上を行く貧相さだ。魔法が絡まなければ、こんなものである。
「痛いですよぉ。暴力反た…イギィ!!」
マトビャクは喉を突っ張らせた。左腿に燃える様な痛みを感じたためだ。マトビャクの左腿には、イオンが露天商で買った短剣が突き刺さっている。咄嗟に治癒魔法をかけた筈だが効果は発揮されず、マトビャクはくぐもった悲鳴を上げただけだった。露天商で買った短剣は魔封じの短剣だったのだ。多少値は張ったが買っておいて正解だったとイオンは頭の片隅で思っていた。
「おい、もう一回聞いてあげます。報酬金、どうしました?」
「解った、解かりましたからっ!痛い痛い痛い!!着服しましたよぉ!!」
「ですよねぇ?……誰が抜けてるって…?」
イオンが短剣を捻ると、マトビャクの足下に鮮血が滴る。
「あっ…!ギャアアアアァァァァァ!!!」
「良い土地に家建てましたよね。周りに建物なくて。いくらでも叫んで下さい。どうせ、助けは来ませんから。」
「あ…うぅ〜…。」
マトビャクは顔にある全ての穴から体液を流し、膝は生まれたての小鹿の様にブルブルと震えている。足下の血溜まりには別の黄褐色の液体が混じっていた。
「…本の代金は?」
「うぅ〜…えっぐ…。払いましゅ…。もう、抜いてぇ…。」
「そう、良い子ですね。」
短剣を持っていない左手でマトビャクの頭を撫でた。触れた瞬間、大いに怯えたものだからイオンは腰のあたりにじんわりとした快感が走ったのを感じる。少しの嫌悪感もあったが鼻持ちならない奴が泣き叫んでいるのだ。まぁ、そう言う感情が沸き上がっても致し方あるまい、と自分を納得させた。
「でも、覚えておいてくださいね。」
イオンは短剣を更に深くゆっくり進めた。手に伝わるぷちぷちとした感触とオクターブを上げていく悲鳴。イオンは知らずに、笑んでいた。
「あなたはストレイパルド戦士団に入って日が浅いし、暮らして行ける資金があるから戦士団が潰れようがどうなろうがどうでも良いのでしょう。でも、この団の存続の邪魔するなら、殺すよ?」
短剣が腿から抜き離れるとマトビャクはその血溜まりに転がって呻いた。
「あらあら、大変。痛かった?マトビャクさん。」
イオンは白々しく傷口に治癒魔法をかけた。未だ脂汗を掻き続けるマトビャクの背中を擦る。まるで、介抱するかの様に。
「じゃ、きっちり支払って下さいね?全額、一ゴルドの誤差なく。」
「…そこの金庫。……今、開けたから好きに取ってって下さい。」
魔法解放型の金庫だったらしい。いう通り金庫は何の抵抗もせずに開いた。我が物の様にイオンは金庫から金を抜き取っていく。ついでに今月の依頼の半券もあったのでそれも徴収。
「…はい、確かに。」
「…その中に武器屋の領収書も入ってるでしょう。…それもどーぞ。」
「…何です、これ?」
「…その領収書と、ワタシの半券を見れば…あなたなら解るんじゃ無いですか?」
「…ふむ。」
手掛かりと出納帳を交互に何度も見返したイオンはやがて何かに気付き、出納帳を閉じた。特大の舌打ちが部屋に響く。
「…あのクソ団長が!!」
「流石、早いですねぇ!キッヒヒヒヒ!!」
マトビャクは既にいつもの調子を取り戻していた。
マトビャクは何故この領収書を持っていたか。恐らくは保険のつもりだったのだろう。"団長だってこんな無駄遣いしてるんだから良いじゃん"と。しかし、それが使えなくなっても尚、何故それをイオンに託したのか。イオンはこう考える。確たる理由なぞ無い。ただ、言うなれば彼女がクズだからだろう。死ねばもろとも、といった所だろうか。何にせよ、やはりろくな奴では無いとイオンは再度認識した。
「では、お邪魔しました。…解ってるとは思いますが、二度目はありませんよ?」
「やだなぁ、止めて下さいよ。こんなめちゃくちゃにされておしっこまで漏らしてしまって…。次されたら確実に新しい扉が開いてしまいますよぉ?」
「あら、残念でした。」
開け放った玄関から外の新鮮な空気と鬱屈としたマトビャク家の空気が混じりあう。美味しいとまで感じる外の空気を吸い込んで、イオンはマトビャクを振り向いた。
「あなた、私のタイプじゃ無いですから。」
その答えを聞いて、マトビャクはまた不気味に笑んだ。つられた様にイオンもまた嘲笑を返す。
『では、ご機嫌よう。』
別れの言葉が互いに重なると流石に両者共、嫌そうな顔を浮かべた。
大題名
この話は生きてくだけの為につるんで生活する奴らのお話ですのでそれが速攻で伝わるように。でも野良豹ってどんなだ。飼い豹ってあるのか。
書いてる理由
他に書いてる話があって、これがクソ真面目に丁寧に書いてるせいで一章部分ですらもう一年以上書いてます。私、物を書く時メインになるものの他にもう一つ書きます。それはメインで書いてるものと正反対の物です。今、メインがクソ真面目に書いてますから、この「野良豹」は気晴らしに書いてるなんも気にしないで書いてる話という事になります。
例えば、なるべく「」は三つまでしか続けない、と言うポリシーがあるのですが、それを全く無視しています。そう言った制約無く自由に書いてるのがこの「野良豹」になります。以後、よろしくお願いします。
サブタイトル
金は天下の回り物 から。
全ての金は天下を回って最終的に私のポケットに収まれば良いと思うよ。
コイン立て
一枚しか無理だよ!
貨幣価値
しわ寄せが来そうなので書かないつもりでいましたがしょうがねぇ。現在の価値と同じだと思って下さい。そのつもりで書きます。
ハーネカィン
私、お酒苦手です。だから知ってる名前のビールをモチーフに。それでいてビンで外国っぽいって言うともうこれしか思い付きませんでした。
以上、これからもよろしくお願い致します。