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【8 里丘家にて】

閑話休題。

 朋日が帰宅したのは、八時を少しまわろうかという時間だった。

「たっだいまー」

 時間をずらす為わざわざ(いやがる)柳を誘って夕飯まで食べてきたのだ。少しの進展くらいあって当然。意気揚々と帰宅したのも束の間。

「でていけっ!」

 奥から聞こえる声におお?とのけぞると「帰ったばかりでそれはないっしょ」と上がり込む。どうやらキッチンの方から聞こえてきているようだ。

「わかったからわめくなよ。第一ここはオレん家だっての」

 困り果てた男の声がする。

「兄貴?」

 ヒョイっと顔を出すと兄・亨日(きょうか)の顔があった。

「おー帰ったか」

 よっと手を上げて笑顔で迎える。

 その向かいには怒りに頬を染め、松宮が立っていた。

「どうしたの、松ちゃん泣いてるじゃない」

「それがよー、これ食ってみ」

 困った顔で亨日が指さした先には皿に盛られた得体の知れないモノ。

「うげ、見るからに皿に盛っていいもんじゃないなこれは」

 つい反射的に目を逸らし、鼻をつまんだ。

 その料理(といっていいのか?)の第一印象は「残飯」だった。もしくは、「失敗作」。

 色はこげ、匂いもこげ、味も当然こげだろうと思うのだが、その物体を前にしてしまえばこげであって欲しいと祈りたくなる。

「ひっでー、兄妹揃ってなんだよ。せっかく、つくったのに」

 だばーと滝のような涙を流し泣き出してしまった松宮に、里丘兄妹は視線を合わせて互いに「どうにかしろよ」と訴える。

 打開策が朋日の脳裏に閃いた。

 皿を持ち上げると亨日の前に突き出す。

「これは兄貴が処分するべきだな。あーん」

 条件反射的に口を開けてしまう亨日の口に容赦なくそれを流し込んだ。

「グァリボァリ、ボキっ、ごっ、ぐ、…ん。ヴっ」

 あまり食べ物を食べる音としてはふさわしくない音が享日の口から漏れ出てくる。

 食糧事情の悪い(口に合わない)国を巡っていたせいか口に入れたものを出すことなく飲み下した亨日が、それでもここまでのモノはなかったと見えて目を白黒させている。その間も享日の顔は赤くなったり青くなったり、白くなったりと大忙しだ。

 差し出されたミネラルウォーターのボトルを受け取りなんとか飲み下すと恨みがましい目で朋日を睨んでくる。

「…………てめー、実の兄を殺す気か!」

「松ちゃんの愛は兄貴にしか受け取る権利はなーい」

 朋日はどこ吹く風といった具合だ。

 なにか言おうとしてさらにむせ始めた享日に朋日が手を合わせる。

 合掌。

 兄貴、成仏しろよ。の声が、享日の耳に届いたかは(はなは)だ疑問である。


 なんだか随分疲れた気がする。

 夕飯の後片づけもそこそこに、シャワーを浴びて部屋へと戻る。

 さ、寝るか。とベッドに潜り込み電気を消して、落ちる目蓋をムリヤリ意志の力でパチっと開けた。

「……なんで松ちゃん、私の部屋にいんの?」

 冷たーい声が六畳の朋日の部屋の温度を下げる。

「えっ」

 ベッドの横に敷いた蒲団でさっさと横になっていた松宮がビクッと体を強ばらせた。

「兄貴の部屋に行きなよ」

「やだ」

「ダダこねてないで」

 起き出すと暴れる松宮の襟首をつかみ、引きずりながら朋日は階段をトントンと降りていく。

 階段横の(ふすま)の前まで来て、中に声をかける。

「開けるよ兄貴」

 返事がない。

「駄目だって」

 焦って引き留めようとする松宮には構わず襖を開けた。

 そんな気はしていたがやはり寝ている。畳に敷いた布団から身体半分はみ出ていようとおかまいなしにグァーゴーと豪快にいびきをかいて爆睡中だ。

「ちっ、寝てやがる」

 眠い上に面倒かけやがって。

 普段ならばしかたないなあと、笑って見過ごす(本当か?)この状況も悪魔になりはてた朋日には通用しない。

 舌打ちと共に漏らされた言葉に助かったと松宮が安堵するが、それは少し早かった。

「ほら、諦めて、わっ!」

 どこにそんな力があるんだといわんばかりの怪力で部屋の中に投げ込まれた。

 勢い余って倒れ込み、亨日のそこだけはしっかりと毛布のかかっている腹の上へと見事に手をつく。

「っぐぇ」

 ……全体重をかけて。

「おやすみー」

 蛙を踏み潰したような声が暗闇から聞こえてきたが気にかける様子もなく非情な妹は元居た自分の部屋へと戻っていく。

 これでゆっくり安眠できるというものだ、くくく。と、眠さのあまり表情には出ないが心の中で笑っていた。

 欠伸(あくび)だってでるというものだ。



「ごぢぞーざばでした」

 階下から呼ばれる声に起こされ、キッチンへと寝惚け眼で登場した朋日が松宮をみるなり、朝食には手も付けずそんなことをのたまった。

 カクンと首を曲げる。眠いのか、頭は重力に逆らうことなく九十度に落ちている。

 新妻さながら機嫌よく茶碗に(亨日が作った)ご飯をよそっていた松宮の手が止まる。

「ああ、間違い間違い。いやー、昨夜はあまりの激しさに家が壊れるかとおもったけど、大丈夫みたいね」

 ぺしぺしと柱をたたき大丈夫かー、と答えるはずもない家に話しかけている。

 まだ、半分夢の中にいるようである。

「けっ、仕組んどいて何を今更」

 まんまと妹の策略にのっかってしまった手前、文句の一つも言わねば気がすまんと額にイカリマークを張り付け、(亨日が作った)味噌汁片手に亨日が返す。

「朋日ちゃん?」

 二人の会話についていけないでいる松宮が不審気に朋日をのぞき込む。

 半目のままにんまりと無気味な笑みをふりまき、何が楽しいのかくくっと身体を揺らしている。

「松っちゃん、忘れてたでしょ? 兄貴の部屋が私の部屋の真下(・・)なの」

 瞬間、二人の会話が読めたらしい松宮の顔にぼっと火が点く。

「ひゃっひゃっひゃっ、かわえーのー」

 柱で身体を支えてバンバンと松宮の肩を叩きながら、ひひじじのように笑う朋日に亨日が呆れた声で顔を洗ってこいと命じる。

「お前は変態オヤジか」

 反論できない。

 ボーッとしていると柱に寄りかかったまま、寝てしまいそうだ。

「……」

 きっと、まだ頭の中身が起きていないのだ。と判断し、顔を洗うべく洗面所へと足を向けた。



「あいつ…、そのうちぶちきれるかも…」

 苦りきった表情で享日が茶をすする。

「えっ?」

「いや、……勘だけどな」

 亨日の言葉は暗示めいていて、松宮には理解できなかった。

 それは兄妹だからこその虫の知らせというやつなのかもしれない。

 朝からハイテンションでぶちあげまくっている妹の消えたほうに手をすりあわせ「くわばらくわばら」魔除(まよ)けの言葉を呟く。

 どうかオレに災難が降りかかりませんようにと祈りを込めて。

 妹が妹なら兄も兄。

 逆もまた然りということを、この兄はわかっているのか…。

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